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2006年8月

2006年8月31日 (木)

今年はコレ

去年はスイッチョンで何とか凌ぎましたが今年はコレです。
大人には効き目がないかと思いきや効果抜群♪
チビすけ達にも大ブーム(笑)


Anpanman02


ここだけの話、先日のセルタ復活ライブの時、腕に貼ったの剥がすの忘れてた(笑)

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2006年8月25日 (金)

残ったもの

今になってようやく報告出来る精神状態になったというか気持ちの整理が出来たというか喉元過ぎて熱さを忘れたというか一時的に記憶喪失になっていたものを徐々に思い出してきたというか。


実は6月にチョチョイと仕事を休んで北海道へ旅行に行ってきたのであります。一族で。
うん。それはいいんです。季節的にも最高の時期だったし富良野の大平原は美しかったし蟹は旨かったし。

しかしちょいとばかし問題があったのでありまして。
そいつは一行中の性差というか、まあ、その問題とは男女の分布状態だったわけなのですが、三重県から出発した一行9名中男性は何とアタクシただ一人だったのであります。1:8です。大奥です。女性の世紀です。女だらけです。
この状況がどのような結果をもたらすかは火を見るより明らかでありました。


いや、両手に花とかパラダイスとか仰ってくれるな。現実はそんなにヤワじゃねえのです。
まず、ちびっ子が3人。うちの双子連含む。
これがここぞとばかりにパパに甘える。環境や空気が違うから少々不安になるのはわかる。だが幾らなんでも24時間はなかろう。彼女らヤワじゃねえのです。体重なんてもう赤ん坊の時のそれと比べヤワじゃねえのです。

ピークはかの有名な旭山動物園で過ごした時間でありました。
アッシは満足に動物を観察することすら許されず「常時」おんぶや抱っこ攻撃に晒され、そう、それはまるで人間台車と化していたのであります。


そして残ったものは筋肉痛と激しい疲労感。
そして一番大事な、残るべき楽しい思い出は何も残っておらんのです。
思い出すものは苦渋に満ちた感覚のみで(涙)


まあ、これも後になって振り返ったらいい思い出として残るんだろうなあ。

残って欲しいなあ…残ったらいいなあ。

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2006年8月24日 (木)

あせらず、ゆっくり

盆休みの間に、大切なご夫妻に会った。


それは休み中唯一の、イベントらしいイベントだった。んーイベントっちゅうのも変な感じかなあ(笑)
何ヶ月も前の春くらいから計画し、お互いの都合がなかなか合わず夏休みまで持ち越しとなった企画であった。んー企画っちゅうのも変な感じかなあ(笑)
でもまあとにかく、家族ぐるみで遊びに行こうというプランであったのです。んープランっちゅうのも変な感じかなあ(笑) くどいね。スマヘン。


で、念願叶った当日。
こちらから先方のホームグラウンドまで出かけていきました。

でもこっちはヤンチャ盛りのお転婆ツインズを連れて行っているから大方の予想通り(笑)チビに翻弄されあと一歩で修羅と化しそうな両親の姿をご夫妻の目に晒したのみに終わってしまったような気がするぞ(涙)
先方も疲れさせてしまっただけのような気も(泣)


でもそれはそれで楽しかったと仰って下さったことが僕達家族の何よりの救いとなりました。
人生は長いのだし、そのご夫妻とは一生かけてお付き合いしたいと思いました。

欲張らず。
あせらず、ゆっくり と。


---
追伸...
おつき合い下さったご夫妻様、本当にありがとうございました!
また、第二段やりましょう。いえ…そんなこと言わずに…お願いですからやらせて下さい(合掌)

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2006年8月23日 (水)

完コピ

子供は大人の行動をじっと見ている。
そして忠実にそれをコピーしようとする。

よく見ているし、よく聞いている。それはまるで使い古された言い回しではあるがまさにスポンジが水を吸うような如くである。
要するに、一番近しい大人である両親としては断じて下手なことは出来ないし言えないのである。それをそっくりそのままコピーされてしまうからである。自分の周りにいる大人(主に親)が間違ったことをするかも知れないなどとこの年代の子供らは夢にも思っていないからである。


暑い夏でもちょっと風のある夜などはエアコンより扇風機に限る。
貧乏人根性で28℃や思い切って29℃などに冷房温度を設定している時などうっかりすると外の方が涼しかったりする。一体何のための冷房か。
で扇風機である。カーテンを揺らす風と相俟って近所から風鈴の音など聞こえてきたりすると風流なものである。


で扇風機である。
先日も結構風のある夜にエアコンから扇風機に切り替えようとしたのであるが、壁際においてあった扇風機を空気力学的に最適の位置に移動し起動しようとした時のこと。

チビがそばにやって来て扇風機のスイッチを入れようとした。
いや、それはいいのだ。
しかしこいつ気が利くなぁなどと思うのも束の間。ぼくはチビのとった行動に自分の姿を投影し激しく反省せざるを得なかった。


何と彼女は「パパー回すよ~」ってなもんで足の指でスイッチを入れたのだ。

彼女にしてみればぼくを含めた周りの大人がみんな知らず知らずのうちにそうしているのだろう、扇風機のスイッチは足で入れるものと認識されていたのであったのだ。
それを器用というのかどうかはさておき、三つ子の魂百までとも言うしこの時期に子供が身体で覚えたことはなかなか抜けるものでもあるまい。うまいこと矯正できるかなあ・・・と自分の振舞を猛省した夜であった。

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2006年8月18日 (金)

イナバウアー

うちは毎週月曜と木曜にゴミを出す。
しかし毎回毎回これが結構な重量になる。桑名市指定の半透明の青いゴミ袋がパンパンになる。いったい我が家は何をそんなに捨てているのか。

それはオムツである。布ではなく紙である。育ち盛りのもうじき3歳になる双子の排出するオムツの量たるやそれはそれは凄いのである。


普通の家庭では奥さんが子供のオムツを替えることが多いと思う。
我が家の場合はぼくが家に居る限りできるだけその担当を買って出ている。つもりである。
なんせ奥さんは24時間子供と一緒に居るのだから家にいる間くらいはぼくが替えてあげないと。現実的に炊事や家事の合間のオムツ交換は大変なのであるからして。


でぼくは知らぬ間に上手くなる。オムツを替えることが。全国お父さんオムツ替え選手権に出場したら上位に食い込む自信がある。
その丁寧さ、拭き取りの速さ&正確さ、ギャザー部の状態そして仕上がりの美しさ等々。全てにおいてパーフェクトに近いと自負している。ここまで来るともはやプロ級である。
子供も子供でプロ級のぼくにオムツを交換して貰うのは結構嬉しいみたいである。片手にオムツを用意し「パパうんち出たよ」と申告してからごろんと仰向けになる。


紙オムツにコビリ付いたうんちはトイレに流さなければならない。そうでないと大変なことになるし、時期的にも今はヤバイ状態になる。
この時カチカチ&コロコロなら楽であるがそうでない場合は結構骨が折れる。手にも付着する。
愛情が無ければ決して出来ない行為である。冗談抜きにぼくはそれを汚いと思ったことが無い。ああ父親してるなと実感するひとときである。


最近は子供も要領をしっかり得ており、パンツ・タイプの紙オムツを腰まで引き上げる時などにはあらよっと腰を浮かせるようになった。
どこで覚えたか知らないが「イナバウアー」などと言いながら。

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2006年8月16日 (水)

下克上

何かにつまづいて何も考えたくない時など、夜中にこっそりパソコンの電源を無目的につけてネットゲームをしようと思う時がある。別にしょっちゅうじゃないけど。
こんな時ぼくの場合主にオセロだ。


オセロというゲームに取り組むに当たって何も考えないでいいかといえば勿論そうではなく、ゲームに勝とうとする限り必死に考えなければならない。戦略や定石の打ち方もある。ひとつ間違えるととんでもない結果に繋がったりもするからだ。
ただこれは経験がかなりものを言うゲームだと思う。初心者や少しかじっただけの相手は明らかにある種の打ち方をするからすぐ判る。


でぼくの現実逃避(笑)の相手をしてくれるオセロはYahooのやつだ。
それはゲーム機を相手にひとりでする無機質なものではなくネット上の顔の見えない相手と向き合うわけだからドキドキ感が違う。相手に対して失礼なことができないという意識も働く。
でぼくは交流ラウンジによく出没したりする。幾つも持っている仮名で(笑)性別すら偽ったりして(笑)


この交流ラウンジや上級ラウンジなどには文字通りの百戦錬磨のお方たちが居られる。中にはレーティングなどを見ると2000超のもはや神の領域に住んでいるのではないかとさえ思わせる無敵の先人たちも居られる。
ぼくの場合、後手の白が得意なので(カウンターで返すタイプ)、テーブル上の白の席に付き対戦相手を待つ場合が多い。

で、そこに偶にやって来られるのである。ぼくのテーブルに。前述の神の領域に住む先人というか偉人が。
何を求めてかは知る由も無いけれど。格下と対戦したって何のメリットも無いはずだから大方が暇つぶしのようなものなのだろう。


この時レーティングの差が200以上ある場合などぼくはとことん燃える。

まあほとんどの場合が全く相手にならず完膚なきまでにやり込められる。
だが、それでも何回に一回は思い通りにゲームが進み最後にゃ遥か彼方の上位ランキング者をコテンパンにやっつけることが出来る時がある。
こんな時は「俺オセロの天才なんじゃないだろか」と思うわけだが、常にその状態を維持することが出来ないところがまだまだというわけだ。


しかし、上級者を沈黙させるのは堪らない快感があるのだ。これぞまさに下克上。
もっと腕を磨いてレーティングアップを目指そう!とわけのわからない意欲が沸いてきたりする。


で俺何につまづいてたんだっけ。
まあいいや。そんな日もあるさ。

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2006年8月13日 (日)

私は抜く派

ウトウトしていたら出し抜けに脚がシカッとしてぎゃっと叫びそうになる。


一瞬、部屋の中に紛れ込んだ蜂に刺されたのかと思う。
寝惚け眼で慌てて脚を見ると一緒に横になっていた下の子がぼくの太ももの毛を一生懸命抜こうとしていた。

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2006年8月12日 (土)

作家

思いを言葉にするのは難しい。


頭の中では一瞬にして駆け巡ることでも、いざそれを文章にしてしかも赤の他人に理解してもらおうとすることは途轍もなく難しいことで、言葉にするたび自分の思い描くイメージとどんどん離れていってしまっていくような気がする。
例えば、夢に見たことをその時感じた心象まで文字で表現しようとする時などだ。その困難さにぼくは途中で諦めてしまう。


作家という人は、それを実現できる者を指すのだと思う。

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2006年8月10日 (木)

メッシュ

こうも暑いと思わず靴を脱ぎ捨てたくなる。
蒸れるからだ。


そういえば随分靴を買っていない。
仕事に履いて行っているイタリア製のロングノーズの靴を買って以来だ。
どこで買ったか?マイカルだ(笑) 桑名人はマイカルかユーストアさえ存在していれば充分に生きていけるのだ。


しかし暑い。温体質のぼくは足も暑い。
もはや解決策はこれしかないのかも知れぬ。
世のオヤジと同じようにこれがぼくにとって最後の手段・リーサルウェポンとなるのか。


メッシュだ。通気性抜群だ。
MeshMesh2


やめて~

と妻の声が聞こえてきそうだ。

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ジーパン

ぼくはジーパンが好きだ。といってもマニアじゃないから詳しいことは何もわからない。よく考えたらただ単に嫌いじゃないというだけなのかもしれない。
あれ?ジーパンて死語か?ジーンズとかデニムと言うべきか?まいいや。

でまあ経年変化というか自然な色落ちを楽しむことが出来るという点で基本的にぼくはジーパンを穿き潰すまで穿く。
中でも色落ちする部分で一番好きなのがここである。

Gpannosuso


それは裾だ。
このシワシワ感である。


だがひとつ悩みがある。


ぼくの場合今までの人生に亘って既製品をカットせずに穿けたためしがないのである。だからいつまでもそこの部位は綺麗なままだ。
ベルボトムやブーツカットなど、一番重要なそのシルエットが始まる前の部分から切断して再縫製せねば使いものにならないのだ。ということは単なるストレートでしかなくなる。それは実に、悲しい事実だ。


だからたまにぼくは穿く。程よく色落ちした裾をカットしていない奥さんのジーパンを。
部屋の中で裾を引き摺りながら。

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2006年8月 8日 (火)

小さな一日に読書を思う

ちょっとした空き時間に目的もなくふらりと図書館へ入る時はなんだか楽しい。

いや、目的がないと言うのは正確ではない。本を借りるため以外にここを訪れる目的がないからだ。ぼくの場合は。
中には家では暑くて集中できないから勉強をしに来ている受験を控えた学生も居るだろうし、ただ単に涼みに来ている人も結構居るには違いない。この時期になるとかくいうぼくもそういうファクターが全くないわけではない。
ただ今回は何かについて知りたいとか調べたいとかそういう具体的な知的欲求が比較的希薄で、なんとなく吸い寄せられるようにここに足を運んでしまったというのが正直なところであったのだ。
間違いなくぼくは本に囲まれていると不思議に心が落ち着くし、要するにただ単に無条件で本が好きなだけなのだな。
何を読んでもいいというつかみどころのなさ。だからまあ言ってみれば無目的な目的でここに足を運んだわけである。


図書館というものは一種独特の空気がある。それは書店には無いものだ。その風景は酷似しているにも関わらず書店とは全く違った雰囲気がある。この雰囲気を醸し出すものとは一体何なのだろうと考える。心なしか目に映る人の姿や顔かたち立ち居振る舞いまで全てが知的に見えてくる。

普通の書店にはピンからキリまでの種々の本(それは俗物的なものから高尚なものまでという意味で、強いて言うならエロ本から学術書まで)が所狭しとギッシリ詰め込まれている。ここに置かれているものは基本的に「商品」である為売れなくなったものは即出版社に戻される。
図書館と書店とを比較することなどその存在意義の次元が違うのであまり意味が無いことだとは思うが、仮に対象者という切り口でそれを行なうなら前者は「読者」であり後者は「消費者」になる。
根本的な空気の差を生んでいるのは書店は本をどこまでもとことん商売として扱うのに対し図書館はそれに見返りを求めず無条件に分け与えようとする慈悲の塊りの如き知性の宝庫といった各々の施設の性格に起因するものか。
書店をぼろくそに言っているが今の時代個性的且つ魅力的で対象者を絞った書店(絵本や写真専門の書店など)も中にはあるから一概にはそうとは言い切れないけれどね。


まあそんなことはどうでもよくて、今回無目的に立ち寄った図書館のエッセイコーナーに立ち止まり背表紙をボーっと眺めている時に一冊の本のタイトルがぼくの目に飛び込んできたわけである。
呼ばれた という表現が近い。

手にしてみる。前書きがなかったから後書きを読む。

前書きはともかく後書きを先に読むというのは非常識と捉えられがちだが、これはその本を読むに値するか判断する重要な手段だと僕は思っている。何故ならそこには作者の意図するところが凝縮されているからである。
ストーリーを追うものでネタバレになりそうなものが後書きに書かれている場合、必ずその旨が書かれているはずであるからその部位は好みに応じて飛ばせばよい。しかし後書きでストーリーがばれてしまう程度の刹那的な物語というものを果たして時間を掛けて読む価値があるだろうか。

で、借りようと決める。
こういった本は書店ではまず100%お目にかかれない。何故なら売れている筈がないと直感するからだ(笑)
売れないものを本屋に置いているはずがない。ぼくなら置かない。
こういう一冊の本との出会いの瞬間というものは図書館ならではの醍醐味。


本との出会いは奇跡的な偶然である。でも後から振り返ると、それが必然となっていることもある。
だから本を読むことに対して消極的であるということはその面だけに限れば積極的にその出会いから遠ざかっていることになるとぼくは思う。
「大の大人が本を読んでいないと平気で言うということは、その人が知的に生きていないと公言してはばからないことと同義だ」と過去に痛烈なことを言われた人がいた。ぼくは全くその通りだと思っている。


その本の中でこんな素敵な表現に出会った。引用します。
「小さな一日が続く。一日は、一枚の紙のようなものである」
確かに、その通りだと思う。やはり文学者は違う。くそぅぼくもこんな表現がしてみたい。


一日を一枚の紙だとすると、その一日は測れないほど薄っぺらい一枚の紙でしかないが、一枚一枚重ねていくことで気付かぬうちに紙の束となる。
例えばそれがごく普通のPPC用紙のようなものだとしても、一年分、365枚も重なるとちょっとした厚みと重量になる。


時間は、誰にも平等に与えられている。
それをどう使うか、どう生かすかは個人の勝手。好きに使えばいい。

何をしても、何もしなくても、紙は残る。そこに何を書いてもいい。白紙でもいい。
紙を重ねるように、丁寧に生きていきたいと改めて思う。そしてどうせ重ねるなら、一言でもいいからそこに何かを書き残したいと思う。


(荒川洋治 本を読む前に)

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2006年8月 5日 (土)

三つ巴

的場浩司氏が「風邪の菌が身体に入った瞬間が分かる」と以前にダウンタウンのトーク番組で喋っていた。
今回、僕もそれを実感した。


勤務時間の経過と共に蒸し暑くなってきた職場。
ペリメータ(窓際)ゾーンとインテリア(室内)ゾーンとに区切られた我がオフィスのエアコン系。
我が社はエコへの取り組みの一環で夏場のエアコンの設定温度は28℃を提唱されている。だがこれは精神衛生上非常に酷なものである。だから内緒で(というか公然と)26℃に自主手動設定。まあそれでも省エネのためにペリメータ系のみ運転していたのであるが今日だけは特別どうにも暑い。これでは仕事にならないと久々にインテリア系を立ち上げて程なく僕の身体に異変が生ずる。

どうやら、ペリメータ系エアコンのコイルの中に目に見えぬ何かが繁殖していたようだ。その何かが吸気と共に僕の鼻と口からスッと侵入し鼻腔や咽喉の粘膜部にベタッと付着した(というかサクッと刺さった)ような感じがする。
で5分もしないうちにクシャミ連発、同時に喉の痛みが僕を襲う。何故かオフィスの他の人はどうもないようだ。
そして、鼻水が流出しだす。それはキラキラと輝く透明な液体。俯くと僕の鼻腔から静かに零れ落ちてゆく。


トイレに立つ。

用を足しながらどうにも鼻がむず痒いから何度もクシャミの衝動に襲われる。ダメだよ今は。両手ふさがってるんだ俺。
でもどうしても堪えきれず「ディァークショゥ」と大きなクシャミを一発してしまう。その勢いで同時にブッとお尻から一発の排気が出る。


大量の鼻水を垂れ流しながら三種類の何かを身体から同時排出した僕は自分がいったい今何をせんと欲しているのか一瞬わからなくなる。

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2006年8月 3日 (木)

記憶

あることに気付いた。
特定の時点における僕の記憶が欠落しているのだ。


それは小学校高学年から中学校の間の数年間の修学旅行や遠足へ行った記憶だ。
いつ何処へ行ったのか、誰が周りに居たのか、どんな所へ泊まったのか、全く覚えていない。
その時に撮った集合写真は間違いなく存在しており、だからその場に僕が居たことは事実だ。
だがその部分だけの記憶がきれいさっぱり切り取られている。思い出そうとすればするほどどんどん深みに嵌っていくような感じがする。

どんな理由によるものなのだろう。ボケだろうか。
それとも何か集団旅行に対してトラウマになる事件的なものがあったのだろうか。そんな覚えは何もないが。


そんな楽しいはずの記憶がないのは非常に残念といわざるを得ない。
何とか思い出してみたい。

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2006年8月 2日 (水)

お兄さん朝から若いわねえ

…と言える仲である。相方は直属の上司である。ちょっとというかかなり癖があるが普通の愛すべきオッサンである。


始業前、PCを立ち上げている時に隣の席の上司が呟いている。
「ちょっと、これさあ、何だこれ?」

どうやら僕に向って言っているような感じだ。朝から鬱陶しいから無視する。よくあるパターンだからだ。
変な所をマウスで触ったりするからタスクバーが消えたりハンパじゃない数のウィンドウを開いていたりトリプルクリックが得意だったりと初歩的なトラブルが非常に多いのがこの手合いである。
無視していると「ちょいちょい」と指で僕を呼ぶ。んだよこっちは今ゆっくりとサンドイッチ食べてるところなんだけど。ちょっと寝坊して家で朝ご飯食べれなかったんだよ。勘弁してくれよ忙しい朝なんだからさあ。

で、渋々彼のディスプレイを覗く。
「何か知らんけど立っちゃっとってさあ、これが。どうしてもなおらないんだよね」と最早呟きではなくオフィスに響き渡る声で上司は言う。
確かに、立っている。朝から。画面のど真ん中に。IMEの言語バーが。タスクバーに常駐させておけばいいものをわざわざ引っ張り出してしかも立てている。理由はわからない。

「何で立ってるんですか」と真面目くさって僕は訊く。
「知らんがや。朝見たら立っとったんだわ」と上司は答える。
「ナニを立てとるんですか朝から」とこの辺からお互いニヤニヤと笑いが出始めてしまう。
「立てたくて立てとるんじゃないがや。勝手に立っとるんだ」


普段は五月蝿く鬱陶しく下請けに対する居丈高な態度は鼻持ちならないところがあるAB型の上司ではあるが、罪のない冗談を言い合っている時は、楽しい。

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寸止め

僕は元来酔い易い体質だ。アルコールにではなく乗り物に。まあお酒にも決して強い方ではないが。

小学生の頃、僕はバスに乗るのが嫌で嫌で仕方なかった。それは出来れば避けて通りたいプロセスであった。しかし遠足や修学旅行の時などは休まない限り逃れようがない。だから遠足バスではいつもビニール袋を完備して一番前付近に座らせて貰っていた。だがそれ以前にバスに乗らなければならぬというプレッシャーで乗る前からすでに酔ったような疲労感と虚無感を感じていたことを覚えている。車酔いにならない人には絶対にわかってもらえない感覚だろうけど。


自分で車を運転するようになってから僕は車酔いの悩みから開放された。
それでも癖のある蛇行運転や急発進急停止をするような運転をする人の車に同乗した時は途端にダメになる。そんな時は暫くの間その運転者の顔を見るのも厭になる。その人の人格と運転は全く関係がない筈なのである(と思う)からそれは僕の勝手な思い込みというかムラというか気性の荒さのせいもあろうが。


しかし、にしても今日の帰りのバスの運転は酷かった。これほどキツイものは1年半乗り続けて初めてだ。

バスが動き出した瞬間に「あ、こりゃダメだ」と僕は観念した。周りをそっと見回してみる。当たり前だが誰もが無言ではある。だけど気のせいか目に映る人全員が静かに何かに耐えているように見えなくもない。
兎に角、発進する時、そしてカーブを曲がる時や信号に差し掛かった時のブレーキを踏む時に鳩尾辺りに掛かる嫌なG、その手腕で全てにおいて乗る者の体力と気力を消耗させるこの運転手はかなりの手練れだと言わざるを得ない。

これは桑名市内行きの高速バスだから乗ったが最後名古屋市内から木曽川を越えて最初のマイカル桑名前のバス停に到着するまではずっと高速道路に乗りっ放しで逃げ場はない。
幸い、高速道路通行時はノンストップで前進するのみであるからこのど下手なドライバーの横暴は暫くの間影を潜めていたが(でも車線変更のときなどは揺さぶられた拍子に込み上げてくるものを抑えつける必要があった)、一般道に下りた途端やっぱりダメだった。
肩に余計な力が入ってしまいただでさえ慢性化している肩凝りが急速に悪化したような気がしてくる。虚ろな目で景色を眺めて何とか気を紛らわそうとするが空腹も相俟って桑名に着いた頃にはすっかり参ってしまい今この場で腹部を押されたら即嘔吐という段階にまで僕は追い詰められた。空腹なのに、食欲ゼロである。あと幾つ、バス停、あるんだったっけ。持つかなあ…。ああ思い出しただけでまた戻しそうになってくるではないか。


そのドライバーは仮にもプロなのだから僕がこんな風に思うのは大きなお世話以外の何物でもないのではあろうがオッサン、アンタこの仕事向いてないと僕は思うよ。そりゃ偶々運転が荒っぽくなるほど機嫌が悪くなるような何かがあったのかどうかは知らないけどさ。もし天然だったらヤバいよ。
でも次にアンタの運転に乗り合わせた時(二度と厭だけどなあ)今日と同じような症状が出たらあの時間帯のあの運転手ヤバイですってバス会社に投書しちゃおうかと俺ゃマジで思ってるからよ。俺の今夜の食欲を返して頂戴な。

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2006年8月 1日 (火)

ゲバ戦記

「げば」と自分でも吃驚するくらいの音が出た。

我が身に何が起こったのか瞬間的に覚る。無意識に舌を出し、ぶるっと身体を震わせ僕は歩道の中央で立ち止まってしまう。すぐ脇を歩いていた女性がささっと僕から距離を置いた。
両者とも不可抗力以外の何物ではないから慌てたのはお互い様であろうが、僕から解放された奴は挨拶もなく置き土産に「びん」という音のみを残し一目散に去っていった。


帰宅する時。
桜通りを東へ歩く。少し残業したせいで道行く人の数も疎らになっている。この時間になるとアスファルトの上でも蒸し暑さは和らぎ、心地よい風が首元を掠めたりしてくれる。
で歩きながら一服しようかなと思い煙草を口に運ぼうとしたその刹那。
その心地よい風に乗って唐突に奴は来た。

煙草をくわえようと僅か数ミリだけ開いていた僕の唇へまっしぐらに奴は突入し、そのまま勢いに任せて僕の口腔奥深く、のどティンコの辺りまで一気に到達する。全くの無防備であった僕はそのあまりの唐突さに対処することなど到底敵わず不覚にも「げば」と発音するに至る。
大きさからいってこいつは、たぶん、ハエのたぐいだ。進入速度からいってアブだったかも知れぬ。とにかく目にも留まらぬスピードで奴は僕と邂逅し、そして去っていった。
その後そこには喉に指を突っ込み必死に「カーッかはーッ」と痰を切らんとするような不快と感ずるに近い音を出し続ける一人の涙目の青年が残された。


今後もし道端で突然何の前触れもなく大仰にげばと咳き込み始めた人を見かけたら、そっと同情してあげようと思う。

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