詩 面

2009年2月 9日 (月)

天狼星(シリウス)に

とある機会で歌を歌わせていただいた。


そこでは何を歌っても良かった。完全に僕の自由。
それだけに何を歌うか。何を伝えたいのか。
悩んだ、悩んだ。


この歌の存在は以前から知っていた。
でもその時は声に出して歌おうとは思わなかった。いや、歌えなかった。
僕が歌える歌ではないと思っていたからだ。
そこまで、僕は到達していないと。そう思っていたからだ。


そして娘が生まれて。家族が増えて。
日一日と大きくなってく彼女らの姿を毎日目の当たりにして。


何時か訪れるだろうその日のことを、時折想う。
うまく想像すら出来なけれど。
間違いなく彼女らにも僕と同じように、彼女らの人生があるのだ。
自らの足で、力で、道を歩んで行くのだ。


ふとそう思った時にこの詩の一節が心に浮かんだ。

父さんよりも 愛する人が
出来るなんて 思わなかった

不覚にも涙が零れそうになったが、そこは堪えたよ。
だって情けないじゃんね。


天狼星に

自分だけは だませなくて
独り夜汽車で 旅立つけれど
ひとつひとつ 数える駅の
数だけ不安も 数えている

それほど遠くへ行く訳じゃない
それが悲しい理由でもない
父さんよりも愛する人が
出来るなんて 思わなかった


膝の荷物が 二十余年の
重さというには 軽すぎるけど
いつか何処かで 根付いたならば
許してもらえる そう信じてる

窓から見上げる夜空にひときわ
輝く星の名は知らないけれど
蒼い光に かけて誓う
何があっても くじけない

それほど遠くへ行く訳じゃない
それが悲しい理由でもない
父さんよりも愛する人に
出会うなんて 思わなかった

父さんよりも愛する人が
出来るなんて 思わなかった

 詩 さだまさし

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2008年2月28日 (木)

ひなまつり

子供は、作詞する。
うちの子も例外ではない。する(笑)

灯りをつけましょぼっこりに
お花をあげましょ桃の花
五人囃子の明太子
今日はたのしいひなまつり


大きくなるにつれて、ボキャブラリーも飛躍的に増えていく。その充実振りたるや目を見張るほどである。
昨日喋らなかったことが今日喋れている。驚異だ。


育児は難しい。

三つ子の魂百まで という。
子供が数えで三歳になるまでに覚えたり体験したことは生涯消えることなく、いろんな意味で(それはいい意味でも悪い意味でも)基本的な人格形成に影響を及ぼす という意味と僕は解釈している。
自身の体験を通して言えば、おおにしてこの時期は非常に忙しい。毎日がジェットコースターに乗っている様なものだった。あっという間に娘たちの三つ子の時期など通り過ぎてしまったような感である。
だが僕は彼女らに出来うる限り目一杯の愛情を注いだつもりでいる。

彼女らは4歳になるが、保育園にも幼稚園にも行かせていない。妻が毎日見てくれている。それにはまあ、色んな事情があるわけだけれども。
普通はこの年代になると大抵が園に通わせる。そこで社会性や協調性を育ませたいというのも親側のひとつの理由であろう。
でもうちはそうしないでいる。

近所の幼稚園が定期的に園を開放しており、その日だけは園に通っていない子供も自由に園内に入れて貰える機会がある。不定期であるがカウンセラーが育児相談も受け付けてくれている。
以前、妻がカウンセラーの方に質問したそうだ。
「うちの子はもう4歳になるのですが、保育園にも幼稚園にも行かせてあげてません。これはこの子らにとって実際のところどうなんでしょうか」 と。
カウンセラーの方の回答は明快だった。
「それが一番です」


「色んな事情のご家庭があります。生活を支えるために両親が共働きであったりするとどうしてもお子さんを預けなければならない状況になります。0歳から預けるご家庭も珍しくありません。
「ですが子供の心身の発育、特に心の部分で見るとこれは決して良いとはいえません。子供が一番親の愛情を必要としている時に親(特にお母さん)が『現実的に』近くに居ないということは決して良い影響を与えません。
「確かに同年代の子供達に混じって社会性を育むことは必要です。ですがこれは小学校に入る一年前でも充分に間に合います。
「ですから可能であれば出来る限り園に入れず、近くに居れる環境を作ってあげることが一番なんです。」


その日僕が帰宅するなり嬉しそうに妻がこう言った。
「うちは間違ってなかったんだよ」 と。
そんな妻を僕は誇らしいと思った。


ボキャブラリーも増えて、これからどんどんまともな会話をする機会が増えてくる。
同時に言葉で言ってもわからないこともきっと増えてくるだろう。行動で示すしかないことも。

だがそんな時のためにこそ、こんな風にひなまつりの飾り物を前に目をキラキラ輝かせているこの子らの姿を、僕は目に焼き付けておきたい。
心に焼き付けておきたい。

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2006年7月16日 (日)

馬の骨

突然聞いたこともない名前が飛び出す。僕は困惑する。
いや、もっと正直に言うと僕は狼狽したのだ。


こんな僕にも、それがようやく実感として解るときが来たようだ。
きっとその思いは僕を苛むに違いない。この先、ずっと。こんなシチュエーションに出くわす度。それは僕の手を離れる時が来るまで。
将来、間違いなくその瞬間が来る。そしてそれはどうしても乗り越えなければならない壁になる。


認めたくないがそれは、情けないがそれは、本音を言ってしまえばそれは・・・嫉妬なのかもしれない。


「0-15」
あなたの風が僕を離れて彼に向って歩いている
彼をみつめて輝いているあなたの愛が眩しい
自分の枝に結んでおいた風船が糸をほどいて
自由に空へ舞い上がるのを見送る子供の様だ

あなたにとってそれが本当に幸せだというのであれば
見守る事も 愛のひとつの答になると思うが
為すすべもなく見送るのなら僕は男でなくなる
彼よりきっと僕の想いが深いと信じる以上

(詩 さだまさし)


恋人に対する想いを詠っているに違いないと思っていたこの歌が、そうではないのかも知れないとこんな時にふと気付く。
「んだと?!誰だその男!」 と思う。


なるべく今日の出来事を聞くようにしている。お昼は何を食べたのかとか何処に遊びに行ったとか。
彼女たちを寝かしつける時。
「今日はね、一杯遊んだよ。あのね、えっとね、ゆういち君と」

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2006年4月 2日 (日)

奇跡

妻が、これ本当にいい詩だから読んでみて と僕にすすめた詩がある。
さだまさしさんの詩である。


僕はすすめられるままに詩を読み、妻の感じた通りに僕も同じく感動した。
そしてその歌を聴きたくなった。で即Amazonで注文した。
何故か今回Amazonには珍しく発注後確認のメールが届くまで2日、その後現品が到着するまで実に一週間掛かった。普通どんなに掛かっても3日中に届いていた筈なのに。一体どういう加減なのだろう。まあいいや。

で届いたばかりのCDをさっそく聴いてみる。
さださんの作品としては珍しいイントロ無しのヴォーカルからいきなり始まる。そしてそのクレシェンドは凄まじい。さださんならではのものがある。

メロディは素晴らしく綺麗で、それでいて簡単に歌えそうでなかなかどうしてそうもいかないものがある。
編曲がこれまた本当に素晴らしく、服部隆之さんの手によるものかと思いきや渡辺俊幸さんのものだった。普通の人では考えられないコードを本当に自然に持ってくるところなど流石。この間奏のコードをコピーするだけでも本当に音楽的な勉強になる。アレンジャーという人は、本当に優れた音楽的才能の持ち主出なければ絶対に成り立たないものなのだと心からそう思う。


どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない

僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない
けれどあなたを思う心なら 神様に負けない
たった一度の人生に あなたとめぐりあえたこと
偶然をよそおいながら奇跡は いつも近くに居る

ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない

今日と未来の間に 流れる河を夢というなら
あなたと同じ夢を見ることが 出来たならそれでいい
僕は神様でないから 奇跡を創ることは出来ない
けれどあなたを想う奇跡なら 神様に負けない

ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい

ああ大きな夢になりたい あなたを包んであげたい
あなたの笑顔を守る為に多分僕は生まれてきた

どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない


…一聴すると、恋人へ捧げる歌のように思う。
でも僕は、これは愛する我が子に捧げる歌なのではないかと思う。


明日、僕は大勢の人の前で歌を歌うことになっている。
そして僕は明日、この詩を歌おうと思う。
つい先日CDが届いたばかりであるから歌詞すらうろ覚えではある。でも下手でも構わない。何故なら僕はこれを歌いたくて仕方がないのだから。
だから僕は僕なりの解釈で、自分の為に精一杯この詩を、歌いたいと思う。
Kiseki

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2005年9月20日 (火)

畏れる詩

ある大学の入試問題を手に入れる機会があった。

国語に関して自分はある程度の自信が無くも無いので^^高卒の僕がどのくらい通用するもんかとものは試しにそのページを手繰っていたらとんでもない問題にぶつかってしまった。
ある詩の全編を題材にした問題である。
その詩が、凄いのだ。
全文を記します。


眼にて云ふ

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらがもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気でいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。

 宮沢賢治
 詩群「疾中」より


一応、解説を試みます。きっと無意味と思いますが。
病床に臥した詩聖の、悲しみとか寂しさという感情を遥かに超えた高い次元から湧き上がった言葉が強烈に読み手の心を揺さぶります。
壮絶な描写であるにも関わらず何とも身体の力の抜けた詩です。
その状況下でこの言葉を紡ぎ出すという作業は、凄まじい精神力の成せるわざと思います。
冒頭の「だめでせう/とまりませんな」とは、往診に来てくれた医師に対し、口中が血で溢れている為に喋ることが出来ない代わりに眼で伝えている言葉。
健常時では想像すら出来ない精神状態です。
でも自身を卑下しているようになど微塵も感じさせない。それでいて強がりとも感じられない。
透明な気持ちと心を感じるのみです。
今がどういう状況だろうとそれは自然なことなのだと、ただそう言っているだけ。
そんな自分の眼に映るのは、やっぱり綺麗な青空と、透き通った風ばかりなのだと。


えー・・・。
試験中にこんな詩に出会ってしまったら・・・相当かなり僕はヤバい状況に追い込まれてしまって試験どころじゃなくなってしまったことでしょう。

よくよく考えたら宮沢賢治といえば教科書で習った「雨ニモ負ケズ」と「注文の多い料理店」、あとは「銀河鉄道の夜」や「セロ弾きのゴーシュ」位しか知らないもの。
こんなにおそろしい詩を残していたなんて。ただ畏れるばかりです。


明日書店で探してこようかなあ。賢治のこの辺りの詩集。これを機会にじっくりと味わってみたいと思う。

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2005年7月19日 (火)

雨の降る日に

 人はみな誰でも 流れる時の中で
 幾つもの別れに涙する
 だけどあなたはひとり

 赤いパラソルには あなたが似合う
 雨の降る日は いつでも 時は遡る

 あなたが好きだから 静かな夜は
 電話の音に いつでも ときめいてしまう

 優しさが足りない 心が見えない
 季節外れの 寒さが この胸に沁みる

  詩 小田和正


雨が降る時、必ず思い出す歌の一つ。


オフコースの1975年(何と30年前!)に発売されたアルバム「ワインの匂い」のオープニングを飾る曲。
アルバム「LφIVE」では小田さんのピアノの弾き語りで聴くことが出来る。
イントロのキーからいきなり歌に入る瞬間に転調する。この突然の転調はオフコースの というより当時の小田さんの曲の真骨頂。ゾクッと来る。
楽典的には、あるキーのトニックのコードを別のキーのサブドミナントに置き換えて転調するやり方。

僕の勝手な推測だけれど、元々小田さんはギター弾きだったのが鍵盤に転向した人だから、元から鍵盤弾きの人なら普通に通るバロック様式の(例えばバッハのような)コロコロ転調する曲を自己レッスンで弾いたりなんかして、一般的な歌ものではまず取り上げないはこういう不思議な転調をする曲を書くのが楽しくて仕方なかったんじゃないかと。
或いは映画音楽などのBGMをコピーして、場面が転回する時に意表を突いた転調をする手法を用いたか。
この手法は「別れの情景」のサビのクレシェンドに駆け上がる部分や「YES-NO」の歌に入る瞬間 等にも効果的且つ印象的に使われています。
まあ僕の浅はかな講釈など置いといて^^; でもこの歌に入る瞬間の転調はとても自然で、そして聴く者をハッとさせてくれます。


え~・・・雨です^^;書きたいことは^^

相合傘など、これまでの僕の人生の中でヤマダカツテしたことがあっただろうか?忘れてるだけなんだろうか。
その辺の記憶が実は本当のところ定かじゃない。この曲を初めて聴いたのは中学の頃だっただろうけれど。
詰め込みの受験勉強のお陰でマシーンのように毎日ドリル漬けだった日々は、今や僕の中では記憶そのものがグレーな部分が本当にある。
ある期間の記憶に厚い靄がかかっているみたいで、断片的にしか思い出せなかったり、全く記憶が無かったり。
忘却って言うよりは記憶が欠落してる感じ。ああこれぞ受験勉強の弊害か。
こうしてブログで記事にしようとすることで、無理やりにでも記憶を蘇らせようと・・・無意識に脳のリハビリしようとしてるのかしら^^;

・・・何を書いているのか分らなくなってきました。どうやら平気な様でちょっと疲れているみたいだ。
今日暑かったし^^;カンケー無い?いや、ある^^


えーと、雨です!詩についてです。
最後まで書かなきゃ。朽ち果てる前に。
どうも考えがとっ散らかっちゃってるな。


この歌を知ってから、僕が雨で連想するのは赤いパラソルになった。
それを差すのは、顔も見えない、それでいて儚い想いを寄せる人。
それは僕の心の中で勝手に創り上げた理想の女性像。
俯き加減に、ひとり、雨の降る並木道を歩く女性。


ええええ。そうなんです。
実は、男性の方が女性よりずっとロマンチストなんですよ。
恥ずかしげも無くこういうことを書けるという時点でもそう。


小田さんの書く詩は、特定の誰かに捧げているもののような気がします。
そしてそれはオフコースの初期のものによく表れており、後期のものと比較するとより内省的で味わいがあります。
小田さんの書く詩は、端的ではあるけれど、間違いなくある部分で僕の人格形成に影を落としています。


以上です。結論はありません^^;
たまには思いつくままにキーを打ってみたくなったんだ。
明日になったら絶対同じものは書けないだろうから。
おやすみなさい ( -_-)。。。

---
カテゴリは「音楽・芸術面」にすべきか「詩面」にすべきかちょっと迷った。まあどちらかというと詩の方に思い入れが強いので取り敢えず「詩面」に^^

ちなみに歌はこちらで試聴出来ます。


それより・・・梅雨が明ける前に書くべき記事だったような気もする(笑)

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2005年6月22日 (水)

距離(ディスタンス)

都会は決して 人を変えてはゆかない

果たしてそうだろうか。
都会は、やっぱり人を変える。と僕は思う。
この頃のさださんの詩には、少し抽象的なところがあって、まるで都会を擬人化し過ぎているように僕には取れる。都会に肩入れしすぎなんじゃない?と。さださん、ごめん。
でも恐らくこの詩には、僕のような凡夫の浅はかな思いとは異なるもっと深い意味がきっとあるに違いないのだろうけれど。
まだ其処まで行けてません。いや・・・行けるかどうかも^^;


都会は決して 人を変えてはゆかない
人が都会(まち)を変えてゆくんだ
人と人との距離が 心に垣根を
静かに刻み始める

もうそろそろ帰ろう 帰らなくちゃいけない
僕が僕でいるうちに
もうそろそろ帰ろう 帰らなくちゃいけない
君が君で いるうちに

 詩 さだまさし
 (一部のみ抜粋)


四日市の片田舎から名古屋の丸の内に職場が変わって三ヶ月が経った。
石の上にも三ヶ月の思いで何とか踏ん張ってきた。
あれ?石の上は三年だったっけ?まいいや。自分の中では三ヶ月は一つの区切りの目安だったから。

で三ヶ月経ってどうだったか。

どうやら僕は、変わりつつあるようだ。
別に、都会のせいにするわけじゃないけれど。

いま僕のいる場所は、三重県とは空気も違うし、第一人が歩く速度が違う。いつの間にか僕も、随分早足になってしまった。


知らず知らずのうちに、自分が最も望んでいなかった環境に置かれてしまっていることがある。
今の状況が、そうならないように。毎日踏ん張ってるけれど。
でもうっかりすると大事なものを持っていかれそうになる。

毎日、苦しい。
でも苦しいと感じれることがまだ幸せなのかもしれない。
イタミは始めのうちだけ。慣れてしまえばダイジョウブ。
そうなってしまったらきっともう僕はダメだ。


わかっているんだ。
現状維持をしようとしている程度ではぬるいんだ。
少なくとも、前に進もうとする以上は。

だって少しでも成長したいもの。
僕という人間はいつまでたっても未完成なんだもの。

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飛沫

ある雨の朝のこと
少年が
傘をさして
立っていた

おつかいの帰り道かな
信号のない
道端で
立っていた

笑顔で片手を高く上げて
雨の中で
飛沫(しぶき)を浴びて
立っていた

何故 停まってあげなかったんだろう?


 詩 さだまさし


雨が降ると思い出す歌の一つ。
実は、この歌は最近知った。
僕は、この歌に関する詳しいことは何も知らない。

さださんをいつも聴いていた時代が僕の中で確かにある。
だが生活の変化に伴い、時間と共に段々と離れていった。いつの間にか。
一時は、避けるようにしていたこともあった。
さださんに関しては僕の中で空白がある。

だから僕はこのアルバムの存在すら知らなかった。


それでも、さださんは其処に在てくれた。
そしてそれはこれからもそうあり続けていて欲しい と切に思う。僕の帰る場所として。
実に勝手ではあるが。

nihonkakuusetu

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2005年5月12日 (木)

秋の日

磧づたひの 竝樹の 蔭に
秋は 美し 女の 瞼
泣きも いでなん 空の 潤み
昔の 馬の 蹄の 音よ

長の 年月 疲れの ために
国道 いゆけば 秋は 身に沁む
なんでも ないてば なんでも ないに
木履の 音さへ 身に沁みる

陽は今 磧の 半分に 射し
流れを 無形の 筏は とほる
野原は 向ふで 伏せつて ゐるが 

連れだつ 友の お道化た 調子も
不思議に 空気に 溶け 込んで
秋は 案じる くちびる 結んで

 詩 中原中也


中学の時の国語の教科書で、初めて中原中也の詩に触れた。
当時、僕は自分のオリジナルソングを書くことに取り組み始めた頃だった。必死になって自分の言葉を探してた。

当時(もちろん今も)こよなく愛し、そして聴き込んでいたさださんの詩は心から凄いと思った。どうしたらこんなに凄い詩を書けるのだろうと。
だからさださんの詩を研究もした。そんな時、さださん自身の言葉から北原白秋の影響を大きく受けていることを初めて知った。
そして、中原中也の詩も、きっと読んでるんだと確信した。

普段通りの国語の授業中、出し抜けに中原中也のこの詩と出会った。
物凄い衝撃を受けた。
明らかに異彩を放っていた。その頁だけが。
授業はあっさりしたものだった。その後試験にも取り上げられなかった。
先生はどうかしている、なんでもっと深くここを掘り下げてくれないんだ。
こんなに、なんていったらいいのかわからないけれど…凄い詩なのに。

宮沢賢治の詩を受け入れることが出来なかった僕は、中原中也の(敢えて言うなら音楽的な)詩の、そして特にこの「秋の日」という詩の虜になってしまった。


書店で角川文庫版の中原中也詩集を買った。
教科書で取り上げられてた同じ詩の頁を慌てて探した。
何度も、何度も読み返した。


今の時代に、中也は生きていられるだろうか。
中也のような人は、生きているだろうか。


 なんでも ないてば なんでも ないに


職場から一人帰るとき。ふと呟いてしまう時がある。
セピア色の写真の中也の目に、涙が一杯溜まっているように見える。

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道の途中で(ON THE WAY)

リラ冷えの朝に旅立つ君へ
今迄の愛を込めて歌を贈ろう

君の道程(みちのり)は三叉路ばかり
迷って傷ついた時 思い出しておくれ

ON THE WAY
僕等はいつでも道の途中
ON THE WAY
喜びも哀しみも季節の様に巡り巡る

さよなら 君に会えてよかった
さよなら 君が好きでした


誰かの言葉や時代の嘘で
その微笑みや心を曇らせぬよう

君は君らしく生き抜いてくれ
僕は僕の通りに歩いてゆくから

ON THE WAY
僕等はいつでも道の途中
ON THE WAY
力の限りに時の流れを生きて生きて

さよなら また会う日まで
さよなら 君に幸あれ


さよなら 君に会えてよかった
さよなら 君が好きでした


 詩 さだまさし


【リラ(ライラック)】
リラ冷えとは、北海道でライラックが咲く頃の冷え込みをいう。
北海道では5月頃に、ライラックも桜も梅も、満開になるのだという。


僕が暮らすこの街で、桜がすっかり散ってしまった頃。
僕は、いつもこの歌を思い出す。


さよなら 君に会えてよかった
さよなら 君が好きでした

さよなら…僕の好きだったひと

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