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2015年3月30日 (月)

イバラのコピバン道(1)

セルターブでビートルズの新曲(※)を再現しようとするに当たって、いざ取り組まんとする時にまず以下の数々の障壁が目の前に必ずドドーンと立ちはだかるのであります。
※:彼らの未発表曲などという大それたものでは決してなく、セルターブで初めて取り組む曲の意。

①そもそも我々の母国語ではない英語の歌詞と対訳を覚え②原曲のボーカルパートだけをひたすら聴き発音や癖を確認し③コードと曲の構成を再確認し④原曲の細かいサウンドとテンポを完璧に脳内再生できるまで更に更にひたすら聴き込み⑤中期以降の楽曲の場合の4ピースでは再現困難と思われる曲中の音の取捨選択に悩み⑥その上でギターや鍵盤のポジショニングを客観的なスコア(←実はあんまりあてにしてない)や自分の解釈で工夫し組み立てて⑦その曲が創られた背景や作者(僕の場合はジョン)の感情や心の動きなどを自分なりに解釈消化し⑧LIVEで演る時のボディアクションや表情や口の開け方をYouTube映像などを参考にし(それが無いならば成りきったつもりで想像し)⑨それら全ての要素が元々自身に備わっていたかの如く頭と身体に繰り返し覚え込ませ⑩その結果として積み上げた全てが連動し自動的且つ自然に行われなければ、ビートルズの曲をLIVEで再現するなどということは到底出来ないと考えておるのであります。
しかもその上でバンド全体が同じベクトルで一丸となってその曲を具現しようと練習に練習を重ね磨き上げなければ最終形態として成り立たないのであります。

更に大体からしてビートルズとは多数の方々の耳にこびり付いているサウンドであり歌であり、多数の方の目と心に焼き付いている伝説のバンドなのであるわけですから、そんな方々を目の前にして聴いて頂くに当たっては初めから明確な判定基準がそこにあるわけで、依って然るに畏れ多くもLIVEでそれを再現しようなどという行為は一つ間違えばとんでもない結果を招きかねないヒジョーにリスキー且つ無謀な挑戦とも言えるのであります。

またビートルズというバンドは(誤解を怖れずに)極論して言ってしまうと基本的に「歌バンド」であるからして、従い幾らボーカル以外のサウンドを磨き上げたとしても肝心のボーカルがちょっとちょっとでは、歌も含めてのビートルズサウンドであるという観点に立つと微妙な結果になってしまうのもまた厳しい事実なのであります。

僕自身は「ビートルズのコピーバンド」とはある意味で「クラッシックの楽団」に匹敵する使命と責任を持っていると常々考えているのでありまして、従いましてカヴァーとは一線を画しコピーバンドと旗揚げしている以上、LIVEパフォーマンス時に於けるビートルズの再現というところにとことん拘り注力しなければならないと考えておるのであります(とは言えカヴァーを否定しているわけでは決してありません)。

こうして突き詰めていくと如何にビートルズは上手く器用で意外なほど基本に忠実で音に対して真面目で繊細でシビアでセンスが良くて、やっぱりやっぱりどう考えても途轍もないモンスターバンドだったのだと改めて痛感するのであります。

(続く)

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