寸止め
僕は元来酔い易い体質だ。アルコールにではなく乗り物に。まあお酒にも決して強い方ではないが。
小学生の頃、僕はバスに乗るのが嫌で嫌で仕方なかった。それは出来れば避けて通りたいプロセスであった。しかし遠足や修学旅行の時などは休まない限り逃れようがない。だから遠足バスではいつもビニール袋を完備して一番前付近に座らせて貰っていた。だがそれ以前にバスに乗らなければならぬというプレッシャーで乗る前からすでに酔ったような疲労感と虚無感を感じていたことを覚えている。車酔いにならない人には絶対にわかってもらえない感覚だろうけど。
自分で車を運転するようになってから僕は車酔いの悩みから開放された。
それでも癖のある蛇行運転や急発進急停止をするような運転をする人の車に同乗した時は途端にダメになる。そんな時は暫くの間その運転者の顔を見るのも厭になる。その人の人格と運転は全く関係がない筈なのである(と思う)からそれは僕の勝手な思い込みというかムラというか気性の荒さのせいもあろうが。
しかし、にしても今日の帰りのバスの運転は酷かった。これほどキツイものは1年半乗り続けて初めてだ。
バスが動き出した瞬間に「あ、こりゃダメだ」と僕は観念した。周りをそっと見回してみる。当たり前だが誰もが無言ではある。だけど気のせいか目に映る人全員が静かに何かに耐えているように見えなくもない。
兎に角、発進する時、そしてカーブを曲がる時や信号に差し掛かった時のブレーキを踏む時に鳩尾辺りに掛かる嫌なG、その手腕で全てにおいて乗る者の体力と気力を消耗させるこの運転手はかなりの手練れだと言わざるを得ない。
これは桑名市内行きの高速バスだから乗ったが最後名古屋市内から木曽川を越えて最初のマイカル桑名前のバス停に到着するまではずっと高速道路に乗りっ放しで逃げ場はない。
幸い、高速道路通行時はノンストップで前進するのみであるからこのど下手なドライバーの横暴は暫くの間影を潜めていたが(でも車線変更のときなどは揺さぶられた拍子に込み上げてくるものを抑えつける必要があった)、一般道に下りた途端やっぱりダメだった。
肩に余計な力が入ってしまいただでさえ慢性化している肩凝りが急速に悪化したような気がしてくる。虚ろな目で景色を眺めて何とか気を紛らわそうとするが空腹も相俟って桑名に着いた頃にはすっかり参ってしまい今この場で腹部を押されたら即嘔吐という段階にまで僕は追い詰められた。空腹なのに、食欲ゼロである。あと幾つ、バス停、あるんだったっけ。持つかなあ…。ああ思い出しただけでまた戻しそうになってくるではないか。
そのドライバーは仮にもプロなのだから僕がこんな風に思うのは大きなお世話以外の何物でもないのではあろうがオッサン、アンタこの仕事向いてないと僕は思うよ。そりゃ偶々運転が荒っぽくなるほど機嫌が悪くなるような何かがあったのかどうかは知らないけどさ。もし天然だったらヤバいよ。
でも次にアンタの運転に乗り合わせた時(二度と厭だけどなあ)今日と同じような症状が出たらあの時間帯のあの運転手ヤバイですってバス会社に投書しちゃおうかと俺ゃマジで思ってるからよ。俺の今夜の食欲を返して頂戴な。
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