さだ面

2012年3月31日 (土)

ルーツ of ルーツ

中学生の頃、この本が僕の全てでした。

Sadamasashi


正確には本ではありません。
ドレミ楽譜の「レコードコピー ギター弾き語り さだまさし全曲集」です。

暇さえあればこのスコアをめくり、寝る間も惜しんでギターと歌の練習に励んでいました。
僕にとってのバイブルと言っても過言ではありません。

このドレミ楽譜のスコア、手書きの歌詞とスコアが妙に温かかったです。とても綺麗な文字でした。
いったんこの手書きスコアにハマっちゃうと他のスコアがそっけなく感じたものです。
このシリーズ、もうとっくに絶滅しちゃってるんだろうなあ。
おかげで今やプレミアが付いてウン万円の価格が付いているようです。

いまだに実家の押入れに大事に眠っています。売ったりすることなど出来やしません。
大体がボロボロでイタズラ書きだらけのものが売れるはずありませんが(笑)

さだまさしの他にもその当時第一線のニューミュージックアーティストと呼ばれていた方々のスコアも持っていました。
松山千春、アリス、中島みゆき 等々。
勿論、すべて手書きスコアの『ドレミ楽譜』のものであります。


ルーツはいつまで経ってもルーツです。

まさにルーツofルーツ。
ルーツ中のルーツ。
キングオブルーツ。

ルーツルーツ。
嗚呼ルーツ。
ルーツでルーツなドレミ楽譜。

ドレミの手書きスコアよ永遠なれ。

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2009年2月 9日 (月)

天狼星(シリウス)に

とある機会で歌を歌わせていただいた。


そこでは何を歌っても良かった。完全に僕の自由。
それだけに何を歌うか。何を伝えたいのか。
悩んだ、悩んだ。


この歌の存在は以前から知っていた。
でもその時は声に出して歌おうとは思わなかった。いや、歌えなかった。
僕が歌える歌ではないと思っていたからだ。
そこまで、僕は到達していないと。そう思っていたからだ。


そして娘が生まれて。家族が増えて。
日一日と大きくなってく彼女らの姿を毎日目の当たりにして。


何時か訪れるだろうその日のことを、時折想う。
うまく想像すら出来なけれど。
間違いなく彼女らにも僕と同じように、彼女らの人生があるのだ。
自らの足で、力で、道を歩んで行くのだ。


ふとそう思った時にこの詩の一節が心に浮かんだ。

父さんよりも 愛する人が
出来るなんて 思わなかった

不覚にも涙が零れそうになったが、そこは堪えたよ。
だって情けないじゃんね。


天狼星に

自分だけは だませなくて
独り夜汽車で 旅立つけれど
ひとつひとつ 数える駅の
数だけ不安も 数えている

それほど遠くへ行く訳じゃない
それが悲しい理由でもない
父さんよりも愛する人が
出来るなんて 思わなかった


膝の荷物が 二十余年の
重さというには 軽すぎるけど
いつか何処かで 根付いたならば
許してもらえる そう信じてる

窓から見上げる夜空にひときわ
輝く星の名は知らないけれど
蒼い光に かけて誓う
何があっても くじけない

それほど遠くへ行く訳じゃない
それが悲しい理由でもない
父さんよりも愛する人に
出会うなんて 思わなかった

父さんよりも愛する人が
出来るなんて 思わなかった

 詩 さだまさし

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2008年9月14日 (日)

ルーツ

昨夜はバンドの練習だった。
セルターブとしては来月に二つライブを抱えているので練習に余念がない、という程ではないが結構集中して取り組んでいるという寸法だ。練習については順調にいっているのでまあここで特筆すべきことはない。

 

普段、練習を行なっている場所はドラムのぱいんちゃんの自宅スタジオ、通称「ぱいスタ」である。
地下中二階に設置されたこのスタジオは抜群の音響性能を誇っており音がめちゃくちゃに、良い。
例えば、通常盤のCDをかけたりした時など歴然である。普段聴こえない音が聴こえたりするのだ。
セルターブでも時折練習を中断し、コピー元のビートルズのオリジナル音源をプレイバックさせたりすることがよくあるが、その時に初めて聴こえる音なんかがあったりして、結構感動したりすることがままある。
人間の聴覚などというものは結構いい加減なもので、思い込みや注意が一点に集中してたりすると途端にそれ以外の情報をシャットアウトしてしまったりすることがあるので、まっさらな気持ちになって謙虚に音を受け止めるにはもってこいの場所だ。

 

 

そういえば全然関係ないけど昨日は東海地震が起こる筈の日だったそうで。何でもどっかの外国のわけのわからんオッサンが予言したそうな。全くトンデモナイ輩だ。与太話にもほどがある。
練習前にまっちゃんが「そういや今日地震が起こる筈らしいんだけど」と言っており、それに乗ってたけスンも「ああ、らしいね」と。
初耳だった僕は「ほんだったらこんなとこで練習しとる場合じゃないがね。帰らな。家族とおらな」と。
で「だけど急に来年に延期になったらしいんだわ」とまっちゃん。
…なんじゃそれ。なーんじゃそれオッサンよ。

 

 

まいいや。
でぱいスタ。

 

一旦練習を始めるとあっという間に時間は過ぎてしまうもので、途中適宜休憩を挟むことになる。
大体夜の19時から始めて解散するのが23時。平均4時間。うーむ、アマチュアバンドとしては結構長い方だと思う。
でそんな適宜の休憩時。まあ一服点けるわけであるがその時は主に雑談に花が咲く。大体がドーデもよい話題である。

 

たけスンなどはこんな時ポロポロとよくアンプラグドでギターを弾いたりする。jazzの速いパッセージなんかを。昨日もそうだった。
で昨日は僕もアコギをポロポロと弾いた。

 

 

こんな時。

 

ふと出るフレーズは僕の場合どうしても「さだまさし」なのである。

 

どんどん、出る。
『雨やどり』『道化師のソネット』『関白宣言』『風の篝火』『生生流転』等々。

 

 

かつて。
十代の頃。

 

当時僕の唯一の相方であったたけスン。まあそれは今でも何ら変わりはないのだが。彼とは切っても切れない縁がある。
で相方たけスンとはよく二人で楽しい時を過ごしたもんだ。二人の共通言語「さだまさし」で(笑) そして「グレープ」で(笑)

 

そういえば仲良く二人で一緒にさださんのコンサートにも行ったこともあったぞ(爆)

 

 

だからこれをやるとたけスンは大抵、乗ってくる(笑)
あと、その流れで「陽水」とか。稀に「S&G」なんかにも行く(笑)
そういえば何故か「アリス」には行かないな(笑)

 

 

以上なんだけどなんじゃこの行き当たりバッタリな全く脈絡のない話。
まいいや、ブログなんだからたまには日記的なものもね。

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2007年12月 8日 (土)

A DAY IN THE LIFE

担当者として甚だ情けない話ではあるが、実は当時のその日、僕は全く意識もせず一日を過ごしてしまっていたのだ。
中学一年、13歳の時の話だ。


当時の僕を構成している大部分を思い起こしてみるとひとつはさだまさしでありひとつは手塚治虫でありひとつは恋愛であったような気がする。だからほかのものが入り込む余地が無かったのかも知れない。つまり僕の脳内は木根川橋・ブラックジャック・おんなのこでパンパン状態だったわけだ。
然るに僕にとってのそのスタートは、同い年の従兄弟から手ほどきを受けることになるもっともっと後になってからのことだったのだ。

そもそも当時の僕にはテレビやラジオのニュースなどを見たり聞いたりするなどという発想は根本的に無く、ましてや新聞などすら読む習慣などもあるはずも無く、ただ毎日を一生懸命に生きていただけだったのであろう。さださんと手塚先生と恋するあの娘に満たされて。意識してかどうかは別の問題で。
ただ従兄弟の言動からどうやら尋常でないことが起こったようであったことだけは察することは出来たが、正直なところ毛筋ほども全く気にもせず、従いその時点での記憶というものが全く残っていない。

今になって年齢を問わず色んな人とその時のことを話す機会があったりするわけであるが、皆が一様に(しかも僕より年齢が若い人すらも)その当時を遠い目で振り返るのを目の当たりにしたりすると僕は何とも情けない気持ちになってくる。俺って担当者としてどうなんだと。自問したりする。


今、その年齢に達してしまった自分がいる。


余りにも激しく、熱く、短く、強く、ある時は弱く、でも総じて生き急ぐように人生を駆け抜けた彼を、同年代になって初めて改めて偉大な存在だったのだと僕は今、知るのだ。


毎日いろんなことがあり過ぎて、気がつくと一日が終わってしまい、特別である筈のこの日をしんみりと追悼をするような余裕は毎年全く無いけれど、だけど、それでもいいと思う。


きっと彼は、それでいいんだと、言ってくれると思う。

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2006年10月 7日 (土)

Imajine

この前のライブが終わってから立て続けに公私共に色んなことが連なり休む間もなく1週間が過ぎてしまった感がある。ライブからたった1週間しか経っていないのかと思うほど遠い昔の出来事のようだ。

それにしても一体何なんだろうこの速さは。以前にここで人生とはジェットコースターに後ろ向きに乗っているようなものだとさだまさしさんの言葉を引用した覚えがあるが今まさにそんな感じがする。猛烈な勢いで過去がどんどん過ぎ去っていく。今というこの瞬間を精一杯行き切っていかない限りいつまでも過去に囚われるだけの行き方に染まってしまう。

まあそれはさておき、どうにも体力というかなかんずく筋力の低下を感じてしまう今日この頃なのである。それというのもライブの翌々日から(翌日でないところがミソ)肩が張って張ってどうにもこうにも辛抱堪らなくなってしまったのであります。そうですなあ丁度ギターのストラップの掛かる左肩が特に。その部分がずーんと来る。
余談ですが意外とリッケンバッカーというギターは重いのです、ショートスケールというボディサイズの割に。肩というものは張りすぎると胸まで気持ち悪くなってきますし、こめかみの辺りもギリギリとやられているように感じてくるものです。

そうして問題の翌々日。仕事中に肩のずーんが突然ピンポイントでツキューンに切り替わり事態はもはや肩の張りを通り越えて首が回らなくなってしまうという段階まで進行、ついには業務に支障を来たし仕事を早引けして行き付けの整骨医に駆け込むという事態に至ったのであります。痛みとしては寝違えレベル。だからまあ大したものじゃないけど常に俯いて事務仕事をしているにはかなりきついものがあったわけです。胃のムカつきも更に倍化し集中力がズタズタになるわけです。


先生曰く「まあ一過性のものと思いますけどね」とのことだったが、そうではないと自覚はしてます。一言で言ってしまうと運動不足なんですな。流石に先生はあからさまにそんなことは患者に言いはしませんがでも暗に匂わせてはくれました。
以前工場勤務だった時は比較的身体を動かしていたからここまで筋力の衰えを感じることはありませんでしたが、今の部署に移ってからこの方約一年半、運動らしい運動を日常的にすっかりしなくなっているのは紛れもない事実なのであります。


「まあ想像してみて下さいよ。このままずっとこの調子で生きて行くとしてですよ。仕事も生活態度もそのまんま。で5年後どうなりますか?」と先生。
「んー、ちょっとヤバいかも知れませんね」と僕。
「ちょっと?じゃあ10年後は?」
「・・・かなりヤバいと思います」
「でしょ。何かしないと」

仕事で身体を壊すことほど悲しいことはない。何故なら職場というものは基本的に冷たいものだからだ。
一生懸命仕事して例えばそれで心身の病気になったりしても今の社会では最終的には自己責任を問われるだけだ。
元はと言えば健康に生きる為の手段としての仕事である筈なのに。まあその代償として賃金を頂戴しているわけだから業務中の勝手なことは許されないけれど健康管理はやっぱり自己責任。
事務系の部署に配置転換させられたから運動不足がたたって不健康になりましたといっても所詮負け犬の遠吠えでしかないからなあ。


ということで。
ライブの時2ステージどころか3ステージ演っても全然平気だったあの頃(といっても2年ほど前のことだが)の状態にまでは少なくとも戻る努力をしなければ。とりあえず。このまま行ったら今後は1ステージで早々と逝ってしまうのは目に見えていますので。
未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ ですもんで。

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2006年7月16日 (日)

馬の骨

突然聞いたこともない名前が飛び出す。僕は困惑する。
いや、もっと正直に言うと僕は狼狽したのだ。


こんな僕にも、それがようやく実感として解るときが来たようだ。
きっとその思いは僕を苛むに違いない。この先、ずっと。こんなシチュエーションに出くわす度。それは僕の手を離れる時が来るまで。
将来、間違いなくその瞬間が来る。そしてそれはどうしても乗り越えなければならない壁になる。


認めたくないがそれは、情けないがそれは、本音を言ってしまえばそれは・・・嫉妬なのかもしれない。


「0-15」
あなたの風が僕を離れて彼に向って歩いている
彼をみつめて輝いているあなたの愛が眩しい
自分の枝に結んでおいた風船が糸をほどいて
自由に空へ舞い上がるのを見送る子供の様だ

あなたにとってそれが本当に幸せだというのであれば
見守る事も 愛のひとつの答になると思うが
為すすべもなく見送るのなら僕は男でなくなる
彼よりきっと僕の想いが深いと信じる以上

(詩 さだまさし)


恋人に対する想いを詠っているに違いないと思っていたこの歌が、そうではないのかも知れないとこんな時にふと気付く。
「んだと?!誰だその男!」 と思う。


なるべく今日の出来事を聞くようにしている。お昼は何を食べたのかとか何処に遊びに行ったとか。
彼女たちを寝かしつける時。
「今日はね、一杯遊んだよ。あのね、えっとね、ゆういち君と」

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2006年4月 2日 (日)

奇跡

妻が、これ本当にいい詩だから読んでみて と僕にすすめた詩がある。
さだまさしさんの詩である。


僕はすすめられるままに詩を読み、妻の感じた通りに僕も同じく感動した。
そしてその歌を聴きたくなった。で即Amazonで注文した。
何故か今回Amazonには珍しく発注後確認のメールが届くまで2日、その後現品が到着するまで実に一週間掛かった。普通どんなに掛かっても3日中に届いていた筈なのに。一体どういう加減なのだろう。まあいいや。

で届いたばかりのCDをさっそく聴いてみる。
さださんの作品としては珍しいイントロ無しのヴォーカルからいきなり始まる。そしてそのクレシェンドは凄まじい。さださんならではのものがある。

メロディは素晴らしく綺麗で、それでいて簡単に歌えそうでなかなかどうしてそうもいかないものがある。
編曲がこれまた本当に素晴らしく、服部隆之さんの手によるものかと思いきや渡辺俊幸さんのものだった。普通の人では考えられないコードを本当に自然に持ってくるところなど流石。この間奏のコードをコピーするだけでも本当に音楽的な勉強になる。アレンジャーという人は、本当に優れた音楽的才能の持ち主出なければ絶対に成り立たないものなのだと心からそう思う。


どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない

僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない
けれどあなたを思う心なら 神様に負けない
たった一度の人生に あなたとめぐりあえたこと
偶然をよそおいながら奇跡は いつも近くに居る

ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない

今日と未来の間に 流れる河を夢というなら
あなたと同じ夢を見ることが 出来たならそれでいい
僕は神様でないから 奇跡を創ることは出来ない
けれどあなたを想う奇跡なら 神様に負けない

ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい

ああ大きな夢になりたい あなたを包んであげたい
あなたの笑顔を守る為に多分僕は生まれてきた

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない


…一聴すると、恋人へ捧げる歌のように思う。
でも僕は、これは愛する我が子に捧げる歌なのではないかと思う。


明日、僕は大勢の人の前で歌を歌うことになっている。
そして僕は明日、この詩を歌おうと思う。
つい先日CDが届いたばかりであるから歌詞すらうろ覚えではある。でも下手でも構わない。何故なら僕はこれを歌いたくて仕方がないのだから。
だから僕は僕なりの解釈で、自分の為に精一杯この詩を、歌いたいと思う。
Kiseki

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2006年1月13日 (金)

演歌

歌番組が何気なくテレビで流れていた時に妻がふと気づいたように呟いた。
「そういえばさあ、私のお父さん昔から演歌聴いてるよ」


うん?そうなんだ?そうだね。
・・・で? と言いそうになってその瞬間僕もはたと気づいた。何かしらトテツもなく大事なことに思えることに。
そう言えばうちの父ちゃんもそうだったのだ。

僕がまだ小学低学年の頃だと思う。
父ちゃんはある日ラジカセを買ってきた。
そしてその晩テレビを生録しては後日聴き返し悦に入った表情をしていた父の姿をかすかに覚えている。
その頃の父の年齢は、30代前半だったはずである。
「うちのお父さんは20代の頃からだよ。ずっと演歌が好きだね」 と妻は言う。
僕の父はジョンレノンと同い年だ。
その今の5、60代の方達はいわゆる団塊の世代に当たる方々である。
その方達が「ああー懐かしいなあ」と目を細めるのがおおにして演歌なのである。


とすると何か?
例えば僕なんかどんな演歌を聴いても大抵一緒に聞こえてしまう程に何の感銘も無いのであるが、団塊の方達にはそれがほろ苦い青春のワンシーンと一曲一曲見事にリンクしてノスタルジーを呼び起こすものであるに違いないのである。
それが懐メロ番組というひとつのジャンルのテレビの番組が成立するに至っている理由なのである。

実を言うと僕は最近の歌番組を観ても若い子らが夢中になっている歌手(死語か?アーティストと言わなければならぬのか?)の歌を聴いても正直ピンとこない。
高校生の時あれだけ一世を風靡し夢中にさせてくれたヘビメタがダサさの象徴となってしまった現在である。
もしかして団塊さんが僕のほうに歩み寄ってきているのか?
いや僕が団塊さんに一歩また一歩と近づいていっているのか?そうなのか?


とすると何か?
僕が今で言う団塊相当の年代になる時。
その頃の懐メロ番組にはきっと恐らく青春のヒットパレードみたいにさだまさしや松山千春やアリスなんかが今の演歌に相当するが如く取り上げられているに違いない。


「そうだよ歌ってのはこういうものをいうんだよ」とテレビを見つめて遠い目でしみじみしている僕を眺めて娘達はきっとこう思うのだろう。
あーまた父さん懐メロ番組見て入ってるよ と。

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2005年10月 5日 (水)

最高のテープ

彼の家に遊びに行き、いつもステレオを聞かせて貰っていた。

その頃の我が家ではステレオは高級家電の部類に入っており、自宅でステレオを聴くなどということは到底叶わぬ夢であった。
しかし家でもレコードを聴く手立てはあるにはあった。ただしそれはステレオを呼ぶには程遠いものであったけれど。なぜならそれはてんとう虫の形をしていたからだ。
でもそのてんとう虫でもちゃんとLP盤も聴けたし、カセットテープに録音することだって出来た。ただし生録だった。階下で母さんが片付け物をする音がどうしても入り込んでしまうことだけが難点だった。

そして彼の家でレコードを聴かせて貰う時。
僕の目の前で慣れた手つきでLP盤にスプレーをかけ埃を取る彼の姿。
回転数を慎重に調整して、ターンテーブルの上に乗せたレコード盤の上に針が落ちる時の音。
眩しい様にそれを眺める僕。正直、羨ましかった。
中学一年の頃の話。今から25年くらい前のこと。


そんな彼がある日、彼が家にあるレコードを適当に見繕って60分テープ一本に纏めてくれたことがあった。
色とりどりの選曲で、それは僕にとって宝物のような最高のテープになった。それを編んだ彼のセンスにも脱帽した(とはいえその内容はその時の彼の所持する音源の殆ど全てだったような気もするが^^)。
それは今の僕の原点になっていると言っても過言ではない。今でも実家に戻れば現存するそのテープを聴くことが出来る。


その中で今でも鮮明に覚えているものを挙げてみます。

「スターウォーズのテーマ(ジョン・ウィリアムス)」」
いわずと知れたテーマ曲。最初のクレシェンドが強烈です。

「ユー・アー・ラヴ(ジャニス・イアン)」(角川映画『復活の日』の主題歌)
かなりマニアック。サビの部分を聴くと今でも手放しで草刈正雄に駆け寄って来るオリヴィア・ハッセーの姿が目に浮かんできます。

「Mr.BOOのテーマ(サミュエル・ホイ)」
もっとマニアック。同名の映画のタイトル曲。『ホゥーテンヒーパンタートンツァイ・・・ブゥ!』という歌詞が強烈なインパクトを与えてくれます。

「防人の歌(さだまさし)」
サントラとしては更にマニアック。映画『二百三高地』メインテーマです。さださんのイメージをある意味で固定してしまった一曲。

「とてもちいさなまち(さだまさし)」(防人の歌のB面)
意外と知られていない佳曲。歌詞が素晴らしく良いです。
“君と出会って尚更深くこの街を愛した/砂糖菓子みたいな家や草花や人やその言葉を”
こんな歌詞を書けるなんてさださんはやっぱり普通の感覚の持ち主じゃない。

「オズの魔法使いのテーマ(えーと・・・虹の彼方にじゃなくもっとポップなもの、曲名は知らない)」
憂鬱な時も聴いているだけで気分が晴れてくるに違いないと思える曲。誰もが一度は聴いたことがあると思う。

「ジョーズのテーマ(ジョン・ウィリアムス)」
…サントラが多いなあ^^ 有名なあのテーマ。

「Ride On Time(山下達郎)」
出だしがどうしても変拍子に聴こえてしまっていた。今は解消したけれど。
一度ブレイクする部分でバスドラだけになるところが堪らなくカッコよかった。

「昴(谷村新二)」
いまや国民的唱歌。でもその頃は新曲だったのです。

「What Love Is(谷村新二)」(昴のB面)
ピアノとヴォーカルだけの至極シンプルなサウンド。歌詞や歌い方、全てが大人の世界だなって子供心に思った。
クライマックスの『ベイベベイベベイベェ・・・ぅう』 が鳥肌もの。


・・・てんでバラバラで無節操な選曲ではあるけれど。
どれもこれも、ひとつひとつ、思い出がギッシリ一杯詰まっている。
本当に大切な、かけがえのない最高のテープ。
一曲一曲それぞれに、僕は詳細な記事を書くことができるだろう。


いつか、書こうと思います。

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2005年9月14日 (水)

出勤時に撃沈

夏風邪に悩まされてはや三日。
僕を苦しめるのはクシャミ・鼻水・咳の三大症状です。ああそれとプラス微熱・頭痛・虚脱感。
動き、鈍いです。かなり。
間黒男を呼んでくれって感じ。


ん~僕は節約して節約して貯めたお小遣いを月に一度だけ自分の為に使います。
でもCDを買うにしても最近はもっぱら店に行くのも億劫になってきたからアマゾンにはお世話になりっぱなしであるのです。
さてえー、もとより僕はビートルズのカバーものにはめっぽう弱い。ジャケットにビートルズの文字があるだけで何でもかんでもだぼハゼの如く衝動買いしてしまうのです。
この前ネットを徘徊していたら面白そうなものを見つけたのでこれは聴いてみたいと思い早速購入しました。
で昨日届いたものを今朝出勤時に車の中で早速かけてみました。
↓これです。

pistol


それでえー・・・。

こういう類の音楽は朝の景気づけにはきっともってこいなのでしょうが・・・そいつは体調の良いときに限るようです。
この一撃で風邪の諸症状ですっかり参ってしまっている僕は頭痛がひどくなり、併せて購入したさだまさしの新譜に交換したのです。信号待ちしながら。粛々と。ものも言わずに。遠い目で。


生ギターの音、いいです。「MOTTAINAI」、素晴らしくいいです。
実感しました。朝は、こうあるべきです。
さださん、癒しをありがとう。

tokoshihe

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