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2006年1月22日 (日)

朴さんのこと

バブルの頃うちの会社は輸出の仕事が非常に多かった。

 

 

その頃僕は営業。輸出担当の部署で仕事をしていた。
僕の担当エリアはアジア。韓国や、中国。
短期間ばかりであったが何度も両国に海外出張をした。特に韓国。
ソウル、釜山、仁川、大邱、亀尾、慶州、全州、光州・・・殆どの都市に行った。冬ソナの春川を除いて。
今と違い韓国がまだその都度ビザを取らなければならなかった時代。観光だろうと就労だろうと。
年間20回以上も行き来していたからあっという間にパスポートのページが足りなくなって、増補という制度があることもその頃知った。
そして韓国市場を逐次モニターする為の現地駐在員として、朴さん(Mr.Park)という人を会社は採用した。

 

 

朴さんはいわゆる転職組である。韓国国内で勤めていた会社を辞め、外国の企業に就職するというそのバイタリティ。
いまだに僕はそこまでの思い切りを一度も持つことが出来ないでいる。
しかも朴さんはその時、日本語の「に」の字も喋ることが出来なかった。その代わり英語は達者だった。

 

入社後、半年間朴さんは日本で研修を行なった。母国に妻と幼い娘を残しての単身赴任である。
同じ部署ということで行きがかり上、当時独身の僕が朴さんのプライベートの面倒(というほど大袈裟なものでもないが)を見ることになった。
朴さんは僕より丁度10こ上。誠実で、真面目な方だった。
前述の通り朴さんは韓国語と英語しか喋れない。僕は日本語しか喋れない。
こういう時、どうコミュニケーションをとるか。
やはり、英語である。
気持ちさえあれば、片言の英語でも結構意志の疎通は出来るものなのだ。

 

 

オフの日に色々遊びに行ったりもした。
一緒に映画を見に行ったり。ターミネーター2とか。
その時は気付かなかったのだが、映画を観終ったあと喫茶店で話をしている時、朴さんが日本語が読めないことに僕ははたと気付いた。要するに朴さんは日本語の字幕がさっぱりだったのである・・・。

僕は大変申し訳ないことをしたと思い詫びたら英語は聞き取れてたから全然大丈夫とのことだった。なるほど。取り越し苦労だったのね。

 

 

ある晩、帰り間際に突然朴さんがどうしても今夜一緒に食事して下さい と頼んできた。
あいにく僕は外せない用事があった。父の見舞いに行かなければならなかったのだ。
だから断ると、30分だけでいいんです、一緒にいて下さい と言う。
(しつこいなあ)と僕は正直なところ内心思ってしまう。何も今日でなくても明日でも別にいいじゃんか。急に言われてもこっちにも都合ってもんがあるんだ。
悲しそうな表情をする朴さんを尻目に、じゃっ と僕は踵を返してさっさと帰っていってしまった。

 

 

後日人づてにその日のことを知り、僕は猛省することになる。
取り返しのつかないかけがえのないその日を、何と無慈悲に僕は踏みにじってしまったのであろうかと。

 

 

その日は、朴さんの誕生日だったのだ。
たった一人で異国の地で迎える誕生日。
朴さんはきっと、国際電話で家族に電話をし、その夜を過ごしたに違いない。
どれ程、寂しかったのであろうかと。
僕は朴さんに対し何と申し訳ないことをしてしまったのだろう。

 

 

僕も子をもつ親となった今、ようやく僕にも朴さんの強さが身に沁みて解るようになってきた。
そんな朴さんは、今はもう連絡先すらわからない。
もしこれから先朴さんに会うことが出来たならば、何よりも真っ先に僕はその日のことを詫びたいと思う。

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