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2007年12月

2007年12月31日 (月)

じゃーも

ここのところ最近、ことある度にやたらと思い出す。


別に面と向かって彼と約束したわけではない。だがそれは僕の誓いとなっている。
僕は、彼の遺志を継ぐのだと。

彼が別の次元に行ってしまってから随分経つ。21世紀になってからすぐのことだ。
だが年月を増すごとに、彼の存在は大きくなっていく。
どんどん、どんどん、大きくなっていく。
いまだに僕は到底敵わない。全然、追いつけていない。

こんな僕を見たら彼はきっと今でもアハハッと笑うだろう。

そんなん気にすんなて!と。
無理すんな。お前はお前らしく行けばいいんだて と。

そうだよね。


大きい。
大きくて、温かい。まるで太陽のようだ。


だが僕は誓ったのだ。告別式のその席で。
俺は、お前の遺志を継ぐのだと。


ギリギリでヤバい時。
たった一つの言葉で踏ん張れることがある。

僕にも、それがある。
彼が僕に言ってくれた言葉だ。正確には手紙に書いて贈ってくれた言葉だ。

「一生、ヨロシク」と。


じゃーも。


やっぱお前大きいわ。

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2007年12月 8日 (土)

A DAY IN THE LIFE

担当者として甚だ情けない話ではあるが、実は当時のその日、僕は全く意識もせず一日を過ごしてしまっていたのだ。
中学一年、13歳の時の話だ。


当時の僕を構成している大部分を思い起こしてみるとひとつはさだまさしでありひとつは手塚治虫でありひとつは恋愛であったような気がする。だからほかのものが入り込む余地が無かったのかも知れない。つまり僕の脳内は木根川橋・ブラックジャック・おんなのこでパンパン状態だったわけだ。
然るに僕にとってのそのスタートは、同い年の従兄弟から手ほどきを受けることになるもっともっと後になってからのことだったのだ。

そもそも当時の僕にはテレビやラジオのニュースなどを見たり聞いたりするなどという発想は根本的に無く、ましてや新聞などすら読む習慣などもあるはずも無く、ただ毎日を一生懸命に生きていただけだったのであろう。さださんと手塚先生と恋するあの娘に満たされて。意識してかどうかは別の問題で。
ただ従兄弟の言動からどうやら尋常でないことが起こったようであったことだけは察することは出来たが、正直なところ毛筋ほども全く気にもせず、従いその時点での記憶というものが全く残っていない。

今になって年齢を問わず色んな人とその時のことを話す機会があったりするわけであるが、皆が一様に(しかも僕より年齢が若い人すらも)その当時を遠い目で振り返るのを目の当たりにしたりすると僕は何とも情けない気持ちになってくる。俺って担当者としてどうなんだと。自問したりする。


今、その年齢に達してしまった自分がいる。


余りにも激しく、熱く、短く、強く、ある時は弱く、でも総じて生き急ぐように人生を駆け抜けた彼を、同年代になって初めて改めて偉大な存在だったのだと僕は今、知るのだ。


毎日いろんなことがあり過ぎて、気がつくと一日が終わってしまい、特別である筈のこの日をしんみりと追悼をするような余裕は毎年全く無いけれど、だけど、それでもいいと思う。


きっと彼は、それでいいんだと、言ってくれると思う。

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