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2006年3月13日 (月)

言葉に出来ない

こんな光景を目にする。


バス停。朝。
なかなか来ないバスを待っている様子の10代とも見える若い女性。だが、母親である。

一見しただけでまだ1歳にもならない乳飲み子を抱きかかえている。
気付かれないように僕はそっと観察する。何故なら余りにもその赤ん坊の瞳が気になったからだ。
着せられている服装から男の子に見えるその赤ん坊は、鼻水が乾いて鼻の下がガビガビになっている。そして風邪をひいているのか小さく咳をしている。だからだろうかどこか、虚ろな瞳をしているように僕の目には映る。
そしてその彼女の足元にはお兄ちゃんと思しき男の子が母親の太腿を軸にしてぶら下がって遊んでいる。

こんなものはどこにでもある光景だ。


でも、彼女はイライラしている風でもないのに大きく僕の想像を絶する行為に出る。

煙草に、火を点けたのだ。


そんな母の行為を兄は、気にもしていない様子だ。
でもそんなちょっとした振る舞いを見るだけで、彼女の生活が垣間見えてしまうと感ずるのは僕の傲慢さであろうか。


だが、少なくとも抱かれた赤ん坊には、抵抗する術も何も与えられていないことだけは間違いない。
ただ、小さく咳をすることのみを除いて。


どなたか、僕に教えて下さらないだろうか。
僕は、この気持ちを一言で言い表せる日本語を知らないのだ。

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コメント

私は まず タバコを吸う人を
あまり好みません。
それでも 以前は旦那がタバコを吸っていて
それなりに過ごしていました。

記事にあるような光景を目にしたら
多分 私もレノすけさんと同じ気持ちに
なるんだと思います。
そして、親しい間柄なら
タバコを その状況では止めます。

でも 人って 案外自分勝手な部分て
あるじゃないですか。
例えば 私には 1歳半になろうとする
姪っ子がいるんですが
その子が 家で よたよたと歩いてると
「くまさんで遊ぼーかぁ」と言って
くまのプーさんの ぬいぐるみを渡したり。
そういうのって その場では雰囲気みたいな
もんで何も感じないけど よくよく考えてみると 自分のエゴだな〜って思ったりするんです。

姪っ子は別に ぬいぐるみ遊びなんてしたくなかったのかも。
ただただ、家の中を歩き回っていたかっただけかもしれないし、別のことをしたかったのかもしれない。

小さな子には 抵抗するすべが あまりにも
少ないから 親なり身近な者は
多分こーしたいんだ と勝手に自分のやりたいことを押しつける。

この母親も 子供を抱えてタバコは・・・って思ったかもしれないけど、心のどこかで
まー許してくれるよねって 気持ちを押しつけてたのかもしれないですね。

でも、やっぱり 私はそういう光景を目にしたくないし、止めちゃいますけどね。
あーながっ!!(笑)

投稿: ゆうちこ | 2006年3月13日 (月) 18:41

長いの大歓迎です^^

ゆうちこさん、それ、完全に母親の心境じゃないですか^^
保母さんやベビーシッターならずともなかなかないと思いますよ、我が子でないのにそこまで思うに至れる人は。


大人のエゴ…。
僕も全く毎日その思いの繰り返しです。
自分の思い通りになかなかならない存在が厳として目の前に居るわけです。なかなかどうして本当に勉強になりますよ。
何故なら相手は無垢だからです。
そんな天使のような仏のような清らかな息を吐く存在が目の前に居ると自分は何て汚れているのかトホホ。そう反省し続けるのです。


件のお母さんですけど、きっとその子らは強く育っていくのだと信じたいです。お母さんも一緒に。それは大きなお世話なんでしょうけれど。十人十色。桜梅桃李。
どんな環境であれ、親子は親子。育てて貰った恩があります。
僕は弟が一人いますが、うちの母親が以前こう言っていたのを思い出しました。
「うちの子は二人とも男の子でよかった。いざという時団結してくれるから」

だからバス停の彼女も咳をし鼻を垂らした子供を抱きながら吸った煙草の罰は因果倶時ですからいずれ顕れるでしょうけれど、そう思う日がきっといつか来ると信じます。

投稿: レノすけ | 2006年3月17日 (金) 00:09

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