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2005年10月11日 (火)

タモリさんのお陰

あまり出口が強くない僕はしょっちゅう切れていた。
野太いのをしたあと拭くと大抵血がついている。

ある時テレビでタモリさんが「そもそも拭くって行為自体が自然に反してるっちゃー反してるんだよ。そのままにしておくか流すのが一番いいんだよ」と言っていた。
そのままにしておくってのは原始人じゃあるまいしどうかと思うが流すのはなるほどある意味その通りだと心から感服した僕は一度試してみようと決意した。ウォシュレットを。

それを初めて体験したのは結構遅く、35歳の夏だった。お尻が酸っぱい感じのするそれはひと夏の経験だった。
自宅には無いけれどそれはちゃんと奥さんの実家には設置されていた。でも使わなかった。
僕は結構、保守的なところもあるのだ。この場合に何を保守しているかはさておき。
まあ、使わなくても別段困らないし生きていけると思っていたから というのが大きな理由ではある。
もし万が一の時いざとなれば大黒堂とか松油があるし。対症療法でいこうと。


で初めて使った時はそれはそれは強烈なカルチャーショックでした。
図らずも「おっ おおおっ おおっ お」 と声が出ました。
嫁が入院していた病院の職員用のトイレでのことです。
だってそこは普段限られた人以外誰も使わないから滅多に人の出入りが無く気兼ねなく大きい方が出来るんですもの。
それまでそこを使う時に手元に温度やら水流やらのスイッチがあるのは知っていました。気にはなっていたんです。でも使う勇気が出なかったんですね。
でも微笑むタモリさんに背中を優しく押されたような気がして遂に僕は一線を越えることが出来たのです。


その日以来ウォシュレットの無い洋式便座に物足りなさを感じてしまう僕がいます。
ただ悲しいかな自宅には経済的な理由により設置するには至っていないことが残念極まりないです。
その反動か奥さんの実家に行った時はここぞとばかりに使いまくっています。必要以上に。


紙で拭く代わりに水で流すわけだから紙の節約になりそれはエコだと聞く。
しかし僕の場合そうでない場合に比しても紙は同等の量を使う。
まずウォシュレットの場合便器に引っ付かないように一枚、仮拭きに一枚、仕上げに一枚、便座に飛んだのを拭くのに一枚。占めて四枚。(単位補足:約30cmで一枚)
紙拭きの場合でも同じ枚数を僕は使う。それは物心ついたときから決まっていることなのだ。変えようが無いのだ。
そう考えると水代がオプションとして付加されているわけだから僕の場合決してエコではない。

何を書いているんだろう?


何を言いたいのだろう。
一つだけハッキリ言えることは今の健康な僕の出口があるのはタモリさんのお陰だということでしょうか。

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