致命傷となる中断
例えば。
何かのテーマについて継続的に時間的制約のない状況で取り組んでいる時に、何の前触れもなく閃きがあったとします。
おおにしてそれは文字通り沸いてくる、といったものです。
それは心理状態や体調に左右されることなく、自分自身にとっては思い掛けない突発的且つ非常にラッキーな出来事足りえます。
解りにくいですね…。例えばこうです。
自分にとってのオリジナル、言い換えれば今まで自分が体験し得なかったものを創ろうとしている時。
例えば…作曲しようとしている時。んん…あまりに特化し過ぎて更に解りにくい??まぁいいです。筆を進めます。勝手に。僕のブログですから。僕の自由にします。
え~偶にあるんです、そんな状態が。誰でもありますよね…?ない??
それが仕事中不意にあるフレーズが湧いて来る時があるとします。主に単調な労働をしている時に。
生理学的に言うとα波が出ているんでしょうね。…おぃおぃ仕事中だぞ?(^^) それは仕事中には不自然かも知れないけれど脳がリラックスしている状態です。
いわゆるゲーム脳の典型的症状に見られるβ波とは決定的に違います。何故ならその時僕は確実に思考していますから。但し仕事目的以外の脳の部分が(^^) 会社人としては失格か?でもそれは僕以外判り得ない事だ、他事考えてるって。キッチリ仕事さえこなしていればの話ですよ、勿論それが大前提です。
ええと補足しときますと「ゲーム脳」とはそれが無意識であろうと脳が完全に受動を受け入れている状態です。テレビゲームを長時間繰り返し続けていると顕著に現れる波形です。それこそまさに人間がロボット化する危険性を孕んだ現代病。慢性化するとβ波が出っ放しになります。すぐキレる原因はこれです。思考する前に手や体や口が動いちゃう状態です。
横道に逸れましたが。閃き、です。但しその閃きが不意に訪れるには条件があります。それは独りでいる時に限ります。
誰か一人でも近くにいる時、決してそれは訪れることは無いのです。
そんな時です。
例えば構内呼び出し電話で「山本君山本君、1番に○○さんから外線入ってます」というアナウンスがあるとします。
…ヂ・エンドです。
解って頂ける人にはきっと伝わると思います。いま、僕が言いたいことが。
そんな感覚はもしかして誰にも理解され得ない僕だけの特異な状態なのかもしれないと思っていた時に、一冊の本と出会い、それが知的生活を営んでいるある種の人間固有の感覚なのだと確信させて貰えたのです。

生まれて初めてのことです。これ程共感できる本に出会ったことは。
どのページから拾い読みしても、です。その通りだ、その通りだ!と文字通り頷きながら読んでいます(^^)
渡部昇一さんに是非お会いして一晩くらいかけてじっくりお話を伺いたい(^^)
例えば僕のこのブログの拙い文章の記事にしてもそうです。
あ、これについて書きたい…と思う時は必ずパソコンの前に居る時ではないのです。
パソコンの前に居る時なんつのはロクな発想は湧いてきません。
手応えのあるアイディアが湧く時とは、必ず開放的な外に居る時です。
だから、その瞬間の気持ちを維持しつつ…例えばブログならパソコンの前に辿り着くまで、曲のフレーズならそれを何らかの形で記録出来るまで。
必死にテンションを維持し、持ち堪えようとしている時に。
それを中断するという行為がいかに致命的な結果をもたらすか。
分って下さいますでしょうか。
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