書籍・文芸面

2015年12月10日 (木)

序文について。血迷ったかと誰しも思う。(エピソード2)

(承前)

更に更に更に先輩は続ける。
「そしたら会長さ、『あいつ忙しいみたいでよ、しばらく海外におって2ヶ月くらい日本に帰ってこんらしい』って言うんだわ」
「えっ!?マジで電話かけたんですか!…ってどこにかけたんだろう(笑)」
「だろ?俺本気で思ったよ。このオッサン、完全に正気失っとるってね(笑)」
「そりゃ思いますよね(失笑)」


そうなのだ。
幾らなんでも無謀過ぎる。

例え幾ら苗字が同じであったとしてもだ。

もしかしてこりゃアレか?ここまで来たら天然の域を軽く通り越して最早いわゆるあのミッドライフクライシスの末期症状か?


そして更に先輩は続ける。
「で俺さ、思い切って会長に聞いたったんだわ。『どこに電話かけたんですか?』って(笑)」
「ふんふん(笑)」
「そしたら会長『あいつの事務所に決まっとるがや』ってさ(笑)」
「(笑)」


ここまで来て先輩は思ったそうだ。

このオッサン。
どうやらイッちゃってるわけでも正気を失い血迷っているのでもなさそうだ、と。
どうやら、限りなくマジだと。
しかし、言うに事欠いて、かの文豪をあいつあいつって(笑)


そしてこれが極めつけ。
先輩は、こんな衝撃的な言葉を発したのだ。


「そしたら会長が言うんだわ。『さっきからなに言っとんだ、あいつは俺の甥っ子だかや』ってさ」
「エエェーーーーーッ!!!」


普段通りのなんでもない昼休みの時間帯に余りと言えばあまりに衝撃的なエピソードである。
僕は食べかけのお弁当を喉に詰まらせそうになってしまった。


つまり。


M会長とMH氏は叔父と甥という立派な血縁関係にあり、要するに"叔父ちゃん・Hちゃん"の間柄というわけだ。
…ってこたお年玉あげてたってことすか!?


で続きを聞く。
「何でもさ、このM会長さ、今まであちこちで講演をしてきたらしいんだけどさ、前に一回頼んだことあるらしいんだわ、公演の。前座を。MHに(笑)まだ売れるずっと前のことらしいんだけど」
「へぇ〜(笑)」
ここまで来たらもう何を言われても驚きませんぜ(笑)

で先輩は続ける。
「でさ、MHがさ、『僕は文章を書くのは得意ですけどしゃべるのは苦手なので叔父さんお願いだから勘弁してください』って断ったらしいんだよね」
「ムハハッ(笑)」


ここまで聞いたしまったら。
僕、その自叙伝、買います(笑)


序文だけでも読みたい(笑)


(追記)
文中、M会長様対しましては大変失礼な言動があったことをお詫び申し上げます。
断じて誹謗中傷の意図があったわけではありません。
むしろ会長の慈愛のこもった言動に、人間としての会長の器の大きさを感じ入った次第であります。
お詫びの代わりに、その自叙伝、MH氏の序文がもし実現したならばわたくし自腹で買いますので、どうか直筆のサイン付きにして下さい(笑)


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(後記)
どうやらMH氏の筆による序文は実現しなかったようですし、記事を書いてからかなりの時間が経っておりますので、まあ時効という寸法で(笑)ここに公開させていただきます。

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序文について。血迷ったかと誰しも思う。(エピソード1)

5年以上前に書いて、そのままアップするのを忘れていた記事を上げます。
いわゆるひとつの未発表作品(笑)となります。
それではどうぞ♬


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今日、会社の先輩と昼休みにこんな会話をした。


この先輩と僕とは音楽や文学の好みが似通っており、よくマニアックな話題で盛り上がったりする。話の上手い先輩だ。

「ダイチャン(僕の事だ)さ、〇〇のMさんって知っとる?」
「ええ、知ってますよ。社長さんでしたっけ?」
「うん、まあ今は会長なんだけどね」
「ああそうですか」
とまあこんな感じである。


先輩は続ける。
「でさ、そのM会長にさ、昨日会ったんだわ」
「ええ」
「そしたら会長がさ、これがまた唐突なんだけど、"私の半生"みたいなテーマで自叙伝を書いたらしくてさ、近いうち自費出版するらしいんだよね」
「へぇ~」


ここまではまあ、よくある話である。
件のM会長には僕は一度しかお目にかかった事はないが、その業界では結構名の通った有力者で、大御所とも言うべき人物である。


で先輩は続ける。
「それでさ、会長せっかく初めての自叙伝を出すんだから序文を誰かに書いて貰おうと思ったみたいでさ」
「ふんふん」
「それでさ、その序文をさ、MHに頼もうとしたらしいんだわ」
「!」


MH?
そう。あの、MHである。


更に先輩は続ける。
「それでさ、会長さ、『お前MH知っとるか?』って俺に聞くんだわ」
「!(笑)」
「俺ビックリしてさ(笑)、会長に言ったったんだわ。『MHって言ったら、****賞の候補に毎回なるくらいのベストセラー作家ですよね?そりゃ知ってますよ』ってね」
「ふんふん(笑)」
「そしたら会長『何だ知っとるんか、あいつそんなに有名なんか』みたいな感じでさ(笑)笑っちゃうだろ?でも冗談にしても突拍子もなさすぎて俺笑っていいもんか分からんくなっちゃってさ(笑)」
「ハハハッ」


ところが、である。
この辺から話は途端に急展開を見せるのである。


更に更に先輩は続ける。
「そしたら会長さ、電話かけたって言うんだわ」
「?」
「MHに」
「…!?!!!」


ここまで話して流石に先輩、この会長どうやら冗談言っとるわけじゃなさそうだと気付き、そして思ったそうだ。
(このオッサン、遂にイッちゃったか?)
と。

(続く)

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2012年3月31日 (土)

ルーツ of ルーツ

中学生の頃、この本が僕の全てでした。

Sadamasashi


正確には本ではありません。
ドレミ楽譜の「レコードコピー ギター弾き語り さだまさし全曲集」です。

暇さえあればこのスコアをめくり、寝る間も惜しんでギターと歌の練習に励んでいました。
僕にとってのバイブルと言っても過言ではありません。

このドレミ楽譜のスコア、手書きの歌詞とスコアが妙に温かかったです。とても綺麗な文字でした。
いったんこの手書きスコアにハマっちゃうと他のスコアがそっけなく感じたものです。
このシリーズ、もうとっくに絶滅しちゃってるんだろうなあ。
おかげで今やプレミアが付いてウン万円の価格が付いているようです。

いまだに実家の押入れに大事に眠っています。売ったりすることなど出来やしません。
大体がボロボロでイタズラ書きだらけのものが売れるはずありませんが(笑)

さだまさしの他にもその当時第一線のニューミュージックアーティストと呼ばれていた方々のスコアも持っていました。
松山千春、アリス、中島みゆき 等々。
勿論、すべて手書きスコアの『ドレミ楽譜』のものであります。


ルーツはいつまで経ってもルーツです。

まさにルーツofルーツ。
ルーツ中のルーツ。
キングオブルーツ。

ルーツルーツ。
嗚呼ルーツ。
ルーツでルーツなドレミ楽譜。

ドレミの手書きスコアよ永遠なれ。

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2010年4月16日 (金)

青豆と天悟

同じ場所で、同じ空を見上げていた。
お互いが、お互いを知ることなく。


僕は、そのシーンが息苦しくなるくらい、切ない。

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2010年4月 8日 (木)

中学生の時。


横溝正史の悪霊島を読んだ。氏の生前最後の長編小説。
映画化もされた。キャッチコピーは「鵺の鳴く夜は恐ろしい」である。ご存知だろうか。
タイトルからしてあまりに怖すぎそうで劇場には観に行けなかったが(笑)
でも別にホラー映画ではないのでそういう意味では全然怖くはなかったのだけれど。

まあ僕の場合、テレビでこの映画のCMが流れ、そのBGMに釘付けになってしまい、そこから逆に興味が湧いて原作を読むという流れだっただけで特に横溝正史好きというわけではありませんでしたが。

さてその映画のBGM。これがビートルズだったのである。
「Let it be」と「Get Back」の2曲。
その当時ビートルズの楽曲を使用するには著作権の関係で現在とは比較にならないくらい莫大な費用がかかったそうで、あの角川春樹さんをもってしても2曲が限界だったとか。
そういえばたしか武田鉄矢さんの坂本龍馬のドラマでも随分思い切ってふんだんにビートルズの楽曲を使用していたような気が。


さて鵺(「空に鳥」とも書きます。たしか小説では「空に鳥」でした)。
いわゆるもののけである。
平家物語にも特別出演(笑)しているそうで。
悪霊島ではたしか鵺の鳴き声は逢瀬の合図であったと覚えている。
あ、もしかして映画のBGM、ビートルズの「Blackbird」夜の鳥?から来てたりして?違うか(笑)


ずいぶん前のことだけれど、テレビのクイズ番組でこの字が出題された。
前述の理由から僕は即答することができた。
たまたま一緒に見ていた親族全員が即答した僕を尊敬の眼差しで僕を見た。
後にも先にもその時だけのことである。尊敬の眼差しを浴びたのは(笑)


で鵺。
さあなんと読むのでしょう。
まあ別に読めたって大した自慢にはなりませんが(笑)

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2010年3月11日 (木)

僕はビートルズ

「ダイチャン、マンガとか読む?」

会社の先輩がふらりと僕の席に来てこう言った。
定時は回っていたので直接仕事とは関係ない話だろうと察しはついたがあまりに脈絡がなかったので、一瞬返答に困ったが僕はこう答えた。「ええ、まあ割と読みますね」
軽く頷いた先輩はじゃあと僕にマンガ雑誌を一冊渡してくれた。
表紙はあの、かわぐちかいじ氏である。


かわぐちかいじ氏といえば「沈黙の艦隊」や「ジパング」である。
「沈黙の艦隊」は恥ずかしながら全巻揃えている(笑)片や「ジパング」は途中で挫折して今に至っている(笑)


であの、かわぐちかいじ氏である。

なんと今度はビートルズである。
タイトルはズバリ「僕はビートルズ」!

今日3/11発売の週間モーニング。
ビートルズ好きや、かわぐちかいじ好きなら必見である。


先輩には一読した後返さざるを得なかったので、思わず帰りに一冊買ったわさ(笑)
この僕がわざわざマンガ雑誌買うなんてここ10年以上なかった快挙です。
子供が生まれてからこの方喫茶店もあまり行かなくなったからなあ。まあ記念にということで(笑)


ただし来週からは立ち読み確定ですが(笑)

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2009年2月24日 (火)

スーパーで熟読

どうやら僕には生鮮品等の買い物をするセンスというものが欠落しているようなので家族でスーパーに買い物に行くような際は専ら子守に専念することになる。
空のカートに子供を乗せ最初は奥さんの後を付いて回るのだがそうこうするうちにはぐれてしまい、店内をグルグルとさ迷うことになる。当てもなく。

基本的に僕は文房具が大好きなのでこういう場合はそのコーナーにも当然のように立ち寄ることになる。特に何を買うでもないのであるが。財布を持参していないのでね。
そんな時に新機能の文房具が並んでいたりすると非常に幸せな気分になったりする。まあ文房具は今日の話題にはなんら関係はないのでどうでもよいが。


で店内を巡るのにも飽きると落ち着く先は書籍のコーナーとなる。
然るに主婦層が顧客の多くを占めているスーパーだけに陳列されているものはやはり主婦向けのものが圧倒的に多い。ファッション関係の雑誌やら住まいや料理に関わるもの等々である。
次に多いものが子供向けのものだ。「たのしい幼稚園」とか「おひさま」とか。プリキュアとか仮面ライダーとか。
うちのチビ達も例に洩れずこの辺がモロにストライクゾーンど真ん中なようで、このコーナーに立ち寄るや否やちび達はカートに乗り込んだままで思い思いの書籍を手に取り熟読態勢に入る。非常に微笑ましいものだ。
で後はお父さん向けのものが少量並んでいる。パソコン雑誌やら車雑誌やら文芸雑誌やら。余談だがこの文芸雑誌は表紙になぜか艶かしい画が付いているものがやたら多い。僕の名誉にかけて記しておくが僕はそれに手を伸ばす域にはまだ達していないので手にすることはない。手にしたいかどうかは別問題として。

とまあざっとこんな感じなので僕としては何より好きな書籍を目の前にしているにもかかわらず僕の読むべき書籍はそこには見付からないのである。残念ながら。
ま早い話がそこには僕の欲するPlayerやGuitarMagazineという音楽系の雑誌など皆無なのだ。残念ながら。置いてあることを期待するだけ虚しくなってくるのだす。


だから仕方ないので僕は適当に目に付いたものを手にとってパラパラとやるわけであるが、その日は非常に興味をそそる雑誌が置いてあったのでそれを読み耽ってしまった。

Logomu2
ムーだ(笑)


決して僕はオカルト的なものに興味津々な訳ではないが、この手の書籍には子供の頃から弱いのである。中でも特に矢追純一的なものには。
好きか嫌いかと訊かれれば、大好きなのである(笑)
矢追純一のUFOスペシャル。あのジングル。テテテーテテテテテー。最高です。いまだにあれを超える特番はありませんねえ。少なくとも僕の中では。


スーパーの片隅で書籍を一心に読み耽る親子の図。
本好き親子を自認している我が家にとってある意味これも価値的な時間の過ごし方なのである。
例えそれが「たの幼」と「ムー」であったとしても。

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2009年1月20日 (火)

ビリー・ジョエル・ストーリー

告白するが僕は正月休み中にひたすら数独をし続けて過ごしていた。
暇さえあれば鉛筆を片手に100円ショップで購入した数独書に取り組む。脇目も振らず。ひたすら。
100円で百問だから一問1円だ。なんて経済的なのだ。素晴らしい。
まあ数独は今日の本題ではないし最近いい加減飽きてきたので本来の一大趣味である読書にここ数日は取り組んでいるのである。


先日真新しい書店にフラッと立ち寄った時に文芸書の棚に何気なく並んでいたこの書のタイトルに一瞬にして心を鷲掴みにされ気が付いたらレジに立っていた。財布の中身も確認せずに(辛うじてセーフだった)。
ビリーの、あのビリー・ジョエルの伝記?そんなものが存在していたのか。

お釣りを受け取ると小走りに車に向かい、自宅に帰るのももどかしく寒空の中エンジンかけっ放しで小一時間ほど没頭してしまった。何たる非エコな。
今現在は本編半ば「ニューヨーク物語(TURNSTILES)」の行あたりまで読み進めたところである。


今まで様々な形で伝記を作りたいというオファーがあったにも関わらずことごとく却下していたというビリー。
本書は世界で始めてその生い立ちから克明に記された唯一無二でありしかも「原稿を読んだビリーがその赤裸々な内容に一時は出版に難色を示した」程の書であるという。

母と自分を捨てた父親との確執とその後周囲から無言のうちに受けた傷に今でも苦しめられているという意外な素顔、それを跳ね除ける強靭な精神力、プレスされたファーストアルバム「Cold Spring Harbor」の酷い出来に激怒しレコードを壁に叩きつけたというエピソード、ビートルズの「あの」シェイ・スタジアムでのLIVEをジャックしようとしていたという過激で無茶苦茶な行動力、「あの」Sir.ジョージ・マーティンがアルバムをプロデュースをするかもしれなかったというスリリングなシーン、…等々知られざるビリー・ジョエルの内面に肉薄する非常に読み堪えのある一書である。
冒頭、初めて僕が生のビリーを見ることが出来たエルトン・ジョンとのワールドツアーのシーンから始まるのも嬉しかった。


中学、高校の時に始めて触れたビリーの世界。
発表された曲の順序ましてや製作された背景などお構い無しにランダムに聴き漁っていたあの頃。
今この本を読みながら僕は、記憶に焼き付けられているビリーの音楽と、そしてその頃の空気や匂いを懐かしく思い出すことが出来ている。


そんな感じで。
夜更けに読み進めるときに一番ピッタリなBGMは、やはり「New York State of Mind」なのであります。


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2008年9月12日 (金)

空の中

根が捻くれているせいか書店の正面にディスプレイされている流行りの本についてはあまり興味を惹かれないというか惹かれないようにしているのであるが、これはちょっと気になった。

角川文庫だ。
手に取る。ちょっとした重量感。
ひっくり返して背中を見る。SFっぽい。
で一頁読む。…買っちゃおう(笑)


先入観無しで取り組むのが一番正しいと思うのだ。須らくおよそ芸術というものは。それが音楽だろうと絵画だろうと物語だろうと。まいいけど。
でこれ。
読んでいくと、所々ン?というような表現が混ざる。こりゃアレか?この作家きっと若い人なんだろうな。感性もそしておそらく実年齢も。
だけど女性とは知らなかった。本名なのかな?そうなんだろうなあ。字面からペンネームだったとしたら何で?という感じだからねえ。
…ああそうか。そうならばあのシーンのあの台詞も頷ける。


前述のン?の表現はそれは個性としていいとして、総じて面白い小説だと思います。SF的には展開がちょっと強引で掘り下げが浅いような気もしますがそれを割り引いても面白かった。充分楽しめました。
何て言うんだろう、読んでいて時々レディースコミックのワンシーンが浮かんでくるような(笑)そんな感じで、基本的に明るくて良いと思います。
巻末に、本編の後日談となる書き下ろしの掌編が収録されていますが、これは作者もマジモードで書いたようで、文学的にも本編とは一線を画し、これだけで素晴らしい作品になっていると思います。


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2008年6月23日 (月)

深海のYrr

ここ数日。
来ていた。かなり。

一旦読み始めたら最後、読了するまで僕の興味はこれ以外に何もない状態だった。凄い小説だ。
この気持ちを誰かと分かち合いたい。だがそれにはこれを読破することが前提条件となる。


帰りのバスの中での時間潰しに必要な本を探している時だった。
大袈裟にディスプレイされた新刊文庫のコーナーにそれは並んでいた。
まず、帯に惹かれた。瀬名秀明さんの名が目に飛び込んできたのだ。そこには『瀬名秀明氏(作家)驚愕』とあった。
僕にとっては理由としてはこれだけで充分だ。
これは間違いなく買うに値する。この際価格など関係ない。反射的に上巻を手に取る。
上下巻かと思いきや後日上中下巻の超大作だと知ることになる。こうなるとちょっと価格も関係してくるがもう止まらない。止めようがない。

バスに乗り込み着席し、親指を舐め、頁を捲る。
この瞬間が堪らない。チビリそうな感覚だ。
翻訳ものによくある主要登場人物一覧の頁を見る。読むのではない。あくまでも見るにとどめておきたい。何故なら後で何度もここに戻ってくる予感がするからだ。実際その通りになった。
だが図らずもそこに記述されているある人物の肩書きが目に入ってしまう。”SETI(地球外知的文明探査)の研究員” とある。
…何だこれ。アカン、やっぱりヤバいぞこの小説。プンプンにおうぞ。
どうしよう、これは間違いなく僕のストライクゾーンど真ん中だ。サイエンスフィクション好きの。


ストーリーや詳細についてはここでは書くまい。
それにしてもあまりに映画的な小説だ。実際に物語の中に僕の大好きなSF映画のタイトルが登場人物の科白として幾つも登場する。その場面を表すにこれ以上ないというくらいの的確な科白として。その一点においてこの物語が途轍もないリアリティを持って僕に迫ってくるのだ。中でもジョディ・フォスターのあの映画が登場したことはなによりも嬉しかった。
訳者あとがきから少しだけ引用もさせて戴きたい。この一文が全てを物語っていると思うからだ。
『本書は、科学が少々苦手の読者もすっかり科学好きに変えてしまうほどの力を秘めている。それは、物語が最新の科学に裏づけされているからであるのは当然だが、なによりも第一級のエンタテイメント小説であるからだ』
またここには現代という時代が抱えるあらゆる問題が包括されている。個人のアイデンティティの問題から世界規模の環境問題、さらには宗教に至るまで。
そこには絶対神を是とするキリスト教の限界を示し、あらゆる生命との共生を根幹とする仏教の絶対の法則と生命科学、そして宇宙を貫く無限の生命の可能性をも説いている。


ドイツの作家フランク・シェッツィングの作品。
ドイツの小説など読むことはおろか手にすることさえ初めてだ。
文体も非常に好みだ。というより大好きだ。
きめ細かくそれでいて一切無駄のない人物とその背景の描写、同時進行で幾つもの場面が交錯するスピード感。

映画化も決定しているようだ。これ以上ない程の映画的な小説をどんな映像で再構築するのかこれもまた楽しみ。
事実作者自身無類の映画好きだそうで、登場人物は実際の俳優がモデルになっているようだ。そういう感覚も面白い。


それにしても。

これほどの幸福感を味あわせてくれる小説なんて滅多に出会えない。
読んでいる最中も、読み終えた今も。その感覚だけは一貫して変わらなかった。

読んでよかった。


  

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