« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »

2006年1月

2006年1月28日 (土)

花より男子

最近僕はある試験を受ける為に日夜朝暮にかけて勉強している。

この歳になって勉強するということは並大抵のものではないと痛感している。心身ともにキツイのである。
勉強時間を創出する為には睡眠時間を削るしか手がないのである。


まあそんなボヤキはさておき、夜。
いつものように子供と一緒にお風呂に入って、ハミガキじょうずかな?をしてあげて、髪の毛ブォーをしてあげて二階に上がって延々とリクエストが続く子守唄をエンドレスで歌ってあげてようやく寝かし付けてからが勝負なのである。
これから如何に短時間で集中してなすべきことをこなすか。
まさしく真剣勝負である。剣豪の修行の如き である。


必死に机にかじりつく僕の後ろで妻は本を読んでいる。
まあ、いいさ。試験受けるのは俺だから。遅くまで付き合ってくれるのは嬉しいし。

で僕の背後でジーっとひたすら読み続ける妻。何を読んでいるのかというとマンガである。
「花より男子」というらしい。男子はだんごと読むらしい。なんじゃそれ。
聞くともう二順目から三順目に入るという。
30冊以上あるのに、凄いね・・・。その根性にあやかりたいもんだねえ。


昨日。
僕は「今日は勉強休み!」と決めた。ここのところ睡眠不足でどうにも具合が悪いのである。
あんまり詰めても返って効率が悪くなってしまうのである。と自分に言い聞かせるのである。
まあ、いいや。
そうと決めたら何しよう。ダラダラとしよう。

で何気なくそこにおいてあった1冊を手に取る。何か分厚いな。
聞くとそれは花男の完全版だという。
わたしとりあえず完全版を揃えたいから1巻だけ買ったんだよね と妻は言う。
ははーんよくあるアレか。スラムダンク完全版みたいなヤツだな?
完全版が出るということは、そんなに売れてるのか。あっそぅ、ふーん・・・。


で何気なくパラパラと読んでみる。


・・・。


んだこいつくっそー道明寺ムカツク。
類って藤井トーイみたいだよなあ?
この和也くんはこれからどう絡んでくるんだ?何か化けそうな予感がするぞ?
しかしつくしちゃんの三つ編みってかわいいよなあ。
男勝りなところも非常~に魅力的だなあ。


・・・。


「あのさあ。続き読みたいんだけど」
「いま他に回しちゃってるから家にないよ」
「いつ返ってくるんだ」
「いつかなあ」


「・・・」
「・・・」


「もういい!完全版注文する。アマゾンで買う。俺の小遣いで買う!」
で注文しました。とりあえず完全版の第2巻。

僕はこういうものはじっくり読みたい性質なんだよね。
だからちょこっとずつ揃えていこう~っと。早く届かないかな~♪


・・・勉強は!?
4088551141

| | コメント (2) | トラックバック (0)

人聞きが悪い

何でもオウム返しに真似をするうちのチビすけ達。


先日久しぶりにゆっくり晩ご飯を食べながらテレビを見ていた時のこと。
たまたまついていた番組がTVチャンピオンだった。
何やら秋葉系か何か僕にはよく分からないがフィギュアの彫刻師みたいな見るからにそっち系の人たちが凌ぎを削っていた。

「これってアレか? あのー、萌えか?」と僕は妻に聞く。
「はぁ~、こ~れは、萌えだね」と妻は答える。


最初はチラチラと斜めに画面を見ていたのだが気付いた時には釘付けになっていた。
これは・・・どうやら芸術の域に到達しているぞ。

ボディスーツやメイド系の衣服にに撚る皺のくびれ具合やその下に在る生身の肉体を想起させる着色テクニック、鏡に映るチラリズム、その全てが艶かしい程の存在感を演出していた。
これは・・・何なんだ。あのー、えーと。
もしこれが目の前にあったら僕は買うかもしれないぞ。
えー、一応僕の名誉にかけて誓ってお断りしておきますが僕は決してそっち系ではないので念のため。一応ね。
まあそんな感じでテレビを夫婦で食い入るように観ていた。夫婦でです。僕だけじゃありませんので念のため。


するとそれを見ていた上のチビが「もえ~もえ~?これ、もえ~?」とテレビを指さす。
うん。そうだね。間違いないね。これは萌えだね。
更に下のチビもそれを見てキタ━(゚∀゚)━!って感じでテレビに駆け寄り「もえ~もえ~?」と追従する。
その後延々ときゃっきゃきゃっきゃ言いながら二人で「もえ~もえ~」と言い続ける。


あのー・・・。

チミら頼むからお外でそんなこと言い出さないでね。
まるでパパにそういう趣味があっていつもそうやって言ってるみたいじゃんね?


しかし・・・貰えるんだったらこれ、欲しい。
いや、買ってもいい。
p3_b10p3_c13

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年1月22日 (日)

朴さんのこと

バブルの頃うちの会社は輸出の仕事が非常に多かった。

 

 

その頃僕は営業。輸出担当の部署で仕事をしていた。
僕の担当エリアはアジア。韓国や、中国。
短期間ばかりであったが何度も両国に海外出張をした。特に韓国。
ソウル、釜山、仁川、大邱、亀尾、慶州、全州、光州・・・殆どの都市に行った。冬ソナの春川を除いて。
今と違い韓国がまだその都度ビザを取らなければならなかった時代。観光だろうと就労だろうと。
年間20回以上も行き来していたからあっという間にパスポートのページが足りなくなって、増補という制度があることもその頃知った。
そして韓国市場を逐次モニターする為の現地駐在員として、朴さん(Mr.Park)という人を会社は採用した。

 

 

朴さんはいわゆる転職組である。韓国国内で勤めていた会社を辞め、外国の企業に就職するというそのバイタリティ。
いまだに僕はそこまでの思い切りを一度も持つことが出来ないでいる。
しかも朴さんはその時、日本語の「に」の字も喋ることが出来なかった。その代わり英語は達者だった。

 

入社後、半年間朴さんは日本で研修を行なった。母国に妻と幼い娘を残しての単身赴任である。
同じ部署ということで行きがかり上、当時独身の僕が朴さんのプライベートの面倒(というほど大袈裟なものでもないが)を見ることになった。
朴さんは僕より丁度10こ上。誠実で、真面目な方だった。
前述の通り朴さんは韓国語と英語しか喋れない。僕は日本語しか喋れない。
こういう時、どうコミュニケーションをとるか。
やはり、英語である。
気持ちさえあれば、片言の英語でも結構意志の疎通は出来るものなのだ。

 

 

オフの日に色々遊びに行ったりもした。
一緒に映画を見に行ったり。ターミネーター2とか。
その時は気付かなかったのだが、映画を観終ったあと喫茶店で話をしている時、朴さんが日本語が読めないことに僕ははたと気付いた。要するに朴さんは日本語の字幕がさっぱりだったのである・・・。

僕は大変申し訳ないことをしたと思い詫びたら英語は聞き取れてたから全然大丈夫とのことだった。なるほど。取り越し苦労だったのね。

 

 

ある晩、帰り間際に突然朴さんがどうしても今夜一緒に食事して下さい と頼んできた。
あいにく僕は外せない用事があった。父の見舞いに行かなければならなかったのだ。
だから断ると、30分だけでいいんです、一緒にいて下さい と言う。
(しつこいなあ)と僕は正直なところ内心思ってしまう。何も今日でなくても明日でも別にいいじゃんか。急に言われてもこっちにも都合ってもんがあるんだ。
悲しそうな表情をする朴さんを尻目に、じゃっ と僕は踵を返してさっさと帰っていってしまった。

 

 

後日人づてにその日のことを知り、僕は猛省することになる。
取り返しのつかないかけがえのないその日を、何と無慈悲に僕は踏みにじってしまったのであろうかと。

 

 

その日は、朴さんの誕生日だったのだ。
たった一人で異国の地で迎える誕生日。
朴さんはきっと、国際電話で家族に電話をし、その夜を過ごしたに違いない。
どれ程、寂しかったのであろうかと。
僕は朴さんに対し何と申し訳ないことをしてしまったのだろう。

 

 

僕も子をもつ親となった今、ようやく僕にも朴さんの強さが身に沁みて解るようになってきた。
そんな朴さんは、今はもう連絡先すらわからない。
もしこれから先朴さんに会うことが出来たならば、何よりも真っ先に僕はその日のことを詫びたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原因は怪力

どうも視力が落ちたような気がするのである。


疲れが蓄積しているのだろうか。目に。
いわゆる眼精疲労である。

考えてみると昨年3月に部署が変わってからこの方一日中パソコンのモニターを見つめていなければならなくなった。
冗談抜きに仕事している間殆ど一日中睨めっこなのである。モニター君と。
だからなるべくモニターから目を離す様に気をつけてはいるが、なにぶん入力や確認に神経を使わざるを得ないのでどうしても目が疲れる。
そして約10ヶ月。1年前に替えた眼鏡では追い付かなくなって来ているほどの視力の低下を感じてしまう。
奥さんはそりゃ老眼だよと最近その辺に神経質になってきている僕に言ってはならぬ台詞を言う。んなバカな。まさか。


会社帰りにマイカル桑名のキクチに寄る。視力を測ってもらうためである。
僕はずっとここで継続してメガネを買っているから過去のデータの蓄積もある。
この際、徹底的に現状把握比較検証しなければ気が済まないのである。

事情を話す。
どうもピントが合わないんです。本が読みづらく感じるんです。
そうですか、じゃあ一通り測ってみましょう。
で測定して貰う。念入りに。たっぷり30分ほど時間をかけて。
で結果。

一年前と変化なし。
僕は左眼の乱視が結構きついのであるが、それも変わっていないとのこと。

・・・。
いや・・・そんな筈ないんです。おかしいですね?何かが。だって現に見えづらいんですもん。
うーん と思いながらも科学的測定結果をとりあえずは飲み込む。


すると閉店間際に30分もかけて正確に測定してくれた店員の女性に対して何だか途端に申し訳ない気持ちになってきた。
明らかに視力が低下しているならそれはお店側にとっても商売にもなるだろうからやった甲斐があるようなものだし、僕だって何らかの対策を立てる事も出来る。
それが変化無しという結果である。
双方共に何となく、気まずい雰囲気になる。これではまるで僕が変な言いがかりをつけているようだ。

結論として、それは視力低下ではなく疲れ目で見えにくくなっている様に感じるのでは?とのこと。
気のせいってことか。うーむ。
でもまあ結果は結果。仕方ない。

折角だから少しゆがんだフレームを直してもらおう。結構子供にいじられているからなあ。
こないだなんかこんなんになっちゃったんですよ、急いでたから自力で無理矢理直したんですけどね と店員さんに教える。
megane


子供は、意外と怪力なのである。
それは、普通ではありえないもはや眼鏡と呼べない物体を目の当たりにした朝であった。


「あははっ!それは大変」と店員さんは厭な顔ひとつせず直して下さった。
閉店間際なのに訳の分からない勘違いもはなはだしい客を相手にこんな儲からない仕事を押し付けてしまって申し訳ありません。本当にありがとうございます。

でゆがみを直して貰った眼鏡を受け取る。
そしてそれをかけた刹那、僕はあることに気付いたのである。


よく見えるのだ。
「あの・・・気のせいかもしれないですけど・・・よく見えるんですけど・・・?」


その瞬間二人の間で殆ど同時に僕の訴える症状の原因が炸裂した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月21日 (土)

解決

先日書いた記事の原因が判明する。
自分では思い当たる節がなかったのだが、よくよく思んみればあった。原因が。


まず、朝:
血糖値を無理矢理上げるためにコーヒーに3gのスティックシュガーを2本入れる。言い訳がましいが。何を隠そう僕は甘党なのである。
その後10時:
小腹が空く。でキットカットやハッピーターンの類のものをパクつく。
昼食の後:
二杯目のコーヒーを飲む。習慣的にまた2本。ドバッと入れる。
15時:
10時に同ず。調子が良いともう一杯コーヒー。すでに3杯目。懲りずにまた2本。
18時以降:
ちょっと残業するとバスに乗って帰宅するまであと二時間ほどかかる。小腹でなく大腹が空く。何か入れなきゃな。で再びハッピーターン。


と奥さんにこれを話したところ「そりゃダメだ」と斬られる。問答無用。バッサリと。成敗される。


どう考えても腹筋より先にここらへんを改善しなくちゃなるまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

忘れ物

「おっおっおーっ」と言って誰かが背後から駆けて来る。
「わっわわっ」と言って僕はビクッと振り返る。

それはオッサンであった。
「ちょっと」か何か言いながらオッサンは指を突っ込もうとする。咄嗟のことでわけがわからないがこのオッサンどうやら気が動転しているようだ。
負けじと僕は先に指を突っ込む。何故ならそれは僕の当然の権利だからだ。

さすがに気が引けたのかオッサンは手を引っ込める。当たり前だ。何考えとるだオッサン。
でチャラチャラという音で僕の手の中にあるつり銭が事実30円しかないことをオッサンは確認する。


僕じゃない。
オッサン、遅かったんだね。

どうしました? と聞くまでもなくオッサンは照れ隠しするみたいに独り言のように言う。
「さっき1000円で1個だけ買ったんだよなあ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

悩み・祈り

ネットの向こうで悩んでいる人がいる。


どうにか手を差し伸べたい。がその手段がない。
近いようで、遠い。
詳しい状況も分からない。断片的にしか。
名前も素性も知らない。ネットだから。
ただ悩んでいるということだけは解る。痛いほどに。

現実的には何もしてあげられないのかもしれない。
だからそれは善意の押し売りだといわれかねない。偽善だと。何様のつもりだと。
そして激しく自問自答する。


しかしただ話を聞くだけでもしてあげたいと思う。出来ることならば。
だから祈る。
何もしてあげられないとき、祈ることしか僕には出来ない。


僕は弱くちっぽけな存在であるけれども、そんな自分を卑下してはいけないと教えて貰ったことがある。
それは自分を冒涜することなのだと。だから自分を信じるのだと。


こんな時にはいつもこの言葉を引く。


悩みとは

悩みがないことが
幸福ではない
どんな悩みにも負けないことが
幸福なのである


自分だけの幸福ではない
人を幸福にできる人が
本当の幸福者なのである


祈りとは

それはあきらめない勇気だ
自分には無理だとうなだれる惰弱さをたたき出す戦いだ
現状は変えられる
必ず

それは恐怖の破壊なのだ
悲哀の追放だ
希望の点火だ
運命のシナリオを書きかえる革命なのだ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月19日 (木)

キタのか

先日会社から帰る時「よーし明日から休みだ」 と思った。

理由は全く不明だが月曜日なのに今日は金曜♪と思い込んでいたようだ。
自分史上こんなことは前代未聞である。
一日何を考えて仕事をしていたのだ俺は。本気で呆気たか。


明日からまだ火水木金と仕事がある現実とありえない勘違いをした自分のアホさ加減に僕はげんなりした。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年1月16日 (月)

NOと言えない

「それだから纏わり付いて離れないんだわさ」 と妻が言う。


僕は、イエスマンなのだ。
それもかなり筋金入りのメロメロ・イエスマンである・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月15日 (日)

こんなんできましたけど

ピラピラと妻が僕の目の前で振る。


妻が子供の新しい服を買ってくる。
赤色の、可愛いやつ。

で洗濯する。
でそれはそれは見事なピンクに染まった僕の肌着が出来上がる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年1月13日 (金)

演歌

歌番組が何気なくテレビで流れていた時に妻がふと気づいたように呟いた。
「そういえばさあ、私のお父さん昔から演歌聴いてるよ」


うん?そうなんだ?そうだね。
・・・で? と言いそうになってその瞬間僕もはたと気づいた。何かしらトテツもなく大事なことに思えることに。
そう言えばうちの父ちゃんもそうだったのだ。

僕がまだ小学低学年の頃だと思う。
父ちゃんはある日ラジカセを買ってきた。
そしてその晩テレビを生録しては後日聴き返し悦に入った表情をしていた父の姿をかすかに覚えている。
その頃の父の年齢は、30代前半だったはずである。
「うちのお父さんは20代の頃からだよ。ずっと演歌が好きだね」 と妻は言う。
僕の父はジョンレノンと同い年だ。
その今の5、60代の方達はいわゆる団塊の世代に当たる方々である。
その方達が「ああー懐かしいなあ」と目を細めるのがおおにして演歌なのである。


とすると何か?
例えば僕なんかどんな演歌を聴いても大抵一緒に聞こえてしまう程に何の感銘も無いのであるが、団塊の方達にはそれがほろ苦い青春のワンシーンと一曲一曲見事にリンクしてノスタルジーを呼び起こすものであるに違いないのである。
それが懐メロ番組というひとつのジャンルのテレビの番組が成立するに至っている理由なのである。

実を言うと僕は最近の歌番組を観ても若い子らが夢中になっている歌手(死語か?アーティストと言わなければならぬのか?)の歌を聴いても正直ピンとこない。
高校生の時あれだけ一世を風靡し夢中にさせてくれたヘビメタがダサさの象徴となってしまった現在である。
もしかして団塊さんが僕のほうに歩み寄ってきているのか?
いや僕が団塊さんに一歩また一歩と近づいていっているのか?そうなのか?


とすると何か?
僕が今で言う団塊相当の年代になる時。
その頃の懐メロ番組にはきっと恐らく青春のヒットパレードみたいにさだまさしや松山千春やアリスなんかが今の演歌に相当するが如く取り上げられているに違いない。


「そうだよ歌ってのはこういうものをいうんだよ」とテレビを見つめて遠い目でしみじみしている僕を眺めて娘達はきっとこう思うのだろう。
あーまた父さん懐メロ番組見て入ってるよ と。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年1月11日 (水)

アナログ考

その昔僕は収入の全てを楽器に注ぎ込んでいた時期があった。ほんの15年前のことだ。
勿論独身貴族時代の話である。今となっては夢のようなことである。
高校生時代にバイトしてバイトしてバイトしてバイトしてささやかな楽器を購入していたリバウンドか?とにかく給料やボーナスをぶち込んでバカみたいにローランドのシンセサイザーやら音源モジュールやらシーケンサーやら音色カードやらカセットMTRやら、週に一回は栄のセントラルパークの楽器店に足を運んでは滅多やたらに買いまくっていた。
思い起こせば何と幸せな時代だったか。
考えてみると投資額は合計ン100万円は下らないと思う。我ながらアホだった時代である。


昨日奥さんに付き合って楽器を買いに行った。
奥さんのある事情によりどうしても持ち運び用のキーボードが必要になった為である。
思い立ったが吉日である。晩御飯も摂らずに子連れで夜から出かけていった。こういう時だけは我が家は動きがメチャ速い。

で楽器屋で色々物色してこれぞというものを速攻で決定して即買った。3万円程である。
psr-295


それで思うのである。
当時収入の全てを注ぎ込んでいたものに全く遜色のないものがたった1/10ほどの値段で買えちゃうのである。


アナログのものは当時のものが最高なのである。味もある。そのかわりわがままも言う。
だが昨日買ったそれはアナログと違ってデジタルだから、幾ら値段が違おうと今のものに勝てるはずがなく当時のものは全く使い物にならないのである。パソコン君などはその最たるものである。


して考えてみるとアナログとは、限りなく生に近いものなのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年1月10日 (火)

痛みに弱い

大体がいつもそうである。
あっと思った瞬間時すでに遅しである。
これだけはどうにも幾ら気をつけていても同じことを何度も繰り返してしまうのである。
ようやく治りかけた部分を再度こりっと噛んでしまうのである。
そこだけ腫れているから余計に噛む確率が大きくなるのである。
僕は、痛みに弱いのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 8日 (日)

掌の小説

頼まれて正月休み中にCDを14枚コピーしなければならなかった。

年末年始は奥さんの実家に帰省(といっても車で10分の距離ではあるが)していたので、そこでノートを借りて休み最後の日にそれを行なった。
割と新しい型のマシンではあるがやはり一枚コピーするだけで結構な時間が掛かってしまう。
パソコンが置いてある部屋は今は大学院生となった義弟のもの。
手持ち無沙汰な僕は傍らにある本棚を物色する。義弟君の趣味が伺える結構ジャンルの偏ったマンガで溢れている書架である。そこで一冊の本を見つける。文庫本である。

『伊豆の踊子・禽獣』 川端康成著。角川文庫クラッシックス とある。
これだけそのマンガ群の中で異様に際立って浮いているぞ義弟君よ。いかにも何かにかぶれて購入したような感じを醸し出しているぞよ義弟君。


で何気なく手に取ってみる。そして気付く。
・・・僕は今に至るまでその文豪の文章に全く触れたことがない。

目次を手繰る。
タイトルになっている『伊豆の踊子』は知っている。三浦友一と山口百恵だ。小学生の時にテレビで見たような気がする。だが内容は全く覚えていない。子供心に大人の世界のような記憶が残っているだけだ。
200頁強の割と薄い本の中に8編の小説が収録されている。ちょっと読んでみようかな。あと10枚以上コピーしなきゃならないからそのあいだ暇だし。

でいきなりタイトル作を飛ばして『慰霊歌』を読んでみた。
でぶっ飛んだ。

続けざまに『二十歳』『むすめごころ』と読み続けた。
でまたぶっ飛んだ。

なんだこれは。
一作一作怖ろしいほどに作風が違う。
年代が違うにしろそれを差し引いてもまるで別人の書いたもののようだ。
この感覚はやばいぞ。すっかりはまってしまいそうだ。
どうして今まで読む機会がなかったのか少し悔やむ。しかし今出会えたのだからそれに感謝しなければならぬ。


そして今日のタイトル。『掌の小説』。新潮文庫。
川端作品と邂逅した翌日何かに引き摺り込まれるように書店にフラフラと立ち寄り知らぬ間に手にしていたのがこれ。

紹介文には「掌編小説」とある。
掌編とは小編をもじった造語かと思いきや、今キーボードで打ち込んだら一番候補で変換された。僕が知らなかっただけで立派な日本語のようだ。ああげに悲しき知識のなさよ。でもいいや。ひとつ勉強になった。

いわゆる「掌編小説」=ショートショートである。
500頁強の中に何と122編もの「掌に入ってしまうようなささやかな小説」が詰め込まれている。
2頁で完結しているものすらある。

ショートショートというと星新一さんを思い出す。
しかしこの掌の小説の解説にはこうある。

”内容のゆたかさ、心理の複雑さ、人間性にせまる鋭さなど、あらゆる点で普通の小説におとるものではない。ただ短いために、むだを省いて簡潔であり、直接的となる特色をもつ。ついでに言い添えておくが、掌の小説はコントではない。コントといえば、小説といえない笑話、小話のたぐいを連想される恐れがあるからである。しかも一方ではコントにして百枚をこえ、とうてい掌におさまりきれないものさえある。”

星さんを卑下するつもりは毛頭ないが、ど素人の僕にも両者が全く次元の違うものだということは分かる。
一編一編が余りにも短いゆえ簡単に読めると思いきや、真剣勝負でないと読み進めていくことすらままならない。


この掌編をひとつひとつ味わっていくだけで、人生の幅が広がる様な気がする。
事実、そうであるに違いないと思う。

文学とは果たしてそういうものを指すものなのだ。
紛れもない本物に触れて、僕はそう確信した。


CDコピーという出来れば避けたいやっつけ仕事から予期せぬ方向にいきなり世界が広がることもあるのだなあ。
人生は、何があるのかマジで分からないなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 7日 (土)

年始挨拶

仕事始めの日からわんさか年始の挨拶に大勢の取引先の方がやってくる。千客万来である。
しかし相手も忙しいのですぐに帰られる。こちらも仕事にならないのでその方が有難い。
かかってくる電話を取ってもまずは年始の挨拶からとなる。今日のような仕事始めの日だけはいきなり仕事の話をするのも変な感じなのである。
「明けましておめでとうございます、旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします」
と電話口で繰り返し繰り返しである。

そんな感じで午前中はあっという間に終わる。
そうこうするうちに支店の人が来る。
波平さんチックなその方に対し「明けましておめでとうございます」というべきところ思わずうっかり「ハゲましておめでとうございます」と口走ってしまいそうになるのを何とか僕は間一髪のところで持ちこたえた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 6日 (金)

放置危険

「放っとくとこうなるか?」と僕は聞く。
「ああ、なるね。確実に」と妻は答える。

「何ヶ月目か?」と僕は聞く。
「4ヶ月だね」と妻は答える。

「どうしたらいいか?」と僕は聞く。
「腹筋だね」と妻は答える。


これだけは何としても避けなければならぬ。

tskr


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年1月 4日 (水)

80歳代

正月に遊びに行ったたけすん家で使用した任天堂DSの「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」により算出された僕の脳年齢。


何故に80歳代となったか。
理由は、ある。
それは機械の操作に慣れていないからだ。
回数を重ね、慣れればきっと、若くなるに違いない。
真剣に心から僕は、そう信じている。


しかし気になる点がある。

同じ日に初めてそれをやった奥さんは抜群の成績を叩き出したのだ。
この矛盾した事実を合理的に説明する術を僕は知らない。


ds

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最近変な夢が多い。ものすごくリアルなのだ。
昨夜など僕はライトセイバーで悪者数人をなぎ倒した。
そのうちの悪者の一人はかなりの年配だったのだが聞いてみると実は僕と同郷だった。
僕はその人の身体をX字に斬った後でその人と昔話に花を咲かせた。え?!あそこはもう水没してしまったんですか!…とか。斬るには惜しいとても物知りな人だった。でも斬られた後も平気でぴんぴんしていた。

初夢もリアルだったがここでは書けない。
というかすっかり忘れた。リアルだったという印象しか残っていない。


昨年末にこれまたリアルな夢を見た。
セルターブの演奏を観客として僕は観たのだ。
新曲をやっていた。中期のバットマン的なジョージ曲だった。
このバンド、すげえと思った。特にジョン役の人(僕)がかっこよかった。
ただ残念なのはドラムをやっているのが誰なのかわからなかったことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やたらと消耗の激しいものがある。それは靴下。
すぐ、穴が空く。

それには理由がある。
出ているのだ。骨が。突出しているのだ。骨が。踵の。
いつから出ていたのだろう。気付いたときにはもう出ていた。
そんな変なところの骨が出るよりもっと脚が伸びて欲しかった。

でそのお陰で新品の靴下でもひと月も持たない。気が付いたときにはポカリンと穴が空いている。他の部位は全く損傷が無いのにもかかわらずそこの生地だけが極端に際立って磨耗しているという訳だ。どうしたものか。

思い起こせば父ちゃんは足の甲が高かった。
だから靴を選ぶのに苦労していたのを覚えている。
足回りに何がしかのナニガシがあるのは僕の家系の血筋のようだ。

でチビすけの足をよーく観察してみると、やっぱり発見された。上の子に。
甲が高かった。隔世遺伝というやつか。
てこた一代飛んで僕の孫すけは踵の骨ということになる。


もうひとつ骨で気になる部位がある。頭蓋骨だ。
鉢回りが大きいのだ。正確にはわからないが小学校低学年の時に被る黄色い帽子のサイズが無かったことを覚えている。その時点で62cmくらいあったのではないか。大人のサイズだ。
だからそれにはゴム紐は必需だった。さもなくば飛んでいってしまうからだ。
で女の子にハチと呼ばれた。鉢回りのハチだ。子供は残酷だ。

クラスでもう一人鉢回りの大きい子がいた。
その子は木村君と言った。
木村君は正面から見ると普通なのだが側面から見るとそれはそれは凄かった。頭部が宇宙船のようになっていたのだ。
僕の場合はただ単に頭でっかちと表現される。当時の写真を見ると5頭身くらいだ。
でも僕は顔がでかいのではない。体のサイズに頭のサイズがほんのちょっと合っていないだけだ。
もしこの僕が身長180cm程あったならば速水もこみち状態になっていたに違いない。

でその木村君であるが、あだ名が『ルチ将軍』だった。
命名は僕ではないのだがその余りのハマり具合にことさら僕が多用したためそのことがきっかけで僕と木村君は後に壮絶な肉弾戦をすることになる。

骨のことにはあまり触れないほうがいいのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

語彙

好みがハッキリしてきた。服など一度気に入ったら離さない。
子供服売り場などでは「わーかわいー」といって気に入ったものを勝手にえもんかけごと引きずって歩いてくる。
また世話焼きでもある。「はいパパの」と言って食べ物を口まで運んでくれるのは良いのだがよく間違えて鼻の穴に入れられる。


どこで覚えてくるのか知らないがチビすけたちの言葉がここひと月位の間に急激にボキャブラリーが増えた。
完全に会話が成り立つ。普通の二歳二ヶ月児とはこんなものなのだろうか。
やはり双子だからではないかと思う。どうやら24時間いつも近くに同年代の存在が居るということは何事にも変え難いもののようだ。

それにしてもやっぱりテレビが子供の語彙を増やすに一役買っているのだろう。
一番影響を受けるのは何よりも周囲の環境なのだ。
うっかりするうちに下の子などもうすでに完璧な三重弁だ。

となるとこの子らはもう完全に日本語人。
将来英語を話したいと思ったときはがんばっておくれよ。できる限り協力はするけどいまだにカタカナ英語の父ちゃんは教えることだけは出来んでな。
外人の彼氏でもつかまえて教えて貰いなさい。
っちゅうかそんな外人連れてきたら親父の一番長い日みたいに父ちゃん殴るけどな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »