目から鱗
地元の公立中学に上がる前の春休みの時。
僕は真新しい教科書を眺めることが好きだった。
パリッとして角張った教科書を手にとってはパラパラとめくる時に頁の間から立ち昇る芳香がたまらなく好きだった。
未だ習ってもいない箇所を読んではその内容の高度さに畏怖し、また小さい胸で不可侵の領域に立ち入る興奮と感動を覚えていた。
春休みの間で、気が付いたら僕は一学年の半分くらいの部分にまで目を通してしまっていた。
そして中学に入学し、最初の中間試験の時。
試験問題は、春休みのうちから何度も反芻している内容だったので僕は何の苦もなく解答することができた。
中学最初の試験でもあったのでハードルも若干低めに設定されていたのかも知れない。
結果、僕はいきなり学年でトップを獲ってしまったのであった。誰がビックリしたかって僕が一番ビックリした。
逆に自分は頭がおかしくなってしまったのかと思うほどであった。イっちゃったのかと。
その後訳あって入学後僅か2ヶ月、5月に転校をすることになるのだが、後から聞いた話では担任の教師は母に遠距離でも通わせることが出来ないかと依頼したそうである。転校するなんて勿体ないと。まるで神童扱いである。
でももし仮にそのまま転校せずにいたら今の僕は無い訳である。不思議なものである。
いまだに思う。あのままの僕で何の疑問もなくそのまま先に進んでいたならば、きっと僕は学問というものを軽くあしらう高慢ちきで頭でっかちの鼻持ちならないどうしょうもない人間になっていたに違いない。
かと言って今がそうじゃないかと言えばそうとは言い切れない自分がいるにはいるのだが。
先日大きな試験を終えた。
僕にとって今回ほど集中して勉強したことは今だかつて無かったことである。
今回ほどではないが、思い起こせば高校受験の時以来である。高卒で働き出した僕は大学受験は経験していない。
前述した中学入学前の時は勉強しているという自覚のないまま目に映るものをスポンジのように吸収していただけだ。今思い返すとそれがかえって良かったのかも知れないが。
高校受験の時はとにかく何よりも合格することのみが目的だった。目的と目標を履き違えていたようだ。だから受かった瞬間に思ったものだ。この先もう二度と勉強などというものは金輪際しないと^^;
事実リバウンドというか、高校に入ってからの僕は完全に勉強を捨て単なるアホないち高校生になる。
今思うとここでもうちょっと頑張ってたら今よりもう少しだけでも給料のいい会社に勤めていられたかもしれないなあ。
まあそうしたらまたまた今の僕はいないわけだし。不思議なもんです。
だから結果からいうと、原因と結果は厳密にイコールになるのですな。
約一月あまり、僕は全てをこの勉強に賭けた。
大袈裟にではなく僕は、自分の人生をこの試験に賭けたのだ。
辛くて苦しかった時もあった。
でも目標と目的を今回こそは履き違えなかった。
だからこの期間で僕は他では絶対に得難いはかり知れない様な貴重な体験を何度もすることが出来た。
目から鱗が何枚も何枚も剥がれ落ちた。
僕はこの勉強を通して、最高の哲学を学ぶことが出来た。
これを学んでしまったから、もう、今までの僕には戻れない。
そして気付く。
38にして今、ようやくもう一度スタートラインに立てたのだと。
今の僕の中には、真新しい教科書を手に目をキラキラさせていたあの時の少年がいる。
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コメント
高1のとき、学年でトップになってしまったんだ。
担任はなぜもっとランク上の学校に行かなかったのかと、首をかしげてた。
でも、その後は遊び呆けて伸びませんでした。
家庭の事情もあって(貧乏だったので)進学はできなかった。でも大学に行って遊び呆けたかったです(勉強する気はないところがミソ!)
投稿: ひいくん・☆ | 2006年3月 1日 (水) 13:37
僕も大学には行きたかったなあ。
理由はやっぱり僕も同じ。遊び呆けたかった^^;
昔ある人が大学のことをこう言ってたのを強烈に覚えています。
「俺は大学に言って勉強をしたことがひとつだけある。それは勉強の仕方を勉強したんだ」
深い言葉だと思いませんか?
投稿: レノすけ | 2006年3月 3日 (金) 20:01