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2006年7月18日 (火)

楽観主義

衝撃的な論文を読んだ。
目から鱗とはこのことである。
昭和女子大学大学院教授の古川真人さんのものより内容を引用させていただきます。


悲観主義か楽観主義か。

「それこそが社会生活の成功や失敗、そして人生の幸不幸を決める決定的な決め手となる」 ことが最新の心理学研究で明らかになっているようだ。

どんな人間にも楽観的に生きる力が元々備わっているのだという。
そこに年齢や性別、職業、置かれいている立場などは一切関係ないのだと。
心 というものは、元々そういう風に出来ているらしい。

ただ一口に楽観主義と言っても様々な種類がある。
何もせずに棚から牡丹餅がいつか落ちてくるだろうといった「呑気な楽観主義」から、自分も世界も全て必ず良い方向に向かうと信じる「超拡大的な楽観主義」まで。
最も一般的な「楽観主義」の定義としては、自分の将来において悪いことよりも良いことが起きるだろう と信じることを指す。これを「素質的楽観主義」と言うらしい。

これには反論もある。
楽観主義でいられるということは、現実の厳しさを認識出来ていないからに過ぎないではないのかと。

人間は、自分の弱さや醜さを全て知った上でなければ一人前の大人になれない。
なるほどこれは世界共通の考え方として広くそう思われており説得力もある。これを「心理主義」という。かくいう僕もそう信じていた。それはいわゆる自分探しの旅。
だがそこには落とし穴がある。
自分を知ったところで、最終的には何の解決にもならないのだそうだ!
「心理主義」「自分探し」については玉川大学の河野哲也助教授の文献を引用させていただきます。

”「心理主義」とは、常に人間の内面に注意を向け、闇雲に内省を迫るような考え方をいいます。
現代は心理主義の時代だと言えます。しかしながら心理主義は幾つもの問題を孕んでいます。
例えば、職場のストレスが原因で精神を病んだ場合でも、心理主義では『彼は精神的に弱かった』とか『ゆっくり休養すればよくなる』と言うように、問題を特定の個人の資質として扱おうとします。しかしここで真に問うべきは、不健全な組織風土や恒常的な勤務過剰といった企業の構造的な問題が現にあるのかも知れません。
このように、心理主義は本来社会的であるはずの問題を個人の内面の問題へと矮小化する危険を孕んでいます。”
”人間の行動を決定するのは決して性格と関係しているのではなく、どのような状況に居るのか、どういう情報を得られるか、周りにどんな人間がいるのか、行動の選択肢を作り出す経験や知識をどれだけ持っているのか、といった環境条件によるところが非常に大きいと言えます。”
”近年、ブームになってきている自分探しにしても、こういう環境への視点が無いと徒労に陥る危険性があります。時間の無駄になりかねません。”
”本当の「自分探し」とは、自己の内面を見つめ、どこかにあるはずの本当に自分を探すことではありません。ハッキリ言えばそんなものはどこを探してもありません。
環境に積極的に働きかけ、人との関係を通して自分の働きに意味を見出せる場所や充実して生きられる環境を創出することなのです。”


古川教授の「楽観主義」に戻るが、認知学、ポジティブ心理学の研究現場では「心が健康な人」というのは実は「在るがままに現実を見ていない」ことがわかっているようだ。
むしろ「自分の都合のいいように現実を見ている」、「将来は悪いことよりいいことが起きる」といった強いバイアスを掛けて世の中を捉えているのだと。
つまり、心が健康な人とは「自分の実際以上の幻想」を観ることが出来る人。病気にはなっても、病人にはならない人。

反対に、心の病気になりやすい人は「真面目に客観的に現実を見ている」のだと。
ネガティブな現実をまともに見過ぎるあまり、本来ポジティブな現実までゆがめて捉えてしまい、そのために自分を「必要以上に」苦しめて結果心身の調子まで崩してしまう。これを「鬱現実主義」と言うのだと。
心理的に追い詰められた人、自分の価値を疑っている人は他者を思いやれない。自分の世界に閉じこもってしまうからだ。

精神的に健康な人は、「実際以上に自己を良きものと考え、自己の未来を明るく描き、自己の統制力を強く信じる傾向がある」のだそうだ。
人間はコンピュータではないから、受け取った情報を処理する時、必ずバイアスを掛けてまず入力する。そしてそれを自分の都合のいいように記憶し、自分の都合のいいように再生する。
つまり、コンピュータのように現実を忠実に正確に模写するのではなく、自分の思うように積極的に再構成しているのだと。


では楽観的に生きるにはどうしたらいいのだろう。

それは自分を取り巻く環境を、自分の力で変えることが出来るかどうかにかかっている。
それは受け身にならないこと。
たとえ捨て身になったとしても、ほんの僅かだとしても、絶対に環境は変えることが出来ると実感すること。

心というものは、マイナスにはプラスで対抗しようとする。つまり、バランスを保とうとする。
しかし、マイナスとプラスで差し引きゼロという状態に留まることはなく、最悪のマイナスの事態をくぐり抜けた人はそのマイナスより大きなプラスを必ず得る。例えばその最悪の事態で、自分にとって何が本当に大切なのかといった掛け替えのない価値に気付いたりすることなどがあげられる。

マイナスは単なるマイナスではなく、何か失敗してもそれが挫折ではなく未来への貴重な経験・財産だと捉えていけばよいのだと。
どんな逆境に置かれても、全て意味のあることなのだとそこに常に有意味性を見出していく。
全てを楽観的に捉えていく力が本然的に心には絶対に備わっているのだ。


僕は楽観主義に生きたい。
悲観的な人より楽観的な人と一緒にいたいと僕は思うからだ。

また明日から、一生懸命生きよう と思う。楽観主義で。

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