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2006年4月

2006年4月28日 (金)

座っていると、いつも取り合いになる。


一応の取り決めみたいなものもある。右が下、左が上。
でもいつも下の方が要領がいいから真ん中にいつの間にかいる。
気が付くと放り出されている上はひっくり返って苦情を言う。
「上と下」 といっても、実際上も下もなく一緒なんだが。


そして思い出す。

ああ、僕もそうだった。
いつも親父の膝の上でぬくぬくしている弟の姿を見て正直な気持ちを言うと、俺嫉妬してたな。
「大がこっち、信はこっちだ」と親父はいつも言っていた。しかし弟の信はいつも要領よく親父の膝を占領してた。


父さん、俺、今になってやっと父さんの気持ちが少しずつ分かるようになってきてるよ。
きっと父さんも、今の俺と同じこと考えてたんだよな。

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フシアナ

真夜中にびっしょり汗をかいてガバッと起きて我に返ったことがある。
一人暮らしをしていた29歳の時のこと。

 

 

ああ俺は…この先一生結婚できないのではないか! と。
今思い返すと何とも間抜けなシーンではあるが、自分では真剣に悩みそして苦しんでいたのだな。その時は。

 

こんなに優柔不断でマイナス思考で何かあるとすぐどん底まで落ち込んで暫く使いものにならなくて自分のことだけで精一杯でそれなのに自分の面倒すらみれない。
こんな男がまともな恋愛など出来るはずはなく従い絶対に結婚なんて出来ないと。
シリアスにそう悩んでおったのであります。

 

 

お袋は、その頃の僕にいつもこう言っていた。
「あんたの目は、節穴だね」 と。

 

 

その時はどういう意味か分からなかった。
今は、分かる。
確かに、その通りであった。

 

 

お袋がどういう意味で言っていたのかというとこうだ。
「あんたの周りに将来の奥さんになる人がいるよ。間違いないよ。それもすぐ近くだ。でもあんたの目が節穴だから見えないんだよ。よーく見てみな。気が付かないのかい?バカだね」
確かに、僕はバカであった。
僕の置かれている事情など全く知る由もないお袋には、しかし何かが見えていたのだ。

 

 

大切な人は、居るんだ。すぐ近くに。

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2006年4月27日 (木)

原点

僕の場合バンドは、趣味である。
だけど、されど趣味 なのである。


あるライブハウスのオーナーが口癖のように言っていた言葉の数々を僕は忘れる事が出来ない。

「いったんステージに上がったら、プロだろうとアマチュアだろうと関係ねえ。ステージの上にいる人間はそれをショーとして魅せる責任を負え」

「アマチュアだから僕達ヘタクソなんですぅなんていう言葉を吐くんならステージに上がるんじゃねえ。そんな奴は出入り禁止だ。二度とここの敷居をまたがせない。帰れ!って言ってやる」


そのライブハウスに初めてお邪魔した時のこと。
恐る恐る僕はバンドの名刺をママさんに渡してこう言った。
「僕達ビートルズのコピーをやっています。是非ここで演らしてもらえたらなって思っています」
するとママさんは「うわぁー!ビートルズ?」と大喜びでカウンターの奥にいるオーナーを呼んだ。「おとうさん!ビートルズが来たよ!」 と(^^)
「なにぃ!?」と怒号のような声を発し奥から飛び出してきたオーナーはママさんから渡された名刺を見るなり開口一番僕にこう問いかけてきた。
「アンタら、上手いのか?」
「上手いです」間髪入れずに僕は答えた。
「じゃあOKだ。いつ来てくれる?」オーナーも即答だった。話しの早い人だと思った。


「ビートルズは、俺が音楽を始めたりこうして店を持つまでになったきっかけというか、全てはあそこに置いてあるラジオから流れてきたビートルズから始まっているんだ」 と言ってオーナーはカウンターの奥に小さな古ぼけたトランジスタラジオを指差した。

「この店を始めてからもビートルズを演る奴がチョコチョコ入ってきた。でも全部ダメだ。全然ビートルズじゃない」

「ビートルズバンドに来て欲しいと思っていたけど、俺はあえて探さなかった。いつか本物のビートルズを聴かせてくれるバンドが自然に現れてくると思っていたからだ。俺には確信があったんだよ。それで今日アンタ達が現れた」

「『上手いか?』と訊かれて『上手い』と答えた奴は初めてだ。まあ普通ならデモテープを聴いてから決めるけどアンタ達はそんな必要は無いよ。今すぐにでも演って欲しいよ」


僕の所属するバンド「The SELTAEB」が再出発する。
いま僕は、もう一度、一から新しいバンドを創めるような気持ちでいる。


今が新しいSELTAEBの原点なのだ。

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2006年4月23日 (日)

この素晴らしき世界

「これにしたら?」妻が言う。

こういう時に、いつも決まって僕は妻から啓示を受ける。
今まで僕は、こういう妻の言葉に何度救われて来たことだろう。


確かに、これはいい。テーマもドンピシャだ。これで行こう。そう決める。
だが無防備で出向くのは聴いて下さる方のためにも申し訳が無い。
確かに今の時点でそれは付け焼刃かもしれない。でも少しだけでもそこに思いを乗せるための手助けになれば。
そういう気持ちで詳細を調べてみる。まずは歌詞からだ。

使われている言葉はシンプルで、中学校レベルの英語力でも理解できそうだ。
だが、タイトルから考えてもどうやら深い意味があるようだ。しかし拙い僕の読解力ではそこまでは読み取れない。


背景を知りたい。

あるサイトで、こう紹介があった。(カッコ内は僕の追記)

“生きることの喜びを伝えるこの曲を、彼が最初に録音したのは66歳(1967年=昭和42年…僕の生まれ年)の時だった。
1970年、彼の70歳を祝って、彼のこれまでの業績の集大成として1枚のLPが収録された。
この収録時には、マイルス・デービス、チコ・ハミルトンなど多くの後輩達が集まり、 さながら彼の誕生パーティーのようだった、と伝えられている。
その時、彼を尊敬する多くの後輩達の前で彼は予想外の行動に出た。
それは、この「この素晴らしき世界」のイントロの中で、彼はスピーチを始めたのだった。
その言葉を、彼が事前に用意していたのか即興だったのかは誰も知らない。
わずか16小節の短い時間だったけれど、バンドのメンバーは、
イントロを演奏しながら、サッチモが歌いだすのを待ったそうだ。”

(中略)

“君達 若い連中にはオレに こう言ってくるのもいる
おやじさん「素晴らしき世界」ってどういう意味なんだい?
世界中でおこっている戦争も素晴らしいのかい?
飢餓や汚染はどこが素晴らしいんだい?
だけど このおやじの言うことを聞いてみないか
オレには世界はそんなに悪くないと思えるんだ
オレが言いたいことはね
世界は素晴らしくなる
そう思って行動すればね
愛だよ 愛
それが秘訣だよ
もっともっと オレ達が愛しあえば問題も減るし
世界はとびきりいい所になるんだ
それが このおやじのずっと言ってることなんだ”


歌詞の対訳は、女性の言葉で語られるこちらの方が僕の中にはしっくりと沁み入って来る。

”私は思うわ 緑あふれる木々と赤く咲くバラは
あなたと私のために あるのだと
なんて素晴らしい世界なの

青い空 白い雲
祝福を受ける明るい昼 聖なるときの暗い夜
私は思うわ なんて素晴らしい世界なの

虹のひとつひとつの色が 空にきれい
通りすがる人たちの顔は輝いてる
「こんにちは」と言い合いながら 握手する友
本当は「愛してる」と言ってるわ

赤ちゃんが泣いている 育っていくのを目に出来る
私が知っていることよりも たくさんのことを学ぶでしょう
なんて素晴らしい世界なの

私は思うわ 緑あふれる木々と赤く咲くバラは 
あなたと私のために あるのだと
なんて素晴らしい世界なの

心から思わずにいられない
なんて素晴らしい世界なの”


今回の僕は、この二つの記事に全く教えられる通りであった。
この歌が創られた背景も、其処に込められた熱情も、大事なことも何も知らず僕はこれを歌おうとしていた。それは僕の持つ傲慢さであるに違いない。
妻と二人でこれを読み合い、そして、二人で翌日に演奏した。
二人で、思い通りのことが出来た。


リンク先のゆうちこさんが言っていた。
人の心に土足で入っていくことは意外に簡単なことだ と。
それが無意識であろうと無かろうと。
常に自分を監視し戒めていなければ、僕はあっという間にこういう人間になってしまうだろう。


これから、こんにちは と言いながら、あんたのこと愛してるよ と思うようにしたいな。
そう言葉にするのは恥ずかしいけれど、思うのは僕の自由だからねえ。


WHAT A WONDERFUL WORLD
ルイ・アームストロング(1901-1971)

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病は気から

医学書にも載っているらしい。


先日僕は脳のMRI検査を受けた。
で僕を襲った一連の身体の異変の診断結果は、予想を裏切り原因不明であった。
神経内科の先生(歳の頃は僕より少し下くらいの若くてキリッとしていて男の僕でも思わず抱いてと漏らしてしまいそうなナイスガイだった)は苦渋の表情を浮かべていた。

あえて考えられる原因としてはやはりストレスから来る自律神経の変調ではないでしょうか とのこと。
自分的にはこう見えて結構ストレスには強いと考えているのではあるが、こうして予期せぬ身体の異常として現れて来たとなると少々心配ではある。
「精神的なものが原因だとすると何が起こっても不思議は無いですからね。どんな事でも起こり得ます」とナイスガイ。ああそんな目で見つめないで。
ストレスの無い社会も仕事も今の世の中あり得ないと僕は思っているのでまあそれは仕方がない。要はそれとどう付き合っていくかによるわけだ。

「正直、原因不明なんですよね…」と繰り返すナイスガイ。ああ困らしちゃってる何とかしてあげなきゃ。
だから僕のほうから助け舟を出した。今のところ症状は治まっている、だから今後も継続して再発するようならまたお伺いさせていただきます、と。あかん。このままいくと惚れてしまいそうだ。
「ああそうですね!そうしていただけますか」と肩の荷が下りたような明るい感じに一変するナイスガイ。むーん抱いて。

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官と民

うちの近所にパチンコ店がもうじきオーピンする。
閉鎖した鋳物工場の跡地に建てられたものである。


パチンコ店というともっと違う場所に建ってもいいようなものだと僕個人としては直感的に思ってしまう。何故にこんなのどかな所にあえて建てる必要があるのかと。
まあそれは僕がパチンコに全く興味が無いからだと言える。パチンコ好きの人にはよくぞこんな所に建ててくれたと僕とは全く正反対の感慨を持っているに違いないだろうから。
パチンコ店側も十分に利益を創出できると徹底した計算を行なった上でのことであろう。

パチンコについてあれこれ言及するつもりは無いが確かに、射幸心というか病み付きになってしまうといった習慣性のようなものはあるのだろう。
前述の通り僕はパチンコに対し全く興味を持てないのであるが、それでも過去に一度パチンコで大当たりをしたことがある。それは高校の時である。

同級生の連れは煙草をふかしながらパチンコを打っていた。僕はそれを横から見ていた。
僕はもとより騒々しい所は好きな方じゃない。というか嫌いである。
でも何故かその時は何かの行きがかり上パチンコ屋に付いていくことになってしまったのである。
でしたり顔でニヤニヤしながら盤面に向っている同級生の姿が妙に大人びて見えたことを覚えている。
興味が無いからして僕にはパチンコ打ちの心境は完全には理解出来ないが、とにかくお金を(文字通り)湯水の様に使うことには少なからず未だにどうなんだろうと思ってしまう。自分のお金だからどう使おうと自由だし大きなお世話なんだろうけれど。だけどこういうことだけは僕には出来ない。絶対に。
根っからの貧乏性なのかもしれない。

覗いてないでお前もちょっとやってみろや と連れが言う。
雰囲気的に僕も何かしなきゃと思っていたのでちょっとやってみることにした。でとりあえず\1,000を入れてみた。貧乏高校生にしてみれば大金である。だが連れはその時点で何万と投入していたのを僕は傍から見ていたからちょっとしょぼい感じもしたが。
でああ\1,000ドブに捨ててまったと若干後悔しながら見様見真似でレバーを回して暫く玉の行方を見つめていたら突然盤面が光り輝き大音量の音楽が流れ出した。
お前当たってるじゃん! と連れが横目でゲラゲラ笑っている。
訳も分からない内に係の人がやってきて玉入れを置く。でマイクを持って何か喋りだす。どうやら僕のことを言っているようだ。

で結果その時僕は差し引き\14,000の勝ちを収めたのであった。投資額\1,000で\15,000のリターン。
流石にこれはヤバいと思った。連れが必死になって大金を投入しているのも十分理解できた。
でもその時僕は思ったのだ。多分僕はこれで一生分のツキ(それはパチンコに限る)をきっと使い果たしてしまったに違いない と。金輪際パチンコを打つのは止めようと。
そしてそれから幾十星霜。
その誓いは破ることなく保たれている。まあパチンコごときでそんな大それたものもないのではあるが(笑)


そんな思い出はさておき冬のソナタである。
それにしても何なんだあのコマーシャルは!あの印象的なピアノのイントロがテレビから流れた瞬間にパブロフの犬の如く反射的に画面の方を向いてしまうではないか。
で何だ?言うにこと欠いて「ぱちんこ 冬のソナタ」だと?! 何なんだそのネーミング。パチンコをぱちんこと平仮名にしただけでひねりもヘッタクレもあったものじゃない。
CMで流れるムービーも冬ソナファンとしては大事に大事に心の中にしまっておきたい感動的なシーンではないか。それをパチンコのCMで垂れ流すとは何事か!
自称ソナティアンとしてはこれは少々許しがたいものがあるぞ。

聞くところによると世のオバサンたちは日々冬ソナ機に向い、液晶画面に思い出のシーンが現れては涙しているなどというではないか。そしてその話題が話題を呼びそれで新たな顧客を上手に獲得しているパチンコ業界というものはロマンの欠片も無いと思うのは僕だけなのだろうか。
これは純粋無垢な冬ソナの世界への冒涜だとすらワシャ思ってしまうぞ。


でタイトル何だったけ。官と民?
ああそうそうこのパチンコ店の我が地元進出を目の当たりにし「官と民」の体質の温度差についての考察を書こうと思っていたんだけどもまあこの際そんなことどうでもいいや。

Fuyusona

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サイン

目から入る情報というものは、直截心に刺さる場合が多い。

自分の思いや考え方と正反対の情報などを目にした場合ともすると暫くは使い物にならないくらいのダメージを受けることがある。それが攻撃的な内容であれば尚更である。
またそういう情報に自分の中のスキャンダラスな部分が意に反して見たい読みたいと首をもたげてくることがある。
その時は要注意だ。経験上それは自分がダメになりかかっている時の重要なサインだ。

確かにそれがひとつの事実として存在している以上知っておくべきことではあるに違いないが、だがそれを見て気力を吸い取られるようなことになるのであるならば見ない方がいいものもこの世には沢山あるのである。


何をみるか 何を五感で感じるか を自ら選び取っていくことが大事である。
だから本物である一流の絵画や音楽、芸術を見、聞き、触れることが大事だと思うのである。それが本物と偽物を見分ける力になっていく。精神的にもレベルアップできる。
反対に偽物や俗物的なものや刹那的で衝動的なものに囲まれそれを常に目にしていると図らずも自然にそういう心(精神状態)に自ら近づいてしまっているのだと思う。


「自分に甘く、弱い人は話していてつまらない。逆に厳しい人間と話をするものは楽しいものです」

今読んでいる本の中で頭をハンマーで殴られたように衝撃を受けた部分。
本物を知る人間だからこそ言える言葉。
僕は、つまらない人間になりたくない。

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2006年4月17日 (月)

妻と同苦

「これをどうぞ」と重量感のあるヘッドホンを耳にあてがわれる。
決して大きくもなくさりとて小さくもない(要は程々の)ヴォリュームで遠くにショパン(だと思う)のピアノ曲が聴こえてくる。


しかしでも何故このショパンよく聴くとモノラルなのだろう。今どき普通ステレオでしょう。
しかもパンが若干右にずれている。モノラルならモノラルらしくど真ん中から聴こえて欲しい。気持ち悪いではないか。
若しくはそれとも僕の聴覚に何か問題があるのだろうか とも思う。なるほど確かに今の僕を取り巻くこのシチュエーションを客観的に見るとそれが聴覚に影響を与えていると取れなくもない。

「20分から25分くらいで済みます。ですから動かないで下さいね」と彼女は言う。僕は頷く。
「もし気分が悪くなったり耐えられなくなったらこれを」とコードの繋がった餃子大の物を渡し、とっとと彼女は部屋から出て行ってしまう。
今やもう残されたのは僕一人だ。お世辞にも居心地の良くない無機質なこの狭い部屋に。

暫くするとガクンと振動があり大掛かりな機械の中に僕は飲み込まれていく。
むむ何か嫌だぞこの空間は。
一瞬、閉所恐怖症に陥りそうな切迫感を覚える。全身に緊張が走り無意識に身体が強張ることがわかる。


かなり以前、妻が今の僕と同じ経験をしたことがある。
妻の場合、僕と違う部位がターゲットであった故なのかは分からないがその所要時間何と1時間半。しかもヘッドホン無し。その時妻が支給されたものは一つまみの綿のみ であったそうだ。

今回帰宅後「わりかしキツかった」と報告する僕に対し妻は「そんなん私に比べたら恵まれすぎだわ」と言ったのも頷ける。
以前その時に部屋に入る前の時点での妻は、まだ元気だった。というか普通だった。じゃね みたいな感じでスタスタと部屋に入っていったものだ。
しかし1時間半後にそれを終えてその部屋から出てくる時、妻は貞子のようにガックリと首をうな垂れて出てきたのだ。しかも車椅子に乗って。
暫くの間何を訊いてもただ首を振るだけであった。一体1時間半のうちに何がここまで妻を変えてしまったというのだ。
廊下で待っている間に、僕ですら壁越しに聞こえて来る得体の知れないその轟音に少なからず打ちのめされていたのではあるが、部屋の中でその機械にかけられている妻のダメージたるや想像を絶するものであったに違いない。

僕はその時の余りにもショッキングな光景が強烈な印象として脳裏に焼きついており、だから今回僕は怖ろしさ半分そして期待半分 であった。怖いもの見たさ のようなものである。


そしてそのシンフォニーは何のイントロもなく突然始まった。


ガビガビー。ブイブイブイー。

カッカッカッカッカッ。
ビッビッビッビッビッ。
カッカッカッ。
ビッビッビッ。
カッカッ。ビッビッ。

…。

ビビー。

ビッ。ビビッ。
ブビビー。ブー。ブブー。
ブブー。ブビビビー。

(以下繰り返し)


背中が痒い。
ヘッドホンがずれてくる。
しかし何なのだこのヘッドホン越しに聞こえて来るこの大音量の耳障りなノイズは。麗しいショパンの旋律などとうの昔に何も聴こえなくなっているぞ。こんなことなら中途半端なモノラル音楽など無い方がましなのではないか。
今の時点でもう何分経ったのだろう。あまりに凄い轟音を聞いていると時間の感覚が薄れてくる。何も考えることが出来なくなってくる。まあ今の場合努めて何も考えない方がもしくは適正な結果となるのかもしれないが。
でももしこのままヘッドホンが僕の耳から外れてしまったら僕は妻と同じように車椅子送りになるのだろうか。
ああ、頭も痒くなってきた。


気が付くと僕はその大音量にも関わらずウトウトしかかっていたようだ。その昔学生時代に寝ながらヘッドホンで超大音量のHR/HMを聴きまくっていた免疫か。
で再びガクンと振動があり僕は機械から吐き出される。
「お疲れ様でした。大丈夫ですか?」と彼女は訊く。
少しクラクラしたが「まあ…何とか」と僕は答える。


それにしても妻は、綿を詰めただけの耳栓で一時間半もよく耐えたものだ。
だが後で聞いた話ではその時途中妻は何度か餃子みたいなものを握り締めて助けを求めたらしい。もはやこれまでと。辛抱堪らぬと。
するとインターホン越しにこう答えられたそうなのである。
「ああ、ここまで来たらあともう少しですから頑張りましょうね」 と。
そりゃ確かにその通りかも知れない。
だが妻は比較的我慢強い性質なのだ。それは僕なんかよりずっと、ずっと。
そして何より妻は、常人とは違う繊細な耳を持っているのだ。

その妻がもう限界 と握った餃子なのである。
その時点で普通の人ならとうの昔に限界を超えているレベルだと担当者は判断すべきであった。
その結果車椅子 である。


妻よ、よく頑張ったね。
同じ経験をして、その時に受けたダメージを僕も幾ばくか、やっと理解することが出来たよ。


Magnetic Resonance Imaging
→強磁場が人体に与える影響についてはまだ未知の部分がある。

えーと……ん??

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2006年4月14日 (金)

末期状態か

一服のために定期的に外に出る。気分転換も兼ねている。
ポケットには携帯を入れていく。メールチェックとかオフィスでは出来ないプライベートな急用の電話をしたり。理由は色々ある。


今日、エレベーターを降りてすぐ携帯の待ち受け画面を覗いたら新着メールがひとつあった。
で内容を読もうとしたその刹那、着信が入った。妻からである。タイミングとしてはバッチリだ。仕事中はサイレントにしているので着信があっても気付かないことが多いからである。

話の内容は一昨日チビに落とされて壊れた炊飯器の代替品の仕様についての相談であった。我が家の切迫した家計との兼ね合いもある訳である。
電話口で僕は自分の意見や考えを述べ、そして最終的な判断は妻に一任した。それまでの通話時間、およそ5分弱。
ああもう事務所に戻らなきゃ。あいついっぺん煙草吸いにいくとなかなか戻って来ん などと上司に思われてはたまらない。そうでなくても煙草吸いの肩身がどんどん狭くなってきているというのに。
ああ早くメールチェックもしなきゃ と妻と話しながら考える。もう電話切り上げてもいいかな。俺、今仕事抜け出して煙草吸いに来てるだけなんだ。まあいいや。メールの内容だけ確認して戻ろう。
でズボンのポケットをまさぐる。あれ?携帯がない。さっきエレベーター出たときは間違いなく手に持っていたのに。
妻と話しながら片手で身体のあちこちのポケットを探して回る。ない、ないぞ。俺携帯落としたか?
エレベーターホールの方を覗いてみる。落ちてない。
まさか。エレベーターを降りる時にポロッとポケットから滑り出しその僅かな隙間から落としてしまったか。となるともう取り返しが付かないぞ。
そうこうするうちに携帯のことが気になって妻との会話も心ここにあらず状態になってくる。

・・・ない。
俺、携帯落とした。


その時気付く。
携帯で今俺喋っている。

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2006年4月12日 (水)

なんかの法則か

帰りのバスでのこと。


バスは出発の時間が来るまで暫く待機している。その間にゾロゾロと人が乗ってくる。
時間帯によって混み具合が異なる。また待機時間にもそれは左右される。待機時間が長ければ長いほど乗り込む人の数の増えるのである。
タイミングがうまく合った時など一人に二席(=隣りが空席)確保できることがある。これはささやかな幸せである。
でも発進するまでは誰かが隣に座ってくるかもしれないので、一応、礼儀として鞄などは隣の席に置かずに太腿の上に置くようにしている。
前に一度、僕は混雑した車内で座らせて貰えなかったことがあり、結果僕は車内をウロチョロし、何とか座らせて貰った少し不愉快な経験を持っているからだ。

その後バスが発進すると同時に、鞄を隣の席に移す。こんな時は実にゆったりとした気持ちで僕は本を読むことが出来る。
そしてそんな時、僕は味わうことが出来るのだ。ほんのささやかな幸せを。


今日も、そんな感じだった。
前の方から徐々に席が埋まってくる。僕の席は中程より少し後ろ。出発時刻まであと1分を切っている。このまま行けば、僕は今日はささやかな幸せを噛み締めることが出来るはずである。

しかし、出発間際に駆け込んでこられた方がいた。チラッと見ると中年を超えた脂ギッシュな人である。でもああなんというか非常に(控えめに表現して)恰幅が良い。言いたくはないが、見るからに暑苦しい。このような方に隣に来られた日には肘が邪魔して満足に本を読むことすら出来なくなってしまう。
ひたすら僕は祈る。僕の前方の空席はあと僅か。

来るな。来ないでお願い。ねえあなた、そんなに急がなくていいから。じっくり周りを見て下さいな。ホラ、そこに席が。一つ二つ空いてるじゃないですか。そうそう、そこそこ…。

その時目が合った。思わず即座に僕は目を伏せた。
そして彼は迷うことなく、僕の隣に来た。


これはなんかの法則が働いているとしか考えようがない。何故ならこんな経験は二度や三度ではないからである。
望まないことが、そうであって欲しくないと思えば思うほどそっちから近づいてくるのである。

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2006年4月11日 (火)

修羅

今日は反省だらけの日であった。


まず、朝一。
少し家を出る時間が遅くなった。外はあいにくの雨。こんな日は車で駅まで送って貰う学生さんなどが増えるからいつもより道路が混むのである。
そして案の定、家を出てすぐのところで詰まってしまった。出遅れたところにこの状態である。遅刻は免れない状況だ。
大きく迂回することに決める。でも結果同じ。すぐ詰まってしまう。橋を渡らなければならないから、朝のラッシュ時は何処を通っても似たり寄ったりの状態になってしまうのである。
名古屋の会社へは桑名から高速バスで通っているから、例えば高速道路が事故渋滞や雪の日の遅刻は不可抗力である。
しかし今日のような場合は違う。完全に僕に非がある。あと五分早く家を出ていたら何とかギリギリでも間に合った筈だから。
これが一つめ。


そして出社後。
一枚のファックスが机の上に置いてある。
そしてそのファックスに付箋で至急電話するように とある。
そのファックスに書かれていたことは、僕の今の実務上最も忌み嫌うべき内容であった。それは営業からの納期変更指示である。
しかも半端な変更ではない。勿論、納期を後に遅らせる変更ならばそれはそれで厄介なこともあるがまだ軽い。
今回は、納期の前倒しであった。しかも4週間も。そして「厳守」とかなり強調されて書かれているではないか。何が厳守だ。ふざけんな。と瞬間的に思ってしまう。
納期を一週間早めるだけでもどれだけの労力がかかると思っているんだ。一回やってみれば分かるんだよ。今進めている仕事を一切ストップして、そのためだけに何本の電話とファックスと時間をそこに費やすことになるのか。あんたは電話一本ファックス一枚で形が付くんだろうけどこっちはそうじゃないんだよ。現場を抱えているんだよ。
それを4週間だ?そもそもGW明けの納期の予定を来週の月曜に入れろだと?冗談じゃない。
でブチ切れそうになるのを堪えて冷静に電話をかける。そして開口一番「無理ですよ」と僕は言う。
僕の性格上はなから無理と決め込むことに対しては正直抵抗がある。でもこれは違う。無理だ。道理に適っていない。
「だってまだモノの影も形もないんですよ?それをどうやって来週頭に入れることが出来るんですか。今日火曜日であと一週間もないじゃないですか。何でこんなことになる前に営業で抑えられないんですか」
喋っている間にどんどん苛立ちがエスカレートしてくる。

結果、来週は無理だと分かったから再来週の月曜日には絶対入れてくれと僕は強姦されるに至るのである。
お陰で一日、僕はその調整と業者さんへの詫びとに明け暮れる羽目になってしまったのである。


この反省面は、僕が苛立つ気持ちをエスカレートさせてしまったことである。
どうせやるなら(やらされるなら?)気持ち良くやった方が、お互いいいに決まっているのである。それが出来なかった。その営業のオッサンを、憎いとまで思ってしまった自分がいたのである。
遅れた分は、翌日には持ち越せないから残業してカバーするしかない。で結果一日、イライラし通しだった。
自分の中の修羅を、まざまざと見せ付けられてしまったようなものである。
まだ、青いな。俺も。

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2006年4月 7日 (金)

住めば京

有休を取る。

普段出来ないことをする為である。
目的地は、名古屋市。港区。僕の生まれ育ったところ。まあ言ってみれば故郷である。
桑名から23号線を車を走らせる。
途中、大事な忘れ物をしていることに気付く。木曽川あたりで。で急いで家まで引き返す。でまた走る、走る。大幅な時間ロスだよ俺よしっかりしてくれよ。

忘れたものとは、保険証券。
行き先は港区の小さな郵便局。


そこの小さな郵便局で、実家の母が(元々は父が)、僕が18歳の時から僕にかけてくれていた養老保険が20年経って満期になったのである。幸せなことに僕は20年間死亡も入院もせずに今日まで生きてこられたわけである。
んー20年かあ。
その間僕は親父を亡くし家を出て四日市に住み結婚し桑名に移り新しい家族が増え気が付いたらすっかり桑名の人間になった。
しかし20年かあ…歳くったなあ。

でまあそれを引き出しに行くという寸法である。その郵便局へ行くのも20年ぶりくらいかもしれない。
ね。これは一日会社休む価値あるでしょ。
それを証券忘れるとは何事だ俺よやる気あるのか。


(ここで帰宅後妻から鋭いツッコミあり。
「今日どこまで行ったの?」
「名古屋よ」
「何しに行ったの」
「何て、昨日話したじゃん。保険が満期になったから払い戻しに行ったんだよ」
「何で名古屋まで行ったの?」
「何でて・・・何で?」
「郵便局は全国どこでもいいんだよ?何しに名古屋まで行ったの?」
「え…?…あ……そうなの??」
何しに名古屋まで行ったのだ僕は。しかも有休とって。そんなら会社休まなくても良かったじゃんか。まあ、いいや。済んだことだ。休暇と思おう)


で、何だったっけ。
あそうだ。今日は陽気もいいし車の中は冷房をかけたくらい暑かったんだ。
で喉が乾いた。昔よく通っていた近くの喫茶店でも飛び込もうかと思う。

だがその店の前まで来た時、僕は言いようのない寂寥感に襲われた。
確かに、ここは馴染みの喫茶店では、ある。
だが何かが違う。
町並みもそうだ。目をつぶっても歩けるくらいこの辺りの地理は頭の中に残っている。だが目に映る景色は僕の記憶の中のものと微妙にずれている。

結局、僕は自動販売機でジュースを一本買って飲むことにした。


そして気付いたのだ。
それは、かつてここで暮らしていた僕という人間はもう記憶の中にしか存在しておらず、だから、僕はもうここの住人ではないということなのだ。
僕は明らかに、其処においては異邦人であり、そして其処に留まるべき人間ではないことを僕は知ったのだ。
僕の帰るべき場所は、もう、ここではないのだ。

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無錫旅情

上海虹橋空港に降り立った時。


大きなスーツケースを引いて、僕はタクシーを待っていた。
少し離れた所から何やら怪しげな中年のオジサンが僕を見ていることに気付いた。そして案の定、僕に近寄り声をかけてきた。
「どこ行くのですか。送りますよ」達者な日本語ではあったが、どこか造られた様な印象を僕は受けた。
「日航龍柏(ニッコウロンバイ)ホテルまでです」と僕は答えた。
「それならすぐだよ。送りますよ。大丈夫。安いよ」とオジサンは言った。
事前に調べておいたから近いことは分かっている。まあ、いいか。近いからぼったくられても知れてるだろうし。で乗ることにした。
「こっちに車あります」少しオジサンの車まで歩いた。このオジサンは何故タクシー乗り場に停めないのだろう。やや疑問に思ったが何しろ初めての上海だ。何が起こるか分からないのも面白い。こういうこともいい経験になるに違いない と妙に納得した。

車の助手席には人が居た。オバサンだ。誰だろう。でもそのオバサンはそのおじさんの奥さんなのだと何故か僕は直感的に理解した。
そしてそのひいき目にもとてもタクシーとは呼べないその車に乗った時、あることに僕は気付いた。
両替をすることを忘れていたのである。財布の中には仮払いで支給された日本円しかない。車はすでに動き出している。どうしよう。でオジサンに話してみた。
「両替を忘れちゃったんです。日本円しかありません」
「大丈夫よ。両替今出来るよ」とオジサンは言う。ああそうか、そういうことも出来るんだ。ホッとした。
で僕はとりあえず一万円を渡した。現地の通貨にしてみれば結構な大金である。レートは事前に調べてあった。だからもしそのオジサンが誤魔化していい加減に両替をしたらド叱ってやろうと僕は思っていた。
意に反して、両替は適正だった。なんだ面白くない。見た目と違って意外といいオジサンじゃんか。
オバサンは日本語が分からないように見える。ニコニコ笑っているだけだ。

程なくしてホテルに到着する。礼を言って僕はそのオジサンの言い値の額を払った。たった今両替してもらったばかりの人民元で。
上海にはとりあえず一泊の予定だ。明日は汽車に乗り蘇州そして無錫まで行く予定。僕の初めての中国出張は、無事に幕を切って落とされたようだった。

問題が発生するまでは。


そして事件は翌朝日航龍柏ホテルをチェックアウトする時に起こった。
僕は精算書を見て所定の額を現地通貨で支払った。
するとカウンターの上に並べられた僕の出したお札を見るなりキャッシャーの女性が怪訝な表情をしていることに気付いた。
そして彼女はこう言うのである。
「お客様、この金は外国人の方はお使いになることが出来ません」

一瞬、僕は彼女の言うその意味が分からなかった。
そして気付いたのである。

それは今より遡ること15年以上前のことである。その当時中国には二種類の通貨があった。
人民元と兌換券。
中国人用と外国人用のお金が二種類あったのだ。単位は同じ「元」であったのだが。
どうやら初めての中国出張で、僕はいささか舞い上がっていたようである。それをコロッと忘れていたのだ。

「すみません、空港で両替を忘れてしまったのでタクシーで両替して貰ったんです」と僕は答えた。
「そうですか。お客様、申し訳ございませんがこの人民元は中国に住んでいる人しか使うことは出来ません。お支払いはどのようになされますか?」気の毒そうな(少なくとも僕にはそう見えた)表情をして彼女は僕に言ってくれた。
仕方なく僕はカードで支払った。

そのあと彼女はある事実を僕に教えてくれた。僕が最も知りたくなかった情報を。諭すように。
「人民元と兌換券ではエクスチェンジレートが全然違います。その差は30%程です。また日本円は裏ルートで高くやり取りされているのです。ひっかかりましたね」 と。


くそー。やられた。
てんで僕はおのぼりさんだったのだ。
どうりで、あのオヤジ。終始ご機嫌だったわけだ。助手席のオバサンのニコニコ顔も今となっては途轍もなくにっくきものに思えてくる。


そんな感じで、僕の無錫旅情は始まった。
(続く・・・次回はまた気が向いた時にでも^^)

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2006年4月 5日 (水)

帰路

自宅が近づくと、まるで直ぐ傍に子供達の声が聞こえるような気がする。


玄関を開けると、「パパだ!おかえり!」と元気一杯出迎えてくれる。
僕にとって、一日の時間の中でこの時が一番嬉しくそして幸せを感じる瞬間かもしれない。

きっと僕は生涯、今この時に目にし感じていることを忘れる事はないだろう。

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2006年4月 2日 (日)

再会

報告を。

「奇跡」
僕は歌い切ることが出来た。
本音を言うと、実はとっても怖かった。高音が出るかどうかの不安もあった。
比較にはならないかもしれないけれど、荒川静香さんが演技の前にひたすら自分と向き合っていた姿が僕の支えになったところも実は、ある。
今の自分よりも強くなりたいから僕はこれを歌うのだ。だからそれは、誰のためでもなく自分のためなのだ。そう昨日決意した。
そして、僕は乗り越えた。


その場で、思いもよらなかった人と再会する。
それは、偶然というものを完全に超えているとしか言いようがない。
お互いが、何でここに居るの? と言う感じなわけである^^


その方は、思い遣りのあるとても良い人である。
立場的には9年前の僕の置かれた状況とそっくりそのままと言ってもいいくらい。だから僕にはその人の気持ちが良く解る。


勇気は、出す為にあるんだ。
出さないのなら、それは勇気じゃない。
想いは、形に表すべきだ。
胸に仕舞っているだけの想いは、実は伝わらないんだ。

それは、この9年で僕が掴んだ真実だ。

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奇跡

妻が、これ本当にいい詩だから読んでみて と僕にすすめた詩がある。
さだまさしさんの詩である。


僕はすすめられるままに詩を読み、妻の感じた通りに僕も同じく感動した。
そしてその歌を聴きたくなった。で即Amazonで注文した。
何故か今回Amazonには珍しく発注後確認のメールが届くまで2日、その後現品が到着するまで実に一週間掛かった。普通どんなに掛かっても3日中に届いていた筈なのに。一体どういう加減なのだろう。まあいいや。

で届いたばかりのCDをさっそく聴いてみる。
さださんの作品としては珍しいイントロ無しのヴォーカルからいきなり始まる。そしてそのクレシェンドは凄まじい。さださんならではのものがある。

メロディは素晴らしく綺麗で、それでいて簡単に歌えそうでなかなかどうしてそうもいかないものがある。
編曲がこれまた本当に素晴らしく、服部隆之さんの手によるものかと思いきや渡辺俊幸さんのものだった。普通の人では考えられないコードを本当に自然に持ってくるところなど流石。この間奏のコードをコピーするだけでも本当に音楽的な勉強になる。アレンジャーという人は、本当に優れた音楽的才能の持ち主出なければ絶対に成り立たないものなのだと心からそう思う。


どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない

僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない
けれどあなたを思う心なら 神様に負けない
たった一度の人生に あなたとめぐりあえたこと
偶然をよそおいながら奇跡は いつも近くに居る

ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない

今日と未来の間に 流れる河を夢というなら
あなたと同じ夢を見ることが 出来たならそれでいい
僕は神様でないから 奇跡を創ることは出来ない
けれどあなたを想う奇跡なら 神様に負けない

ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい

ああ大きな夢になりたい あなたを包んであげたい
あなたの笑顔を守る為に多分僕は生まれてきた

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない


…一聴すると、恋人へ捧げる歌のように思う。
でも僕は、これは愛する我が子に捧げる歌なのではないかと思う。


明日、僕は大勢の人の前で歌を歌うことになっている。
そして僕は明日、この詩を歌おうと思う。
つい先日CDが届いたばかりであるから歌詞すらうろ覚えではある。でも下手でも構わない。何故なら僕はこれを歌いたくて仕方がないのだから。
だから僕は僕なりの解釈で、自分の為に精一杯この詩を、歌いたいと思う。
Kiseki

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2006年4月 1日 (土)

3121

それが本名だと知ってから僕はその人に妙な親近感を抱くようになった。
それまでは、自分を誇示・鼓舞するためにそのような名前を立てていると思い込んでいたからである。


初めてその音を聴いたのはいつだっただろう。高校1年の時か。
確かテレビで放送されていたグラミー賞の授賞式か何かでボディガードに囲まれて颯爽とステージに現れそして「Purple Rain」を歌いギターを弾き倒しスタンディングオベーションを浴びている姿を目の当たりにした時だったと思う。
記憶ではマイケルジャクソンも同じ会場にいて、サングラスを取るだけで嬌声をあげている熱狂的ファンの姿を僕は冷めた目で見ていた。それはビートルマニアに対するストーンズのファンの心理か?よく分からないけれど。
まあとにかく僕はそれ以来「プリンス」の虜となってしまったのであった。
お陰でデビューアルバムから順に全て聴かずには居ても立ってもいられなくなってしまったのである。


高校の時は割と耳の肥えている友が常に廻りに居たから浮かずに済んだのだが、社会に出てから僕はプリンスを好きだという人と不幸にも出会ったことがない。考えてみるにやはりそのセクシャルで変態チックなイメージが大きくブレーキとして作用し、公然とプリンス好きであることは内面の変態性を吐露するようでうっかり口に出すということが憚られるに他ならないと思ってしまうのだがどうだろうか。何しろかく言う僕もプリンスが好きだと公けにいうことに対しては少々抵抗があるにはあるのであるが。

正直に告白すると、僕はプリンスの音を聴くことが非常に気持ちいいのである。
どういう言い方をすれば一番適切かと考えてもただ気持ちいいとしか表現のしようがない。
一部分を聴いただけで即プリンスの音だと僕は判断出来る自信がある。まるでビートルズの音もそれと同じように感じるように。


過去にこんなことがあった。
ビートルズのアンソロジープロジェクトが立ち上がり、そして大晦日ににそのダイジェスト版が放映された頃のこと。小宮悦子さんのナビゲートだった。
その少し前に、FMで「ビートルズの新曲」が先行でオンエアされていた。「FREE AS A BIRD」である。
そういう曲が発表されることは知っていた。しかしその頃の僕は他ごとで頭が一杯で(恐らくその当時付き合っていた女の子のこととかそういった類のことだと思う)、ビートルズどころではなかった。
そして車を運転している時、DJが何かを喋り終えた途端、一瞬の間を置いたあと出し抜けにラジオから ダン・ダン というスネアの音が聴こえて来た。
瞬間的に僕の背筋を何かが走り、全身に鳥肌が立ったことを覚えている。
ほんの僅かの時間、コンマ何秒かで僕はそれをビートルズの音だと悟ったのであった。しかし聴いたことのない歌だった。でも間違いなくこれはビートルズだ。だって、ジョンの声が聞こえてくるじゃないか。
思わず車を停め、口を半開きにしたまま僕はそれに聴き入った。
これが、僕の唯一のリアルタイムで感じたビートルズである。


でプリンスであるが、正直なところここ最近のものはあまり好きになれなかった。気持ち良くなれなかったのである。
幾らプリンスたる人であろうとやはり人の子、老いて勢いは枯れてしまうものなのだろうかと…畏れ多くも僕はそう思うに至ってしまったのであった。
しかしこの「3121」は違う。僕の中で勝手に創り上げたプリンス像が間違いなくここにある。音が、気持ちいいのである。それはもう、理屈ではない。
僕個人的には、非常に密室的な音のする「Sign of The Times」辺りが非常に好きなのであるが、「パレード」の時のような倒錯しているといっても過言ではないラジカルで訳の分からない感じもある。アルバムのライナーにも同じような表現があるが、プリンスが「発明」した音の洪水がここには溢れているのだ。ぞくぞくする。
密室ファンク。下半身にガツンと来る感覚。んーよく分からないが。

頼もしきプリンス殿下、健在である。
「3121」(Thirty-One,Twenty-Oneと読む)の意味は全く分からないけれど。

3121

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スピードキング

ハンドルを握ると僕は人格が変わっていたようだ。過去の話。

それは勿論、一人で乗る時である。確証はないがその筈である。
うっかりすると、150km/hはすぐに出てしまっていた。無論、高速道路での話である。
もう時効であるが前に仕事で行った加賀温泉付近の現場から四日市の工場に帰ってくるまでの所要時間が普通3時間以上かかるところ2時間10分だったことがある。その後、そのバンに乗った同僚が「このクルマ凄くエンジンのフケが良くなった」という発言を聞いた。


子を持つ親となった今、僕は極めて安全運転の良きパパとなっている。筈である。

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偶然

人と人が付き合うようになるなんてことは、最初はそもそもが全て偶然の産物である。後からそれが必然だったと気付くことは多いが。
いつ何処で、どんな人と出会うか誰にも予想なんて出来ない。

人生というものは、ジェットコースターに後ろ向きに乗っているようなものだとずっと以前にさだまさしさんが言っていた。ジェットコースターに後ろ向きに乗っていると(そんなことはお金を貰ってもしたくはないが)、前方即ちこれから起こること要するに未来は何もわからない。見えない。ただ過去だけが物凄い勢いで過ぎ去っていくのが見える と言うのである。
なるほど上手いことを言うなと思う。まさにその通りと僕も思う。


合言葉に近いようなサインで、その場所を決める。
ハッキリした約束はしていない。しかしその場に向けてお互いがそれぞれ歩いてゆく。


例えばもしその時、同じ場所に辿り着くことが出来なかったなら。
もしかしたらそこから行き違いが生じていたかもしれない。
そしてそれは目には見えない亀裂となりどうやっても修復不可能な溝となってしまっていたかもしれない。

以前僕と付き合いのあった人は、それを平然とする人だった。
思い切りがいいというか度胸がいいというか、とにかくそれでダメならそれでお終い と割り切っていた(少なくともそのように僕には見えた)。
でも不思議なことに、僕はただの一度も間違うことがなかった。

偶然を、自然に作り出すことの出来る人だった。
その偶然に、意味を見つけることが上手だった。そしてそれを楽しんでいた。
それに付き合わされる僕と言えば、実はたまったものじゃなかったのだけれど。
でも悪い気がしていたわけではなかった。ヒヤヒヤしながらも、僕も内心それを楽しんでいたのかも知れない。
もしかするとそれは僕の中の女性的な部分であるのかもしれない。


でもまあ、今思うとそれは僕の人生の中でも最も不思議な期間だったとはいえる。

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ねじまき鳥クロニクル

余計な書評などは目にしたくもない。予備知識も要らない。
いま、僕はこれを読んでいる最中なのだ。しかも、久しぶりに読む村上作品なのである。


過去一時、僕はヤバいと思った。このまま行くと僕は完全に村上中毒となってしまう。
片っ端から村上作品を全て読み漁り、新作を待つしか道は残されておらずこの先もう読むものが無い程に飢え切ってしまうことを恐れたのである。だから自制した。そんなことは耐えられなさそうだ。ひとまず冷却期間を置いて他へ行こう。うんそうしよう。でそうした。

でもうそろそろいいかなとちょっと戻ってみたのである。そして手にしたのがこれである。
いつも書店で背表紙と裏書きだけを眺め、決して頁を開けなかったこの作品。文庫で3分冊になっている。何故「海辺のカフカ」のように上下じゃなく3部なのだろう。きっと意味があるのだろう。
そしてまた、その語り口は「僕」であるのだろう。


そして僕は今、何処までも非現実的であるにも関わらず余りにもリアルなその文章にまたしても、ヤラレてしまっているのである。
村上春樹氏の作品は、僕に大きな、そして圧倒的な影響をいつも与えてくれるのである。
そしてそれは間違いなく僕の中の何か深い部分に作用し、だから普段思い出しもしなかったことや忘れ果ててしまっているものを強烈に思い出させるのである。
「ノルウェイの森」を読むと鬱になる という書評を目にした事がある。
幸い僕は大丈夫だったが、ある種の環境下である種の読み方をすると確かにそれはありえない話ではないなと思ってしまう。村上さんの作品はそれ程に、読み手の何かを揺さぶるのである。


とりあえず僕は、もっと、揺さぶられたいと思っている。
この時点で僕はもう既に、完全なジャンキーなのかも知れない。

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