« 子供の寝顔 | トップページ | おむすびクリスマス »

2005年4月19日 (火)

文通

小学一年生の時。
僕の人生において初めての担任の先生は女の人だった。


入学式が終わって通常の登校が始まると、ランドセルを背負って、靴入れを持って、半ズボンにタイツを履いて、分団で上級生のお兄さん達と登校した。
幸い、僕の家の裏に住んでいた幼なじみの裕ちゃんが同じクラスだったから、慣れない学校へ通う心細さは他の子よりはましだったかも知れない。

幼稚園と違って、小学校では時間割がハッキリしている。
毎時間、放課を挟んで担任の先生が教室にやってくる。


最初は気付かなかったのだが、この先生は実は怖い先生なのだということが段々分かってきた。
宿題を忘れてきたり言うことを聞かない子がいる時などかなりヒステリックに怒る先生だった。
いま思うと、今の僕の歳より若い先生だったに違いない。
僕が3年生に上がる前に苗字が突然変わったからその時先生は独身だったのだとその時知った。
そして3年生になる時に、先生は学校を辞めて故郷の徳島に帰っていった。


で、担任の先生。大西先生という。
怒ると怖い。冗談抜きにホントに怖かった。
ある時など、何で怒られたか覚えてないけど、授業中に男女構わず10人くらい一列に前に並ばされて(もちろん僕もその一員だった)、端から順に一人ずつ往復ビンタをされたことがあった。
親にもハチかれたことがなかったから、ホッペを張られると星が見えることもその時初めて知った。
そして一人また一人と順番が迫ってくる時のあの恐怖。文字通りチビる女の子もいた。僕も、ちびった。

小学校とはこんなに恐怖に満ちた世界だったのか。
他のクラスのことは知る由もなかったが、どのクラスもきっと同じ状況なのだと子供心に思っていた。逃げ場などないのだと。
まさか…そんな筈はなかったに違いない。僕のクラスは特別だったようだ。


授業中、トイレに行きたくなった時など最悪だった。
おしっこしたい、トイレに行かせて、などと言える雰囲気では決してない。別に気にせず手を挙げればきっと行かせてくれたには違いないだろうが。

その当時の学校の机は、二人がけの横長の木製のものだった。机は繋ぎで、椅子が二つ。男女一組ずつの席順だった。
ある時、僕の隣に座っている子が我慢に我慢を重ねたが限界を超え、椅子に座ったまま終に漏らしてしまった。
漏らしながら、その子は泣いていた。何もしてあげることが出来ないまま、見ている僕も泣きそうになった。
先生は「何でもっと早く言わないのよ!」と、また烈火のごとく怒った。その子を椅子から引き剥がし、突き飛ばすように廊下に押し出した。クラスの子全員が凍りついたようになった。
子供心に、言えなかったのはあんたのせいだ、と思った。

その数日後、今度は僕が限界を超えた。
その日は体操服の長ズボンを履いていたから本当に幸いだった。
僕から漏れたものは全てズボンが綺麗に吸ってくれたから、先生には申告しなくて済んだ。
ただ、隣に座っている女の子にだけはその事実を告げた。その子は優しく頷いてくれた。


二年生になる時、クラス替えがなかった。どうやら二年ごとにクラス替えが行なわれるらしい。
それでも担任の先生はもしかしたら変わるかもしれない、といった子供心にささやかな希望の光は教室に入ってきた同じ先生の顔を見た瞬間に脆くも打ち砕かれた。


堪りかねて、何回か母に訴えたことがある。「先生が怖い」と。
母は取り合う風はなかったが、どうやら他の子等も同時期に同じ苦情を親に洩らしていたようだ。
あとから聞いた話だと、そのあまりのスパルタさが教育委員会で問題になり、僕等を最後の教え子として教職を追われたのだということだった。


僕の少年時代。
小学校から中学まで、当時の先生は須らくみんな怖かったと思う。
体育会系の先生が木刀や竹刀を持って廊下を歩いている光景も至って自然。それで当たり前だった。
きっと今ならそんな先生は暴力問題教師として即新聞に載るだろう。


大西先生が徳島に帰る時、金城埠頭まで見送りに行った。
さんふらわあ号で先生は帰っていった。


あれだけ怒られたのに、不思議なことに僕は先生が好きだった。いや、大好きだった。
確認したわけではないが、クラスのみんなも同じような感覚を持っていた様だ。だから見送りにきたのは生徒のほぼ全員。親も一緒に来ている子が多かった。
なんで先生辞めちゃうんだろうね、と口々にみんなで話し合ったりした。
顔をクシャクシャにして船のデッキから紙テープを放る先生の姿は今でも目に焼きついている。


確かに、スパルタでヒステリックに怒り過ぎる先生ではあったが。
その裏に時折見える愛情を、子供心に感じていたのかもしれない。
とても人間らしく、いい先生だった。


先生が故郷に帰られた年から、僕は毎年必ず先生に年賀状を送った。
先生も、必ず返信を送ってくれた。

一年に一度だけの、先生との文通。
とうの昔に教職を辞めた人でも、僕は先生、と手紙の中で呼ぶ。


そしてそれは、37歳になる今まで。
30年近く一年も欠かすことなく続いている。

|

« 子供の寝顔 | トップページ | おむすびクリスマス »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 文通:

« 子供の寝顔 | トップページ | おむすびクリスマス »