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2006年3月19日 (日)

二つの物差し

例えば朝。

寝惚け眼で車の運転をしたとする。別にそれは車でも自転車でも何でもいい。
そして信号のない交差点に差し掛かる。
すると突然、出し抜けに現れた車が目の前を猛スピードで通り過ぎる。ノーブレーキで。


ここでどう思うか。
「もし交差点に入るのがあと1秒早かったら…ヤバかった」
で冷や汗を流しながらこう思う。
「自分は運が良かったのだ、助かった」
そして一日、いま自分が生きていることを奇跡のように思う。例えばの話。


そして後日また別の朝。

あの日の朝と同じように寝惚け眼で同じように交差点に差し掛かる。
ただ猛スピードの車は来ない。だから命が縮む思いもしなくて済む。
そのあと一日、何事もなく過ごす。普段通りの毎日だ。
でそのまま帰宅する。


そして、思う。
「今日は別にいいことも何もなかった」 と。


本当に、そうなのだろうか。

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コメント

今日は いい日だったというのは
単純に 楽しいことや、嬉しいことがあったりすることが ほとんどだと思います。

でも、ときどき 思うのが 悪いことや 悲しいことなどがあっても
そこで何か「学ぶ」ということができれば
それも いい日と言えるのではないかと思います。

レノすけさんが 例にした話が実際に起こったら、私は ぼんやりと 記事通りのことを思うと思います。

文末に書いてあった
「本当に、そうなのだろうか」
という部分に ご自身なりの 答えがでたとしたら その日は いい日だったと言えるのではないでしょうか?

投稿: ゆうちこ | 2006年3月29日 (水) 17:46

ゆうちこさんの思われていることは、恐らく、僕の思うところと殆ど同じだと思います。

物事には、必ず幾つもの側面があります。ですがそれを常に認識出来ているかということになると、自分でも自信がありません。偏った見方に執着しがちな自分が常にいます。

それは、想像力であると僕は思います。
例えば自分以外の考え方、極端には正反対の考え方を持つ人も居るということを想像する力。
それは我見に陥っていては到底そこには到達できないと思いますし、謙虚である必要があります。
そんな場面に直面した時の為に、僕は本を読んでいます。それは物語です。手当たり次第に(とはいえ趣味嗜好に偏ってはいますが^^・・・例えば村上春樹さんの物語など)。
雑誌などでは絶対に手に入れることの出来ない考え方やものの見方を自分なりに吸収しているつもりです。

想像力。
そしてそれは、つまるところ他者を思いやる心に通じていくものだと思います。

投稿: レノすけ | 2006年3月31日 (金) 23:35

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