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2005年3月 9日 (水)

環境問題を考える

職場が環境マネジメントシステム(EMS…Environment Management System)の第三者認証を受けることに昨年末重い腰を上げようやく踏み切った。
とはいえISO14001などという重いシステムではなく、僕の会社のような中小企業にはもっと負担の軽いものだ。それは『エコステージ』という。

これは3年ほど前より大手の取引先から要求があったもので、その取引先の品質部門の担当窓口をしていた僕が暗黙的且つ自動的に実質的推進責任者となった。
当初僕は推進担当になることを拒んでいた。何故ならそれは社会一般的にEMSというものは総務部門の仕事だと認識されていることに起因する。環境関連法(例えば廃棄物処理法など)の遵守等が必須項目だからだ。
その当時僕は品質保証課に所属していた。とはいえ課員は一人。要するに僕だけだ。
件のEMSには全くのお門違い。ど素人。だからいきなり任されても僕責任取れませんから。
そもそもEMSというものは経営に関わるものであり、いち部署で取り組むものじゃなく全社的なものだ。僕だって誰だって本業があるわけだし。システムを立ち上げることなど片手間で出来るものじゃない。

拒んでた理由はもう一つある。その時の上司の態度が逃げ腰に思えたことだ。
「大ちゃん、出来るやろ頼むわ」過去何度その言葉に翻弄された事か。そりゃあなた実務はネ、僕がキッチリしますから手を煩わすことはしません、でもちゃんと最後まで責任は持って下さい。上司であるならば。口が裂けても後ろ向きの言葉は吐いてくれなさんな。あ、アカン愚癡愚癡…(-_-)スミマセン。

またこういう類のものは長いスパンで見てようやく効果らしきものが顕われてくるものだ。そりゃ最初はイニシャルコストも手間もかかる。それを僕の居るいち部署からボトムアップして啓蒙を進めろって?そいつは全く違うんだって逆です、これはトップダウンしなきゃならないことなんだって…。は~空回り…。

そんな理由で取り組めば壺にハマることは判っていた。だからといって取引先の要求はどんどんエスカレートするばかり。窓口は俺。ブチ切れてほったらかしたろかと何度思ったか(^^)


ある時ビビッと来た。膠着状態の現状をなんとか動かしたいと。いや動かさなかんと。
そして遂に一念発起した。自爆玉砕覚悟で社長を動かそう。それしかない。どんな企画でも結局中間にブレーキをかける存在がある時は話が進まないのだ。だとしたらそんなブレーキなど捨ててしまえ。
環境に良いことを、会社にとって有益なことをしようとしているのだ。何を負い目に感じたり恥じたりすることがあろうか。腹をくくった。


いくら環境に良い行動だろうと、社内ではこれも実は賛否両論。
対象となる工場単位でいくら省エネ活動を進めても、今回適用範囲から除外した本社事務所では相変わらずエネルギーを湯水のように使っている。
だから本社サイドからこんな言葉も出た。「これって正直者がバカ見るだけなんとちゃうの?コストかけてこんなん導入するよりもっと経費削減出来るとこ見直したほうが手っ取り早いのと違う?」勿論その通りだ。んなこた最初から判ってる。
じゃあ今現状の廃棄物問題には誰がどう取り組むんだ?家庭から出る廃棄物の何倍もの産業廃棄物を俺らは出し続けているんだ。臭いものに蓋をする発想でここ数年誤魔化してきた結果がこの工場の敷地内に溢れたゴミの山なんとちゃうけ?ああそれは誰の責任でもないさ。それを管理するシステムが無かったことが問題だったんだ。
だからそれを今からやろうとしてるだけのことなんだ…。
めげそうになりながら。踏ん張ったさ。


要は意識の問題だ。
あらゆる問題を突き詰めていくと、最後は個々人の心の領域に踏み込まざるを得ない。
何でも根本的な問題というものは実はとっても小さいものなのだ。それをほじくり出して表に出してプチッと潰すことにより問題はいっぺんに解決の方向に向う。そんなもんだ。

社長に直訴した背景には色んな要素がある。勿論上司を無礙に扱ったわけではない。あくまでもこれは仕事だから。上手くやらなきゃ意味が無い。一人相撲をとっても自分が損を被るだけだし。
最終的に僕はこう考えた。EMSに取り組む理由をまず整理した。
①環境問題に取り組むことは間違いなく良いことだ。
②取引先に対しても会社としての清廉性をアピールするに大きな武器となる。
③背景には全世界・社会的な要求も大きくなっている。

…ならばどうしてうちの会社は取り組みを渋るのか。コスト面の問題だけだろうか?

そして気付いたのだ。
要は。
不本意ながらも引き受けた責任から僕自身が逃げていただけなのだ。
僕がやります!やらせて下さい!という姿勢を僕自身が見せれなかったことだ。上司の態度やら周囲の雑音を理由にして、要は僕がブレーキになっていただけだったのだ、と。
猛省した。だからまず上司を説得した。もう一度僕にやらせて下さい、だから協力をお願いしますと。程なくそれが社長に伝わった。そこから一気にトップダウンで話が進んで一月後コンサル契約を締結するに至った。

ここまで漕ぎ着けるのに3年近く遠回りした。でも無駄な時間ではなかったのだとも思う。
実際3年前にはISOより簡易なシステムというものは社会的に認知されていなかった。
だから、今がその時だったのではないかと振り返ってみてそう感じる。

最初は対応できる手っ取り早いところから廃棄物処理問題に取り組んだ。「ゴミのことなら大ちゃんに聞け。ゴミ大臣に(笑)」と冗談半分にからかわれたりもした。
四日市市の廃棄物処理業者のミズノの僕と同年代のM専務には大変お世話になった。色々相談に乗ってもらったり愚癡を(^^)聞いて戴いた。中でも僕を勇気付ける温かい言葉をかけて下さったことは一生忘れることはないだろう。
「山本さん、どんな会社でもゴミの問題に関してはね、冗談じゃなくゴミ大臣と言われるほど真剣に取り組む情熱を持った人がいないと解決しないものなんですよ」と。

運用を開始した工場全員の意識も最初とは違ってきているようにも感じる。
でも工場の人たちから「やり始めると面白いし気持ちいいもんだな!」なんていう言葉を聞くと本当に心からやってよかったと思う。
やらされているという意識から、誇りを持った行動へ。目には見えないが、結果として大きく意識が転換したのだ。


ジョンレノンは『イマジン』で「想像してごらん」と教えくれている。
オノヨーコは「ひとりで見る夢はただの夢です。けれど、みんなで見る夢、それは現実になります」と語る。
これはもう30年以上も前にジョンとヨーコが世界に向けて発信した考え方だ。
「イマジン」の想像力
一人一人が同じ方向性の夢とか希望を持つだけで、フワッとひとつ世界中の次元が上にあがることが出来る…2004年のジョンレノンスーパーライブに出演した宮沢和史さんは「すげぇメッセージをジョンは残してくれてたんだ」とインタビューで語っていた。


環境問題の根っこは、みんなの心の中にあるのだ。
立場や置かれている環境など何も関係ない。例えて言うなら政治家だろうとホームレスだろうと、会社員だろうと自営業だろうと公務員だろうと、大人であろうと子供であろうと、女性であろうと男性であろうと。何も関係ない。

大事なものはひとつだけ。決して忘れてはならないことがある。
自分ひとり頑張っても…などという無力感に苛まれる必要など絶対にないということだ。大丈夫なのだ。
もどかしくとも一人一人、じっくり話し込んで意識を変えていくしか手がないのだから。遠回りのようだけれどそれしかない。結果は一番の近道となる。振り返ってみた時。初めて気付く。
ただし勿論時間は限られている。だが焦る必要はない…と信じるしかない、こればかりは(^^)
何故なら焦っても何も変わらないし、だとしたら変えようと最後まで努力し抜くしかない。現状の中でもがき苦しむしかない。逃げずに。
想像することを、創造することを諦めずに。最後まで。
夢を、見るのだ。


先月末までにそこまでやり切って。そいで俺来週から新しい部署に異動になるんだもんなぁ。
やり残したことも沢山ある。何だか名残惜しいな。でも僕は僕なりに精一杯結果を残したぞ。それだけでもいいじゃん。
まあまた新天地でも自分の新しい使命を見つけて、必死こいて仕事するだけさ。
だって家族4人食ってかなきゃなんないからな~♪父ちゃん頑張るよッ(^^)

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