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2006年5月 5日 (金)

異体同心

どんな小単位の組織であろうとそれを貫く原理は不変なのである。

それが組織であろうと、一対一の人間関係であろうと。
それが利害の絡む関係であろうと気のおけない遊び仲間の関係であろうと。
それが職場であろうと家庭であろうと。


異体同心。
表面からこれを読むとその意味は以下のようになる。

「身体は異なっていても心がお互いに一致していること(例えば夫婦や友人同士の心が互いに一致して固く結ばれていること)」
夏目漱石の「吾輩は猫である」にこのような用例が引かれているようである。
『昔しなら文句はないさ、異体同心とか云って、目には夫婦二人に見えるが、内実は一人前なんだからね』


この言葉には反語がある。同体異心である。
これを反語から読むと、より一層深くその意味を知ることが出来る。


『異体同心なれば万事を成し、同体異心なれば諸事叶ふ事なし』
『一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども、一つ心なれば必ず事を成ず』


同体異心とは、端的に言えば己の中に「迷い」があること。そしてその迷いが自分を取り巻く環境に伝染していく様をいう。
異体同心の本義とは、例えば個性も性格も全く異なる者同士が持てる力を一方向に集中させベクトルを揃えた時に、そこから生み出されるものが足し算ではなく掛け算・乗算にも成ることを言うのだ。


誰しも、リーダーとなる瞬間が必ずある。その責を負う時が。
それは何も仕事上のことだけではない。
家庭においても、友人関係においても。
その時、リーダーが最も心を砕かなければならない要点はまさにここにある。


志を同じくすること。自分にとっても、仲間にとっても。
異体同心であるということとは、自己を取り巻く関係や組織を強力にするために最も必要な要件なのである。

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