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2006年5月

2006年5月21日 (日)

急がば回れ

ある用事でJR四日市駅の近くまで行こうとする。人と待ち合わせをしているのである。


今日は、奥さん方の祖父ちゃん祖母ちゃんのアルファードを一日預かっていた。だからその時も、使わせてもらった。こういう大型の乗用車も慣れれば楽チンなのである。しかもナビ付いてるし。でこのナビ。当然のことながら検索機能がある。ルート選択のオプションで「推奨」や「一般道優先」また「距離優先」等々。
極端な方向音痴である僕はこのテクノロジーには非常にありがたい恩恵を今まで沢山受けている。
またナビゲートして貰うことにより今まで知らなかったルートを発見できるという感動もままある。ナビとは全く素晴らしいものである。


ところがちょっとしたことで約束の地まで向う出発予定時間を少々遅れてしまった。
別に急いでもいない時なら普段走り慣れた道を適当に走っていくのであるが、今は約束がある。遅刻するわけにはいかない。だからナビに任せて最短時間・最短コースで行こうと考える。
こういう時こそ急がば回れ。じっくり確実に歩を進めていくのだ。焦って知りもしないとんでもない道に迷い込んでしまっては元も子もない。ただでさえ自他共に認める極端な天然の方向音痴な僕なのである。

で車を停めてピピッと入力。目的地は取り敢えず「JR四日市駅」とする。でまた取り敢えずルートは「推奨」コースを選択。
はは~ん。23号線に出るわけね。まあ多少遠回りではあるが無難な線でしょうな。でも何だか当たり前すぎるルートだな。こんなんならわざわざナビして貰わなくてもよさそうだ。
で、ディスプレイには所要時間約25分、目的地までの距離11.6kmと表示される。まあ、いいか。

で走り出すと途端に無機質な女性の声でアラートが入る「この先、渋滞があります」。
なるほど。そう来るのね。
でもう一旦停止。うんうん。急がば回れの精神だね。・・・とは言いつつ。かなり焦って来ていることは隠し様のない事実ではある。
再度タッチパネル上の「再検索」のボタンを押す。渋滞しているなら時間は読めない。ならば次は「距離優先」だ。

で結果が表示される。
所要時間は同じく約25分。ところが距離は大幅に削減されて「8.6km」となっていた。

…何だこの差は?
このナビちょっといかれてんじゃないか?何でこれを「推奨」してくれないのさ。しかも最初は渋滞しているルートを「推奨」しやがって。お前おちょくっとんのか。で迷わずこのルートを選択する。
こんなんだったら最初からこっちにしときゃ良かったんだよ。新鋭ナビとはいえ万能じゃないな。所詮は杓子定規な機械ってわけか。
さっきはナビって素晴らしいものだなんて書いたけどさ、こういう現実に直面すると別に大したことないなあ。やっぱり機械に頼るってのはロクなことにならないんだよ。うっかり余計なガソリンを消費してしまうところだったぞ。いい加減にしてくれよ。ただでさえ世知辛い渡世なんだ。
もうお前の魂胆は見えたぞ。俺を嵌めようとしたんだな。もう騙されないぞ。


と、鬼の首を取ったような誇らしさに包まれた僕をそれでもナビは健気に案内している。
「300メートル先、右折です」
おーよしよし。それでいいんだよ。とっとと案内しやがれ。
で何?右だ?そこは通ったことないぞ。なかなか粋な道を選択するじゃん。どれどれよーし曲がってやろうじゃないの。

で。


…え?
ここ??

コレ曲がるの??
ここ信号ないけど?いいの??
あ…曲がっちゃったよ。
でもだって…メチャ細いよ?この道。まさかと思うけどこれ自転車用通路じゃないの?
普通の人はここ入らないでしょう。クルマでは。絶対。

…だってしかもこのクルマ。
アルファードだよ??
しかも預かりもんなんだよ。ちょっとでも擦ったら立場上ヤバいんだよ。あのさあ、勘弁してくれよ。


その後、僕はさんざんやたらと細い(いや細過ぎる)道ばかりを延々と走らされることとなったのであった。それが軽ならまだしもアルファードで。
だからといって今さら引き返そうにも切り返しなど到底いや絶対に不可能だ。とにかくこのまま前進するしか手がないのだ。
その時の僕の唯一の願いはお願いだから対向車だけは来ないでというただその一点のみであった。いや違う。それは対向車などというレベルではなく人が一人歩いているだけで完全に立ち往生してしまう程の道幅であったのだ。

途中何度も一旦停車しながら電信柱や民家の壁をひとつひとつクリアしそして背中や脇にじっとりと冷や汗をかきつつ思い返してもゾッとするほどの数々の難所をくぐり抜け何とか無事に僕は目的地へ到達したのであった。
所要時間は…35分。しかも遅刻もしてしまったわけである。


この時僕は、このルートを「推奨」としなかったナビの心憎いまでの有り難い(本当に有り難い筈だった)そして運転者に優しい心遣いに対して、泥を塗りつけるような筋違いも甚だしい程の憤慨をしてしまったことについて心から謝罪の念を抱いたのである。
ナビよ。スマン。俺アンタに濡れ衣をかぶせてしまったようだ。アンタが正しかった。「推奨」という言葉の裏には、こんなヤバい道に俺を迷い込ませないでおこうという配慮があったのだな。
しかも出遅れた自分の責任を棚に上げて。
ナビよスマン、バカな俺を許しておくれ…。


確かに、最初の推奨ルートで入ったとしても軽い渋滞を含め所要時間はそれ程変わらなかったのかも知れない。まあそれは知る由もないけれど。
でも思い返すとその時、少しでも早く到着しようと無意識に「欲」を出したのは事実だ。


いろんな角度から改めて『急がば回れ』の意味を考えさせられる一連の出来事ではあった。

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2006年5月20日 (土)

虚無回廊

とんでもなく僕は出遅れてしまったようである。
氏の熱烈なファンを自認していた僕であるが、全く情けないことである。あろうことか6年も遅れてしまったのだ。
それが出版されたのは2000年であった。20世紀終盤だったのだ。


中途半端な宇宙大スケールを完全に超えているこの物語のこの壮大さと言ったら世界的に考えても他に類を見ないのではないか。日本が世界に誇るSFの巨匠のライフワークならではである。
それは人類と地球外知的生命体とのファースト・コンタクトを描いている。
アウトラインは以下の通りである。

太陽系より5.8光年離れた彼方に突如出現した直径12兆キロ、長さ20兆キロの人工的そして超自然的な円筒状の構造物。それは「SS(super structure)」と名付けられる。

ここで「直径12兆キロ、長さ20兆キロ」のオーダーとは如何?
正直なところ僕には想像すら出来ない。その範疇を遥かに超えている。
その単位をわかりやすい尺度で云うと10兆キロ≒1光年となる。となると、直径1.2光年・長さ2光年。・・・うーむ余計に解らないな(笑)

で話は、有限の生命体である人類がそこへ到達することは現在(物語中では近未来)の技術力では到底適わない、だからそこでその人間の意志をコンピュータ上の人工実存(AE)に写し、SSへ向けて送り出す人類。そしてその航海中の長遠な時間をかけて自らを成長させ意識体として人類のそれを超越するに至るAE-HE2(HEとは日本人である製作者の遠藤秀夫氏のイニシャル)。
そしてようやくAEがSSへ到達し知的生命体らしき存在と接触したところで突然物語は途切れている。


思い起こせば初めてこの物語に触れたのは遡ること13年前、親父が入院して初めての手術をしている際に待ち時間を潰すために病院の売店で手にした時だった。
手術中だというのにも関わらず不謹慎にも僕はこの物語に引きずり込まれ時間の経つのも忘れ没頭してしまったものだった。

その当時この物語はⅠ及びⅡのみが出版され未完のままその後数年の間続編の出版がなかった。
ことあるごとに僕は続編の出版がないかチェックし、その度に失望し、だからいつしかその行為をすることを止めてしまっていたのであった。このまま未完のまま氏は終わらせてしまうのではないだろうかと思ったりもした。
さもなくば全く新しい形で氏以外の誰かがこれを受け継ぎ、様々な形でその展開を多様化していくのではないかとすら考えたり(まるでG・ルーカスのSWのサイドストーリーの如く)。
いや、それは止めて欲しい。偉大なる氏の文章を僕は読みたいのだ。熱烈に。


それがある日突然仕事中に全く出し抜けに思い出し、思い立ったが吉日と仕事を打っ棄って(笑)Amazonで確認したところ続編のⅢが出版されているとわかったのであった。その衝撃たるや。半日は仕事が手に付かなかったね。

で何の迷いもなく僕は即座にこれを注文し、そしてそれを(文字通り)震える手で紐解いた。なんせ13年も待ったのだ。待ち焦がれたものが紛れもなく今、僕の手中にあるのだ。


で読み進めて行くなり僕はある重大なことに気付く。
巻頭にはいきなり「承前」とある。よしよし。いいぞ。そう来なくっちゃ。こういう勿体ぶってないところも氏らしい。
で、最初の一行を読む。


…。

数頁読み進める。

…。

…。
…。

…。
…?


アカン。俺。
どこで話が止まっていたのか詳しいことを忘れているぞ。しかも完璧に。
この老人って誰?少女なんて出てきてたっけ。

何だこのつかみどころのなさは。
俺このまま読み進めてしまっても良いのか?と果てしなく逡巡し、どうやら13年の歳月というものはかくも多くの損失を伴っていたのだと痛感する。

で結論する。
もう一度Ⅰ、Ⅱを読み返そう。


で探す。
ない。多分実家の本棚に置きっぱなしになっている。しかしその確信もない。わざわざ実家までこれだけを取りに戻ってなかった時のショックはかなり大きいと推測される。
…も一度買おうっと。
で、苦渋の決断としてはⅢは一旦中断することに(笑)
そしてさっそくAmazonに追加発注。明日、届く予定。
もう一度じっくりと味わおう。最初から。13年前とは絶対に違っているはずの僕の五感で。


出版された時点から6年という年月を経てかなり遅れてやっと続編を読めることになったのではあるが、僕にとっては全くの新作ということに変わりはない。
何故ならそれは、自分の意志で頁を開くまで書かれているそれを僕は絶対に体験することが出来ないからだ。これは自分で制御できるのだ。


本とは、こういうところがいいのだ。


最後に本文とは全く関係がないが氏の名言を。

「幼くは親に従い
婚しては妻に従い
老いれば子に従い
惚ければ猫に従う


「虚無回廊Ⅲ」(小松左京著)

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2006年5月19日 (金)

苦手を克服

僕は殆ど大怪我というものをした事がない。だから入院経験もなし。
献血もしたことがない。だから自分の血液型が正確にはよく分かっていない。


僕に比べ弟は過去に割と武勇伝があったりする。
友達と遊んでいて不自然な転び方をして腕の骨を折ったり、公園の柵から飛び降りた時に枯れ枝が腿に深々と突き刺さったり。
僕にしてみれば想像するだけで身の毛もよだつような伝説的な痛い思いをしているわけだ。
大体どこの家庭でも、第一子は割と大人しく、二人目はあばれはっちゃくだったりする。
それはうちも例外ではなかったようだ。


そういえばうちのチビすけ達も結構日常的に血を流している。
上の花音はよく転んで膝小僧を擦りむいたり歯を折ったりする。
下の里音は結構用心深いのかあまり転んだりはしないが、その割に結構流血する。
去年の夏など蚊に刺されたところをいつまでもポリポリポリポリと掻くので皮膚が破れて血が出る。で瘡蓋になるとまた痒くなるのでポリポリポリポリ剥がしてまた血が出る。
双子だからあまり上下の差はないが、キャラクターは全く別だから別の血の流し方をするものなのだなあ と感心する。
あとこれは二人に共通しているが爪の甘皮を毟る。執念を持って毟る。いつまでも毟る。で血が出る。


僕は血を見るのが苦手だった。
健康診断の時に採血された血を見ただけでもぞっとしていた。
そんな僕でも一度だけ血まみれになったことがある。

幼稚園の頃。
うちの隣のまあちゃんは自前の滑り台を持っていた。木製のそれはそれは立派なものだった。
よくそれで遊ばせて貰った。

普通の遊びに慣れてくると変ったことがしたくなる。
それで、僕は滑り台の滑る方から逆に上りそして階段から飛び降りる という遊びを発明した。
これはその当時近所の友達からも絶賛された画期的なプレイだった。カッコよく、ちょっとした勇気も試される。
そしてある時、それは起こった。

開発したばかりの遊びで僕がいつもの通り滑り台を逆に登り、そしてカッコヨク飛び降りようとした時。
階段をヨチヨチとよじ登ろうとしている我が可愛い弟の姿が目に映った。
その時すでに視界が45度ほど傾いていた。
空中でバランスを崩しつつあった僕は何とか体勢を立て直そうともがいたが遅かった。

手足をバタバタさせて僕は羽ばたくように何とか弟を避け不自然な体勢で着地に成功はしたが、着地した途端膝がカクっと折れた。
そのまま僕は土下座の体勢になりおでこを地面にしとどに打ちつけた。
途端に視界が真っ赤になった。何が起こったのか全く訳がわからなかった。
気がついたら胸のあたりが血まみれになっていた。
運悪く土下座をした地面に割と大きな石ころが転がっていたようだった。
パックリと眉間が割れてしまっていたのたが、あまりの出血で度肝を抜かれたのか不思議と痛みは感じなかった。
また弟をかばって被った名誉の負傷でもあるから子供心にも自分を誇らしく思った。
ただ自分の身体から思いもよらないほどの血が出たことに対する恐怖心みたいなものだけはあった。
まさか死にはしないだろうが血出すぎ みたいな。


この通り血には弱い僕ではあるがその僕が我が子の出産(しかも帝王切開・・・だから手術)の時にそれに立ち会う という快挙を成し遂げたのだ。
今思い返してみても立ち会ってよかった と本当に思う。
自分の血は怖いが愛する家族の血は怖いものではなかったのだ。

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2006年5月12日 (金)

最高のヴォーカル

いやそれはヴォーカルというより咆哮というべきか。


喉から搾り出すようなそのヴォーカルは凄まじい。聴いているだけで体中からアドレナリンが噴き出すような感覚がする。
ジョンがメイン・ヴォーカルをとるビートルズの曲の中でもこれが1、2を争うものだと僕は思う。


ジョンのシャウトで余りにも有名なものは初期のもので「TWIST & SHOUT」がある。

そのレコーディング時。
ファーストアルバムのレコーディング・セッションは終盤を迎えそして午後10時半をまわった頃。
その日酷い風邪をひいていたという23歳のジョンは上半身裸になり、士気を高ぶらせこれ以上もう二度と歌えないという位にその一曲に全身全霊を注ぎ込みそしてその声をテープに記録したという。
そして「最高で驚異的な演奏だった」とジョージ・マーティンをはじめコントロール・ルームにいたスタッフを痛く感動させたという。


ジョンほどヴォーカルのスタイルが変わったヴォーカリストも珍しいのではないかと思う。それは年齢相応の肉体的な変化によるものであることは勿論であるが。
それにしてもジョンのヴォーカルはアルバム一作一作でことごとくそのスタイルを進化させているように思う。ファースト・アルバムとラスト・アルバムの時間的な期間は僅か7年に過ぎないにも関らずその声の違いは全く別人といってもいい程の差がある。どれ程の体験をすればこのような劇的な変化を顕すことが出来るのだろう。


この曲は1965年、ジョンが25歳の時に記録された音源である。
これは前述の「TWIST & SHOUT」に勝るとも劣らない(いやむしろ洗練されているだけ強力さを増しているのである)、途轍もない破壊力を持ったジョンのヴォーカルを全編に聴くことが出来る。この声はまさに「咆哮」と表現することが相応しい。歌っているその喉から血が噴き出しているような気さえするほどである。
これほどの見事な音楽として成り立つ「咆哮」を僕は他に知らない。ヴォーカリストとして僕の尊敬するジョン・ボン・ジョヴィの声でさえここまで見事なシャウトは聴くことが出来ない。ましてやその辺の半端なロック・ヴォーカリストなど足元にも及ばない。
ジョンは、ヴォーカリストとしても間違いなく唯一無二、そして不世出の存在であるのだ。
ただ日本人でこれに近い凄まじいヴォーカル音源を残しているアーティストが僕の知る限り一人いる。尾崎豊さんだ。


これは僕の主観であるが、ジョンのヴォーカルの魅力というものは、「動と静」そして「情熱と冷静」がそこに同時に存在していることにあると思う。
ジョンに内在する情熱は桁外れに熱く、そして内面には同時に繊細さが備わっている。寂しがり屋で意地っ張りであり、またそれを防御する為なのか攻撃的で且つ内省的。
自らの肉体に備わる「楽器」としての喉を自在に使いそして其処から発せられる「声」にその持て余すほどの情熱を顕すということが出来たジョン。
そんな生身の人間としてのジョンに僕は堪らなく惹かれるのだ。


「DIZZY MISS LIZZY」

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2006年5月10日 (水)

BBC

初めて聴いた時の率直な感想は「何じゃこれ」だった。もう10年くらい前のことと思う。


ブートレグなどさんざん聴いてレアなビートルズの音源に飢えていた僕は、未発表曲満載という売り文句で発売されたこのアルバムに無条件で飛びついた。
でこのCDを初めて再生した時の率直な感想が冒頭のそれである。
音は悪いし、演奏は雑っぽく聴こえるし未発表曲といえどオリジナルじゃなくカバーだし。


その頃の僕はコピーバンドにも縁が無かったし、また近い将来そういう状況になることすら想像だにしていなかった。
当時の僕の志向はビートルズの後期 であった。ホワイトアルバム以降の音しかまともに聴く気にならなかった。
そんな状態で手にしたこのアルバムである。当時の僕の情けない琴線に触れるはずも無くとりあえず一聴してお蔵入り となったわけである。

その数年後セルターブに加入することとなり、そして僕はまっちゃんから殆ど自動的にジョン担当に任命された(メガネをかけていることがアピールポイントだったのかもしれない)。
でまずはライブ実行を目標にスタートした背景から、レパートリーの選曲は四人で演奏し易い初期のものから多く選ばれることとなる。
そしてバンド活動を初めて何度かライブを経験し、バンドの難しさや面白さをようやく知りつつあった時再びこのアルバムを改めてじっくりと聴いてみようという意識が芽生えてくる。


そしてつくづく実感させられた。目から鱗とはこのことである。
全編スタジオライブで一発録りされたこの音源群(但し一部オーバーダブあり)を自分達で演奏してみたらどうなるかというイメージをしてみても到底どうにもならないほど高いところにビートルズは居たのだ。
恥ずかしくも今さらながらようやく思うに至ったわけである。ビートルズは、とんでもなく上手いバンドだったのだと。
これに似た記事は前にも書いたような気がするからこの辺にしておくけれど。


で今思うにこのアルバムは、ビートルズはその当時のライブツアーでは売れて人気のある決まった曲しか演奏することを許されず、本当に演りたいことが出来なかったフラストレーションを観客のいないラジオのスタジオで発散させていたのではないかと思うのである。
まだハンブルグで武者修行をしていた頃など何を演っても良かったわけだし、その頃に感じた自分達の本当に演りたい曲をライブで演奏する快感を得たくて仕方なかったのではないかと。
だから演奏も全編を通して実に伸び伸びと躍動しているのではないかと思う。楽しくて仕方ないというような。


バンドを始めていなかったら、このアルバムはきっとまだお蔵入りだったような気がする。

Bbc

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主従

こんなことを言ってしまうとどんな誤解を招くか分からないが実は僕はお金に無頓着である。


実際自分の財布の中に幾ら入っているのかそれが無くなるまで分からない。無くなってから気付くのである。
そんなことでは大人になってから大変だからダメだと子供の頃から母にも注意されていた。しかし大人になった今現在においても未だ全く改善されていない。

つまり、僕はなまじっか財布の中にお金があると気が大きくなって散財してしまうのである。しかも困ったことに何に使ったのか定かでない場合が割りに多いのである。だから気が付いたら無くなっている。
「この人に現金を持たせると危険だ」とそんな僕の性向を見抜いている妻はお小遣いを週払いにするという改革案を容赦なく断行し、そしてそれは今も継続されている。
これは僕にとってはすこぶる良い効果を発揮していると言わざるを得ない。何故なら常に財布の中身はクールビズ状態な訳であるからである。これでは気が大きくなるなんてことはありえない。拠って散在も無いという寸法だ。


妻が僕のそんな性向を見抜いた瞬間というものが、ある。その時のことを僕はしっかり覚えている。
それは結婚する前に彼女と付き合いだした直後の頃にさかのぼる。初めてのデートというか、仕事帰りに僕が彼女をカラオケに誘った時のこと。
僕の誘いを快くOKしてくれた彼女とさあカラオケ屋へ と意気揚々向ったはいいが、ある重大なことに僕は気付き身震いするほどの戦慄を覚えたのである。
財布の中身が千円札一枚しかなかったのだ。

だが今さら引き返せない。折角OK貰ったばかりだというのに。しかし初めてのデートに所持金\1,000では冗談抜きに洒落にならない。
結果僕は正直に実情を訴え、給料日までの期間を\1,000で過ごさなければならない僕の困窮した経済状況を理解して戴いた上でカラオケ代を全額彼女に払ってもらうことで事なきを得たのであった(何が事なき なのか全然わからないが)。


まあそれでこの頃から金銭面において妻と僕との主従関係が確立されたといえる。どちらが主で従かは言わずもがなである。
そしてそれは現在に至るまで覆されていない。そしてこの先もきっと。

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2006年5月 9日 (火)

アレの名前

その昔僕は自宅近くの工事現場からアレを持ってきてコレクションするという趣味があった。小学校低学年の頃のことである。


その上部の赤い部分を取り外すと筒っぽの中に豆電球が付いたど太い乾電池状のものがひっついているあのモノである。
僕はその中身を引っ張り出しては家に持って帰り、自分の机の上に陳列していた。それを多い時では5~6本収集していた。
それはどういう仕組みなのか分からないが、辺りが暗くなると自動的に間欠的に点滅するようになっている。だから夜になると机の上がそれはそれは何とも言えない程幻想的にライトアップされるという寸法になるわけである。


でもよく考えたら断りもなく勝手に持って帰ってきている時点でこれは窃盗になるのかもしれないぞ。いや、間違いなく、そうだ。時効だからいいようなものだが。
でもちゃんと返してたからいいのかな。ただしすっかり電池が切れた後で(笑)
しかし工事現場のオジサンもまさかこんなものを収集している小学生がいるとは夢にも思わなかったであろう(笑)


でそのアレの名前は正式には何と言うのだろう。未だに僕はその答えを知らない。またどうやって調べればいいのかすら僕には皆目見当が付かない。
Are

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2006年5月 8日 (月)

衝撃映像

Mrsharanq先日探偵ナイトスクープを何気なく観ていた時にこの衝撃に出会い僕は深夜にも関わらず腹がよじれた。死ぬかと思った。

元はNHKのど自慢の岐阜大会に出場しその存在を全国にアピールしたという幸ちゃん。僕が知らなかっただけで既にネット上では熱狂的ファンの間で確固たる地位を築いていたようである。
その幸ちゃんの途方もなく独創的唱法と、聴く者の何かを激しく揺さぶりそしてザワつかせるその歌声は他の追従を決して許さない。

それが自称なのか定かでない「養老町の星」の肩書きを持つMr. Shalan Qこと「無臭でチョレた」幸ちゃん。


この愛すべき人物は僕の家から割と遠くない所にお住まいであるようで、機会さえあれば是非ともライブで聴いてみたいと久々に心の底から思わせてくれたアーティストなのである。


【養老町の星 幸ちゃん】

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2006年5月 6日 (土)

脈絡がない

今日、奥さん方の親戚一同の家族と共にバス旅行に行った。


馬篭散策&飛騨牛のすき焼き食べ放題&不動の滝散策&わらびもち食べツアー(笑)である。
一行の中には今日この日の昼食のために前日の晩より絶食で臨むツワモノもいたそうな(笑)

子供たちは、ずいぶん手が掛からなくなってきてはいるが、それでもまだまだパパっ子である(*^^*)
いいよいいよ。どんどん甘えていいよ。パパなんでもしてあげちゃうもんね。何たって今日は子供の日だし。
奥さんは、一日中24時間彼女らと共に過ごしているので常にキレ気味である。
だからメロメロなパパは結構な人気者なのである。滅多なことで怒らないというただその一点において。


パパは、弱い。特に娘に対しては。

先日、タモリさんのトリビアの種で非常に興味深いネタを検証していた。
Yamada

不良の山田君が出てきたやつである(山田君、演技上手すぎます。「JAZZり方が尋常じゃない」という言葉に爆笑してしまった)。
でまあ一人くらい怒るお父さんがいてもいいものだと思ったが、自分に置き換えると果たしてそうなれるであろうか。そう考えると何とも深いテーマである。


まあそれはさておき今日の帰り道。

一日中彼女らのペースにすっかりヤラレて僕は既にヘロヘロ状態である。
そして奥さんと二人で子供二人を分担する。この時僕は下の子担当であった。一日中元気なこやつ。まあ少々疲れてはいるだろうが帰り道においても相変わらずのハイテンションである。

で暫く一人で何やら遊んでいたこやつが突然口走る。

「ダブルOK、ダブルOK」


我が家においてこれはチビ達をお風呂に入れる時に両者ともオムツの中にブツの存在を認めた時に僕が使用する台詞なのである。
Wok

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2006年5月 5日 (金)

異体同心

どんな小単位の組織であろうとそれを貫く原理は不変なのである。

それが組織であろうと、一対一の人間関係であろうと。
それが利害の絡む関係であろうと気のおけない遊び仲間の関係であろうと。
それが職場であろうと家庭であろうと。


異体同心。
表面からこれを読むとその意味は以下のようになる。

「身体は異なっていても心がお互いに一致していること(例えば夫婦や友人同士の心が互いに一致して固く結ばれていること)」
夏目漱石の「吾輩は猫である」にこのような用例が引かれているようである。
『昔しなら文句はないさ、異体同心とか云って、目には夫婦二人に見えるが、内実は一人前なんだからね』


この言葉には反語がある。同体異心である。
これを反語から読むと、より一層深くその意味を知ることが出来る。


『異体同心なれば万事を成し、同体異心なれば諸事叶ふ事なし』
『一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども、一つ心なれば必ず事を成ず』


同体異心とは、端的に言えば己の中に「迷い」があること。そしてその迷いが自分を取り巻く環境に伝染していく様をいう。
異体同心の本義とは、例えば個性も性格も全く異なる者同士が持てる力を一方向に集中させベクトルを揃えた時に、そこから生み出されるものが足し算ではなく掛け算・乗算にも成ることを言うのだ。


誰しも、リーダーとなる瞬間が必ずある。その責を負う時が。
それは何も仕事上のことだけではない。
家庭においても、友人関係においても。
その時、リーダーが最も心を砕かなければならない要点はまさにここにある。


志を同じくすること。自分にとっても、仲間にとっても。
異体同心であるということとは、自己を取り巻く関係や組織を強力にするために最も必要な要件なのである。

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2006年5月 1日 (月)

オヤジ

僕は暇な時に奥さんの書籍を読むことがたまにある。いやたまにではなく、結構ある。
それがこのマンガだったり、そのマンガだったり、あのマンガだったりする。


Oboretai

中でもこの作者のものは秀逸である。
何故にこういうレベルの高いものが少年誌に載らないのか。これは少年誌のみならず成年誌にも十分耐えうると思うのである。いんや、この内容とギャグのセンスは間違いなく成年男性誌向けだと確信する。


昨日、実は深夜まで読んでいたものがある。
これがまた大変に、勉強になった。

なるほど、こうすると可愛く見えるのか。
ああー!こういうのよく見るぞ街で。
みんなこういうの読んで研究してるんだなあ。
知らなかったなあ。
これは非常に内容の濃い、大変にいい雑誌だなあ。


その雑誌を一頁一頁、僕は指を舐めページをめくりそしてじっくりと味わいながら熟読した。
今こうして客観的に思い返して見るとその僕の一連の所業はもはや疑うことなく完全に、オヤジである。
Luci094

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