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2005年12月

2005年12月31日 (土)

声は夢に通ず

声を出す。
これは意外と大事なことのようだ。

声とは自分の口から出た音声。言葉。
それが自分の耳に届く。自分の声を聞く。要するにフィードバック。ギターでもアンプを通してよくやるそれ。まあギターはどうでもいいけど。
で自分の声が自分にフィードバックされるとどうなるか。脳に響く。良くも悪くも。
つまりいい声、いい言葉は脳を活性化させる物質(セロトニンetc)を多く生み出すらしい。
逆に悪い言葉はそれを阻害する。それは愚癡やネガティブな言葉。
つまり苦しい時ほどポジティブな言葉を意識的に口に出した方がいいらしい。極端な話それは嘘でもいいらしい。
笑顔もそう。笑うと免疫力がアップすることは医学的にも証明済みのことである。楽しくなくても無理やりにでも笑顔になってみるだけでネガからポジに転ずる。
じゃあそれをして損か得かと言われれば元気になる方が良いに決まっている。


そう理解した上で目標や決意を口に出すことを考えてみる。人前で自分のそれを公言することの意味を。
ある側面ではそれはストレスともなり得る。
また一方では脳を活性化させる脳内化学物質のドーパミンの分泌を促す。そしてそれはやる気へと繋がっていく。
その場合公言する目標は大き過ぎても小さ過ぎてもいけないらしい。確率50%ほどが最もいいらしい。
簡単には出来ないけれど実現不可能でもない程々の目標。それが最も多くのドーパミンの分泌に繋がるらしい。
要は自らの意識で自分の脳を「できる脳」に変化させていく。
そしてそのキーとなるものは「自分の声」なのだ。


そう考えると夢を語るという行為は、自分を高める上でもとても大事なことになる。
とにかく口に出していくこと。そして出し続けていくこと。
そこにチャンスが生まれてくる。縁も出来る。色んなものがそこから拡がっていく。
夢や思いを自分の胸にしまいこんでいては何も生まれない。


「有言実行」と「不言実行」。
日本人は後者が望ましいと思われがちだけれど、夢を実現するためには医学的にも現実的にも実は逆なのだ。
だから声に出していく。声には力が間違いなくあるのだ。だからまず、声。
自分に対して遠慮していて何がどうなるものか。

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2005年12月27日 (火)

仕事とは

高校生と話す機会があった。

工業高校に通う3年生の男子。
来春の就職先ももう既に内定している。
会話の途中、彼は僕にこう質問した。
「あのですね~仕事って、何なんですかねえ?」


僕は返答に困った。
ん~。あれ?即答できないぞ。
でよくよく考えてみる。
一体何なんだろう。仕事とは?

取り敢えずこう答えておいた。
「まあ・・・何ちゅうか・・・生活するための基本やろなあ?何だかんだ言っても日本は資本主義国家やからねえ?」 と。
これは我ながら非常に歯切れが悪い。
彼は分った様な分らない様な、そんな顔をしていた。


そもそも仕事とは一体何なのだろう。
じっくり考えれば模範的な回答は色々あるとは思う。
そうは思うがしかしこれから社会人になろうとしている若者に希望を与えるような回答が出来なかった自分が少し情けなかった。
ただ食べる為だけに働くんだよ って。確かにそうには違いないのだけれどもうちょっと格好のつく言い方はないものか。

実際、世間に出て自分の足で立とうとすることは物凄く大変なことであるし、労働という行為は総じてきつい事ばかりだ。
好むと好まざるとにかかわらず、自分の持てるエネルギーと時間の多くをこれで消耗してしまう。
それでもなぜ働き蜂のようにせっせせっせと人は働くのか。
仕事とは一体何なのか。その明快な答えは僕こそ知りたい。


でその高校生の彼であるが、逆に僕は彼に質問してみた。
「じゃあさ、将来の夢っちゅうか・・・もちろん今現在の夢でもいいんだけど、何か持ってる?」
「う~ん、夢ですか??」
「そう」
勿論僕はこれを切り口に仕事に絡めて何か話を継ごうとしているわけである。
暫く考えた後で彼はこう言った。
「夢というか・・・今のところ一番興味があることでもいいですかね?」
「ああいいよ!教えてよ」

そして彼は一言ポツリとこう言った。
「萌えを極める ってことっすかねえ」

「・・・」
「・・・」


「・・・・・・萌え?」 と僕。顔のどこかがピクッとした。
「はい。萌え」 と彼。神妙な顔。

僕は、頭の中が真っ白になった。

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2005年12月26日 (月)

支えになるもの

安藤美姫がトリノ五輪への切符を勝ち取った。

ノミネート直後の氷上でのコメントは「苦しかった時に支えてくれた周りの人たちのお陰です」 の一言だった。
誤解を恐れず端的に言ってしまえば現在スランプに近いものに喘いでいる様にすら見える18歳の少女である。だからそれは本音だろう。
余計に胸に響くものがあった。

苦しい時。
第一線の舞台からの引退を考えた事もあったという。
泣きながらの会見を覚えている。
「大好きで楽しくて仕方がなかったはずのものがいつの間にか楽しく思えなくなってきた」 と。
それは体験した者にしか分からないものだろう。

苦しい時。
どんな些細なものでもいい、支えになるものがみんな必要なのだ。誰にでも。どんな人でも。
それは耳に聴こえる励ましの声であったり、聴こえはしないが心で感じる声であったりもする。
またそれは偶然知った遠方の友の姿であってもいい。誰に伝えるでもなくひた向きな友の姿。
支えになるものとは自分にしか分からないものなのだ。それは自分で理解しそして感じることしか出来ないものなのだ。


大切な友へ。
あなたの声が、僕には聴こえています。


---
画面を見つめていた。
その場においては無謀に近い四回転ジャンプに挑戦することより、自分が納得し満足できればいい という開き直り ではなく…彼女の表情には無心の境地に近いものを感じた。
僅かの間で、彼女の中で大きく何かが変わったように思える。
周囲との勝負より、自分との勝負を選んだひとりの人間の姿をその時僕は見た。

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2005年12月17日 (土)

3.14

原口證さん。59歳。

どうやら至って普通のおじさんのようである。
ところがこのおじさん。凄いのである。

自己の持つ世界記録を更新された。
しかも前回記録樹立時は、会場の公民館の閉館時間になってしまい止む無く途中で断念したという。
で今回。
時間制限のない会場を滞りなく押さえ^^万全の体制で臨んだという。
そして開始より13時間後。日付が変わって夜中の午前1時26分。
8万3,431桁まで諳んじてしまったというのだ。
円周率を。


よほどの天才か並外れた努力家と思いきや、そんな原口さんの経歴を知って更にまた度肝を抜かれた。

小学生の時など成績は良い方ではなく至って普通。
暗記など決して得意な方ではなかったらしい。
高卒で電気部品メーカーに就職。

幼い頃の体験があるそうだ。
心に病を抱いた人の姿を目の当たりにしてからずっとそれが心の奥底に残っていたという。
そういう方たちの支えになれたらいいとの思いで39歳の時に放送大学に入学。
「人間が考え出したものから離れてみたくなり」壮大な宇宙に思いを馳せるように。
自然科学や哲学、心理学を学ぶ。
その時、小学生の時に習った円周率と再会する。

51歳で脱サラ。その後心のケアを主眼とした奉仕的なお仕事に就かれる。


自由な時間が増え、暇な時間に覚えた円周率を何気なく口ずさむと平常心が保たれることに原口さんは気付いた。
それまでの怒りっぽかった性格が穏やかになっていくのを感じたという。


覚え方がまた独創的である。
日本語による語呂合わせだそうだ。
1は「あ」「い」「ひ」、2は「つ」「に」「の」などひとつの数字にいくつかの言葉をあてはめる事によるものらしい。
すると3.14159265・・・は「さあ安心得んと国許去った儚きその身は・・・」という文章に変換される・・・らしい^^
要するに円周率を翻訳(!)して壮大な物語を構築するのだと。

その発想、どう考えても普通じゃない。
そのストーリーは北海道を出発点に中国シルクロードへ渡りやがて世界一周の旅に出たという。


そしてある年の正月。
原口さんはお屠蘇を飲みながらほろ酔い加減でその物語を思い返していた時に「アレッ?」と気付いたらしい。
「もしかしたらこれで世界に行けるか?」

その後毎晩晩酌をしながら物語をボツボツ再構築していったという。

そしてその3年後。
「僕は全くの凡人。頑張らないで気楽にやったら出来ちゃった」
そう言う原口さんは家族に見守られながら人類未曾有の記録を樹立した。
2005年7月1~2日。


それを知ってしまってからのこと。

ビートルズの歌詞を覚えることだけで四苦八苦している自分がなんとちっぽけに見えたことか^^
ちっちぇ~なあ自分^^;

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BRAIN VALLEY

一気に読んだ。


これは学術書か?と思うほど精緻に途轍もない量の科学的知識が書き込まれている。
脳科学、神秘体験、人工生命、臨死体験、UFOによる誘拐(アブタクト)、神 ・・・etc.

以前よりこの本の存在は知ってはいたものの読むには至らなかった。
しかし偶然新書文庫のコーナーにあるのを見つけ紹介文に書かれたこれらの単語が眼に入るや僕の読書欲は抑えることが出来なかった。


瀬名秀明著。
何年も前に処女作の「パラサイト・イヴ」を読んで衝撃を受けた。
もとよりSFものが大好きだった僕は中学生の頃から小松左京マニアであり、日本人でこれを凌駕する作家は当分現れないだろうと思っていた。
生まれ年は僕と同学年。凄い才能と力量を持った作家が遂に現れてしまったと思った。

その文章の持つ力は凄い。映像が目の前に鮮明に具現化される。
場面の切り替えもにくい。本当にテンポのよい映画を観ているよう。

次元は違うが映画マトリックスの世界はこの物語のごく一部に過ぎないようにすら思う。
現代の最先端の科学の圧倒的な情報がここに詰め込まれている。


手塚治虫先生がスティーブン・スピルバーグの「未知との遭遇」が完成した折、その情報を聞くやいなや居ても立ってもおられずアメリカまで飛行機に乗って封切り初日の劇場に並んだというエピソードを思い出す。

もしもこの物語が映画化されるとしたら。
僕は封切り初日に仕事を休んで真っ先にそれを体験しに行くに違いない^^

(ちなみに本書は新書版(≒角川文庫版)→新潮文庫版になった時点で作者による全面的な校閲が行なわれたというので新しいほうがおすすめ)


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2005年12月14日 (水)

背筋がゾッとする話

恐らく丑三つ時の時刻だったと思う。
何とも厭な音を聞いた。
今こうして思い出すだけで身の毛がよだつ。

「ぎぎっ・・・ぎぎぎっ・・・」


時間は確認出来なかった。思いがけずあまりにもゾッとしたからだ。
僕は恐怖のあまり布団をかぶって耳をふさいで寝ようとした。
そして音のする原因を考えた。それは間違いなく寝室の扉がゆっくりと開く音だった。

それが夏場なら僕は納得できる。窓を開けて寝室のドアを半開きにしていたとしたら風が吹いてドアを揺することがある。
だが今は真冬だ。早朝は氷点下近くまで気温は下がり雪が舞ったり霜が下りる季節だ。
当然窓は閉め切っている。当たり前だ。だから部屋の中に風が入り込むはずなどない。

ならば何だ・・・?
ドアをゆっくり開けようとしていたものの正体は一体なんなのだ?


その後再びドアが動くことはなかった。
妻や子供は小さく寝息を立てて安らかに眠っている。
僕はドアを背にし、布団に包まって身を小さく縮ませたまま、ひとりガタガタ震えながらまんじりともせず朝を迎えた。


翌日、普段通りの一日が過ぎた。本当になんでもない一日だった。

そしてその日の晩、眠りに入る間際に僕は昨夜のことを思い出し、僕が体験したその事を妻に告げた。

そしてその時、僕は衝撃的な事実を妻の口から聞かされ、文字通り背筋が凍るほどの思いをすることになる。
その驚愕の事実を知ったこと・・・それはまさに背筋がゾッとする恐怖体験であった。


妻は一言。軽~くこう言った。
「ああ、昨日ね。今朝見たら窓開いてたよ。網戸だったねぇ」

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星回り

ここ最近何かと忙しい。混沌としている。ケイオスである。
新しい部署に移って初めての師走だ。
こんなに年末の業務がムチャクチャになる部署とは思わなかった。
うちは年末決算だから尚更だ。棚卸もある。締めも通常月よりずっと早くなる。
一日が倍ぐらいのスピードで過ぎていく感じがする。


僕は昔からよく思うことがある。
なぜ僕はいつもこんな状況に追い込まれてしまうのだろう。
望むと望まざるとに拘らずである。
それは思い返せば子供の頃からだ。
小学生の時、これだけは絶対になりたくないと思っていた学級委員になった時もそうだった。
それはしかも一番ややこしい6年生の後期だった。だってその時ゃ卒業文集を完成させにゃならぬ最悪の時期だ。

厭だ厭だ避けたい避けたいと思えば思うほどそっちから近づいてくる。
背中を押されるから上手いこと肩でかわしてかわしてふと気付いたら一番前に立っているような感覚だ。
何か、知らないうちにそういう状況になっている事だらけだ。


ずっと前にお袋がこう言ったのを僕は鮮明に覚えている。
「あんたはそういう星の下に生まれてるんだよ」

ん・・・。


・・・どういう星だ?
母ちゃん、教えてくらさい。

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共時性

心理学で言うシンクロニシティ。
偶然の一致を超えている現象。
物理学では形態共鳴とも呼ばれる。


共時性というものは普段ごく普通の生活しているだけでも体験することがよくある。
例えばこうである。
このブログで何かについて書こうと思った時、よく見に行く他のブログで同じテーマのものが取り上げられていたりする。
何かについて知りたいと思った時、偶然その関連記事が書かれた新聞記事とバッタリ出くわしたりする。
随分会ってもいず思い出したりもしなかった人のことを思い出した途端ありえない場所で偶然出会ったりする。
「100匹目の猿」という話もある。
一度形態の場が形成されるとそれは時空を超えて世界に影響を及ぼす。

以前に、「SYNC」という本に触れた。
これ実はまだ完読していない^^;志半ばで止まってしまったのだ。途中難解過ぎてどうにも読み進めていけなくなってしまった。半年以上も前の話。
自分自身非常に興味を惹起される内容だったので勢い込んで取り組んだが挫折^^;
で巡り巡って、またそこに戻ってきた。時間さえあれば読み切りたい。と思う。


こう思うに至ったのは、とあるバンドマンと話をしていて(話といってもメールだが^^)、その中でビートルズバンドのブームについてどちらからともなく言及したことがあってからのことだ。
僕がバンドを始めた時、中部地方なかんずく名古屋近辺でもあちこちでウジャウジャと新しいビートルバンドが誕生していた。
その時はその渦中にいたので自覚はなかったが、今過去を振り返ってみると確かに間違いなくブームのようなものがあったようだ。
あちこちに色んなジョンがいた。色んなポールやジョージ、リンゴがいた。
自然発生的に、そういうムーブメントが間違いなくあったのだ。特に中部地区全般に。日本中でも中部・東海が一番熱い時だった。


「時」というものは実に不思議である。
同じ事をしても、時を誤まれば全く違う結果になったりする。
まあ、どういう結果になったにせよ何もしないでいるよりはずっとましだと思うけれど。

たった一人の変化が大きく周囲に影響を及ぼす事もある。
二人、三人、四人であればなおさらだ。


ビートルズのマジックは、僕らの生活のこんな身近なところにまで現在にわたって影響を与え続けているのだ。

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2005年12月 2日 (金)

いま、グリム?

『グリム童話』
マイブーム中。

なしてグリム??

特に意味なし。
図書館に返却に行って気がついたらドイツ文学の書架の前に立っていた。


しかし侮る事勿れグリム兄弟。
つくづく思いますが童話というものは基本的に子供にゃ~理解できないものなのですなあ。
本質的には別として。

gd

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2005年12月 1日 (木)

冬場の気がかり

あっちゅ間に12月である。
ここのとこ朝晩めっさ寒い。今朝から流石の僕もコートを着た。何が流石か?
先月まではコートを着ているおじさんなんかを見るとけ~もう着てんのと思っていたのだがここまで冷え込むと背に腹は替えられない。

大体いつも衣装を替える時期というもの僕はなかなか踏ん切りがつかない方だ。
学生の時などは夏服冬服というものがきっちり分かれていたから僕のような優柔不断人間にはこのシステムは非常に有り難かった。
ただ切替時期になると前後1週間程の準備期間がある。その時でも僕は期日ぴったりに着替えない事にはどうにも気持ち悪く思ってしまう。
さっさと着替えちゃえばどうってことない事なんだけども。

まあそれで今朝からコートを着た。温いですな。流石に。いいもんですな。


内緒にしている事なのだが実はもうひとつ今朝から着用したものがある。


これは、僕の場合一度着用してしまったが最後、春が終わりゴールデンウィークを迎えるまでそれこそ文字通り肌身離さず着用しなければならなくなる僕にとって非常にプライマリーなものだ。

それも併せて今朝から、着用した。


これの難点は、緊急事態のときだ。
脱ぐ時に着用している時としていない時とでは数秒のタイムラグが発生してしまう。
僕のようはゆるい体質の場合、切迫している刹那にその一・二秒が生死を分ける可能性がある。
それだけが気がかりなのである。

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