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2005年11月28日 (月)

てんとう虫で思うこと

子供は無邪気。
子供には邪まな心が無いのです。ひとかけらも。

大人が、それを植えつけていくんです。


土曜の午前中は妻が近所の子供達にピアノを教えることになっているので、その間、僕は子供の面倒を一手に引き受けることになります。
妻がどれだけ子育てのプロだろうと幾らなんでもまとわりつく子供二人の面倒を見ながらピアノを教えることなど到底不可能だからです。

毎週土曜日になると地域で資源ゴミの収集があります。近所のユーストアが行政とタイアップして駐車場を提供する形でそれを行なっているわけです。
これはピアノ教室が行なわれている時間を消化するのにもってこいなわけで、だから僕はこれに子供を連れてゴミを出しに行くようにしています。
勿論、チビ達もノリノリでついてきてくれます。フレコンにゴミを投入するという仕事にも喜んで取り組んでくれます。
でもひとつだけ苦情を言わせて貰うとお前ら分別基準が全くなっていないのが難点だぞ^^;(お陰でゴミ当番のおっちゃんにいつも睨まれながらチビが投入したものを僕が再分別するんです)


そして、ゴミ捨てがひと段落すると次はお決まりの公園コースです。
うちの近くに小さい公園があります。
ブランコが二基と滑り台が一基。後は鉄棒の大中小、そして砂場がひとつ。
公園の持つべき機能を最小限まで抑えたある意味純粋な子供の為の公園です。
ここで小一時間遊びます。
最初はパパと一緒に公園デビューか?と意気込んでいましたがさすがに土曜の朝早くでは近所の奥さん連中も動きが鈍いようなので安心しました。


公園で子供と遊ぶ時。
この時、僕は極力子供の目線に立つようにしています。
つまり、しゃがむ訳です。

会社で、上司がこんなことを僕に教えてくれました。
「子供の写真ようけ撮るやろ?そん時な、子供の目線まで下りて撮ってみ。オモロイ写真たくさん取れるぞ」

子供の目線になってみると、今まで見えなかったものが見えてくるようになるから不思議なものです。
その時こそ、ああ僕の心はすっかり曇ってしまっているのだなあ と痛感する一瞬です。

例えばそこここに転がっている空き缶や、煙草の吸殻、等々。大人が捨てたもののその全てが、子供の目には宝物のように映っていることを僕は知るのです。
大人が「ダメ!汚いから」と言うまで、それは眩く輝く宝石であり、そして試しに口に入れてみたくなる興味深い存在なわけであるのです。


そして昨日のことですが、その公園で僕は十何年かぶりかでてんとう虫を見つけることが出来たのです。僕は人差し指の先に彼を乗せて、これがてんとう虫だよ と子供に教えてあげることが出来ました。
怖がりながらもそれを見つめる子供達の目は、キラキラと光っていました。


無邪気さ とは、まさにこの姿そのものなのだ と思います。
物事を疑うことを知らない、真っ白な生命の状態です。


我が子供達よ。
僕は君達に誓います。

ひとかけらだけでもいい。
無邪気な心を、いつまでも持ち続ける大人になってくれるように、僕達夫婦は全力で君達をどこまでも誠実に育てます。
僕達には、その責任と使命があるんだ。

どうか、今のその無邪気な心を忘れないでいて欲しいんだ。
疑うことから入っちゃダメだよ。信じることから入るんだ。
否定から入っちゃダメだ。肯定から入るんだ。
大事なことは、純粋であることなんだ。

そしていつか、無邪気な君達を見つめて今のパパが感じたこの話をしてあげる。

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