生理現象面

2009年4月30日 (木)

深夜の闘争(5)

この闘争にもそろそろ終止符を打たねばなるまい。
あっちの空が少し白んできている。
お義父さんも大便から帰ってきた。


最終手段だ。
冷蔵庫にマグネットで貼り付けてある専門業者に電話をするのだ。万策尽きた二人に残された唯一の切り札はもうそれしか残されていないからだ。何時間か前にさっさと決断しておけば良かったという考えが脳裏をよぎったが振り払った。俺達は素人なりに少なくともベストを尽くしたのだ。ねえお義父さん。白旗を揚げるのはなんとも不本意なことではあるが致し方ない。

あてつけがましいほど眠そうな声の先方さんに今までの一連の事情を説明し、じゃあ取り敢えず依頼しますと言う話にはなったものの先方曰く来れるのは早くて9時過ぎになるとのことだった。
いや実は9時ではダメなんだけども。事情が事情なので仕方ない。他の業者を探す気力も既に今の時点では欠片も残ってはいない。しょうがないけどお願いしますわ。
みんな、すまぬ。明日の朝は全員コンビニ排便確定だ。


結局、業者が来たのは10時近くだった。それがちょっと頼りなさそうな若い兄ちゃんで如何なもんかと思ったがまあそこはプロなんだからと無理矢理納得。
言っちゃ何ですが結構忙しいものなんですね。そんなに混んでたんでしょうか。他のお客さんで。よもやシンクロニシティであらゆる家庭でこういう現象が多発していたとでも。
まいいや。


この業者は作業に掛かる前に見積もりを提示するという触れ込みだったから割かし良心的なのかなという感じでお願いすることになったのだが、その見積り額は思いの外高かった。マジで高かった。ビックリするくらい高かった。
あなたホントにビックリしますよ?気をつけたほうがいいですよお客さん。軽はずみな考えでこういう業者をアンタ滅多に呼ぶものじゃないですよ。マジで。片手に近かったんですから。片手すよ片手。
内心、人の弱みに付け込みやがってこのクソガキ、という気持ちもよぎったものの(今はクソオヤジはこっちの方なのだ)こうして馳せ参じてくれたわけだし今更追い返すのも忍びない。遅刻されたのはかなりの減点だけど。
こういうの何て言うんでしょう、弱り目に祟り目という心境になってしまっているわけですよ。こういう場合。要は背に腹は換えられない状況を巧みに利用する業界なわけですね。こちらさん方は。切羽詰って連絡するわけですから。
で渋々涙を飲んで了承。高くついたなと。後悔してももう遅い。

まあいずれにしてもお願いすることになったのだから早速現場で我ら素人二人の奮闘を掻い摘んで説明する。
こちらの話もそこそこに。まあとにかく洗浄してみましょう。この高圧水で。兄さん自信満々である。そりゃそうだ。プロなのだから。
じゃやってもらいましょう。思い切り。やっちゃってください。


コンビニから帰ってきた子供達も興味津々作業を見つめている。
作業開始の約10分後、途方に暮れた表情をするのは今度は業者のお兄さんの方であった。


でしょ?
だから最初からそうなんだって。それで解決するならとっくの昔に解決してるんだって。素人とはいえ大人二人で必死に取り組んだ結果ってのは断じて捨てたものじゃないんだって。
見積もり通り満額払うからさ、早くやっつけちゃってくださいな。さあ。
さあ。

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2009年4月11日 (土)

深夜の闘争(4)

「アカンな。手応え無いわ」お義父さんが呟く。

お義父さんはずずずいとブラシ付きワイヤーを引き抜き、先端のブラシを目の前に掲げる。僕は懐中電灯のか弱い明かりでそれを照らし、二人で詳細に検分する。
もちろん、ブラシが揺れる度に雫が飛びます。辺り構わず飛びます。顔や服に。
確かにブラシには何か紙のような白い切れっ端的なものが付着はしている。しかしその量はターゲットには程遠く、またドボドボ水は一向にその水位を下げる気配すらない。


ダメみたいですね。
アカンなあ。
絶対貫通してますよね?
うん。しとる筈やなあ。ほやけど何で流れやんのやろな。
途中で紙がカチカチに詰まってるならなんか手応えあってもいい筈ですよね?
ほやな。でも全然手応え無いわ…。

ところで、最初の時点で二人の役割分担は明確になっていた。
つまりワイヤーでズボズボするのがお義父さん、で懐中電灯で照らすのが僕という寸法である。
どちらからともなくである。そういう役割分担となったのはあくまでも自然の流れでなのであり、その流れには誰も逆らえないのであります。


さて、これで万策尽きたわけである。


予定では今頃正体を現している筈のターゲットは影も形もなく、ドボドボ溢れる水は依然としてそこに存在し、結果的に問題はなに一つ解決の見通しすら立たない状況に再び立ち戻ってしまったわけである。
そして残されたのは糞尿に塗れた男二人だけなのであります。


緊張の糸が切れたのか、お父さんは何故か急に便意を催したようだった。
考えてみれば無理もない。すやすやと安眠していたところを僕に叩き起こされ寝巻のままで小一時間寒風吹きすさぶ夜中に汗ばむ程ズボズボした結果これである。僕は大変申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。

大ちゃん、アカンわ。大便しとぅなってきた。
お義父さん、ダメです。使えませんよ。
ほやな。でも行きたいわ。
あ、そうです。コンビニあります。
そうか。貸してくれるやろか。
大丈夫ですよ。


でお義父さんは行きました。一刻を争う一大事ですから。そのままの姿で。
僕は待ちました。一服点けながら。

ふと車のフロントガラスに目をやると、凍結してました。
まさかそこまで冷え込んでいたものとは気付かず、二人はベストを尽くしていたわけです。いや、ベストを尽くしていたのはお義父さんですが。


頭をガンと殴られたように急に睡魔が襲って来る。
お父さんはコンビニに用を足しに行ったまま帰って来ない。

朝は、マジですぐそこです。

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2009年3月29日 (日)

深夜の闘争(3)

「コレ、使おか」とやにわにお義父さんが取り出してきたアイテムは正に秘密兵器と呼ぶに相応しいものであった。
それは台所の配管内部を清掃するブラシ付きワイヤーである。

暗闇の中で一筋の光明が見えたような気がした。誰がどう考えてもこれで問題は解決することは疑いない。万歳三唱したい。
しかしその小一時間後、再び暗闇の中で絶望に打ちひしがれることになるとはこの時点での二人は知る由もない。


一戸建て住宅には通常、下水のマンホールは幾つかある。排水の系統別に。
ドボドボドボドボ溢れている問題のマンホールの下流側に位置するマンホールを開けてみる。すると予想に違わずカランカランに乾いている。

要するに、そういうことだ。

ドボドボマンホールをA地点、カランカランマンホールをB地点とすると、A地点とB地点の間に何らかの重大な問題が横たわっているわけだ。いや、ハッキリ言うとハルのトイレットペーパーが横たわっているわけだ。

遂に目に見えぬターゲットは見えた。いや初めから見えてはいたが。後はコレを排除するだけだ。


A地点とB地点間の直線距離は目測で約5m。
ブラシ付きワイヤーの長さは約3m。
ということはA地点とB地点の両側からワイヤーを差し込めば、必ず中間地点のどこかでオーバーラップすることになる。これでターゲットのその姿を間違いなく白日の下に曝すことができる。


お義父さんとアイコンタクトを交わす。

さあ、掛かろう。仕事に。
糞尿まみれの仕事に。

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2009年3月19日 (木)

深夜の闘争(2)

気が付くと時刻は26時半だ。丑三つ時である。

かなり冷え込んできた。おまけにパジャマは飛び散った水で半濡れだ。忍び寄る冷気が汗ばんだ身体から体温を奪っていく。

外に出るか。さもなくば諦めて寝るか。
こんな深夜まで汗みず垂らして頑張ったんだから寝たとしても誰も責めはしまい。

いや、出よう。やっぱり。
パパは遅くまで闘って勝ったんだよ。トイレに勝ったんだよ。と。娘に胸を張りたい。
もし今僕が独り暮しならとうの昔に諦めているに違いない。家族の支えとはかくも偉大なものなのだ。


さて。出よう。
ただお義父さんを道連れにしよう(笑)


でお義父さんを起こす。すみませんねえ。こんな夜更けに。実はトイレヤバイんす。一階も二階も。全滅なんす。

お父さんの起床は速かった。ものの数秒でベットから立ち上がった。若干ふらついてはいたが。普段ちょっとというかかなり頼りない感じのオーラを放つお義父さんなのであるがこういう時は流石、である。
「何や?トイレか?詰まっとるんか?アカンやないか」


でまず室内の現場で状況説明。
よっしゃわかった先ずは俺に任せとけとばかりにお義父さんはどこかからマイ・キュッ・ポンを引っ張り出してきて再びキュッ・ポン。キュッ・ポン。です。
キュッ・ポン。キュッ・ポン。です。さらにンジャゴーです。
うーん、これはアカンな。配管やな。
そうですよね。そうなんです。
外出よか。はい。
出ました。


で裏に回って懐中電灯で地面を照らすとそこはかとなく濡れているように見える。特に問題のマンホールの辺りが重点的に。何故だ?何だこの水?
でマンホールの蓋を開けると疑問が解決する。
水が、居るのだ。そこに。溢れんばかりの水が。いや実際溢れているのだ。しかも水と言ってもただの水などではないので念のため。
それを調子に乗って二人してキュッ・ポン。キュッ・ポン。したのです。
キュッ・ポン。キュッ・ポン。の度にドボドボドボドボ溢れ出ていた寸法な訳です。


まあ。
過ぎたことはしかたない。
今の二人には前進あるのみなのだ。掛かろう。作業に。

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深夜の闘争(1)

流した途端見る見るうちにヤバい水位まで達して来たのである。あれよあれよという間に。それはかつて体験したことが無いほど本当にヤバく、僕は溢れることを覚悟した。寸前のところで何とか持ち堪えてくれたが。
「かなりヤバいです」と僕は起きている家族の皆に告げ、そして扉に張り紙を張った。
『トイレつまり中。しようきんし』と。子供にも読めるように。
一階がダメだと分かったのでじゃあと二階に行ったお義母さんも僕と等しい体験をしたようで、同様な感想を洩らした。「確かにあれはヤバいね」と。


聞くとお義母さんには思い当たる節があるという。それは姪っ子のハルの仕業によるものだろうと。
なんでも一週間ほど前。2歳になるハルはトイレットペーパーを必要以上に潤沢に引っ張り出し、そしてそれを水に浸し、その上で何の躊躇もなく水を思い切り流す遊びをしていたという。無論トイレットペーパーを千切ることなく。結果どうなるか。水は流れる。紙は吸い込まれる。カラカラと(笑)面白いからまた流す。躊躇は、無い。
問題は、それを幾度繰り返したかはハル本人にしか分からないことなのだ。
確実に、それが詰まっているに違いないと皆が確信する。


こういう展開になってくると必要なものはアレだ。キュッポンキュッポンだ。正式名は家族の誰も知らない。それで通じるからだ。だがそれは家には無いという。
今はいい。だが問題は明日の朝だ。小さい子供も居る。
ましてや僕などは朝食のあとすぐにところてんの様なものですぐ来てしまうのである。その時点では一刻の猶予も無い。
小ならまだしも。大では壮絶且つ悲惨なことになるのは必至だからだ。


しかし時は既に25時近い。近くのホームセンターなどとうの昔に閉まっている。うーむちょっと遠くの深夜営業のスーパーに行けば置いてあるかも知れない。うん。俺ちょっとひとっ走り行ってくるわ。いってらっしゃ〜い気をつけてね。
深夜30分かけて川越のマックスバリュまで走る。件のキュッポンキュッポンも無事すぐ見つかりついでにビールとおつまみを買って帰る。キュッポンキュッポンとビールとおつまみが一緒の袋に入っている光景もなかなか微笑ましいものだ。
で帰ってくると何ともうみんな寝静まっている。俺寒い中ひとっ走りしてきたッちゅうのに。でもまあしゃんない。26時近いもの。
まいいや。まずはビール飲もう。キュッポンキュッポンが手に入ったからにはもうこれで大丈夫とビールには利尿作用がある事などはすっかり忘れている。で当然暫くするとトイレに行きたくなる。まあさっきお義母さんの時も何とか持ち堪えたみたいだし、きっと大丈夫だろう。でまあ結果大丈夫だった。


ふーん。それにしても問題は何一つ解決していない。
そろそろ闘わねば。


腕まくりをした僕は、足を踏ん張り、作業に掛かる。キュッ・ポン。キュッ・ポン。だ。リズムが大事なのだ。いいぞ。キュッ・ポン。キュッ・ポン。だ。
キュッ・ポン。キュッ・ポン。だ。
キュッ・ポン。キュッ・ポン。です。


かれこれ30分ほど僕はその一連の作業を繰り返し、遂にダメだと確信した。
この寒いのに汗だくだ。腰も悲鳴を上げている。
だってよく考えたらさあ、一階も二階もダメなんだからさあ、詰まってる所は便器じゃないんだよ。絶対それより先の下水管が合流した後の配管のとこなんだよ。たぶん外のマンホールを開けて見てみやんことには何ともならないんだよ。などと僕はブツブツ独り言を口走る。かなり疲れている。家族の皆は安らかに寝静まっている。


弱ったぞ。
朝はもうすぐそこまで来ている。

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2008年7月21日 (月)

安息の場

扉を閉め、施錠する。


見つからないように僕は気配を殺し、そーっと、そーっと足音を忍ばせて扉の向こうに滑り込むのではあるが、ガチャリという扉の音に反応し目ざとく発見されてしまう。
発見されたが最後、扉を叩かれる。しかも、激しく。
無視していると一層激しくなる。ドアノブをガチャガチャと回され、電気はON-OFFを繰り返され、そして早く出て来なさい、そこで何をしてるんですか、などと扉の向こうで騒いでいる。
この様はまるで借金の取立てに来た暴力団の追い込みのようだ。僕の言い分などただの一言も言わせてくれない。まさに問答無用、である。

さらに扉越しに確認される。ウンコなのかシッコなのか。答えなさい。と。
この時、ウンコと答えたりなどした場合は扉の向こうは爆笑の嵐だ。その上さらに一層激しく追い立てられる始末である。これでは出るものも出ない。


我が家に僕の安息の場は、すでに無い。
それが愛されている証拠であるのは間違いないとは思うのではあるが。

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2008年3月15日 (土)

rhythm

渡ろうと思ったら点滅が始まった。
場所は名古屋市中区丸の内オフィス街のど真ん中。片側3車線の桜通。
時間帯は夜。サラリーマンの帰宅ラッシュのまっ最中だ。

ふと横を見る。同じ状況下に置かれたOLさん三人組のグループも嬌声を上げながら走りかけている。
前方には今まさに右折しようとせんタクシーの列。
大丈夫。余裕で間に合う。渡りきれる。こんなのは日常茶飯事だ。


と考えたところで気が少しゆるむ。
と同時に身体のある部分もゆるむ。

僕は駆けている。
横にはOL三人組。


「1、2、3、4」 とリズミカルな連続排気音を出力しながら僕は走る。
同時に視界の片隅にOLさん等の視線を僅かに感じる。


渡りきったところでそのまま僕は立ち止まることなく駆け抜けていったことはいうまでもない。

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2006年12月26日 (火)

暗闇での闘争

出発時間が早かったので途中車内で運転しながらコンビニで購入したサンドイッチと缶コーヒーという朝ごはんセットを食べたのである。


で現場に到着して一息つくと途端に来たのである。ところてんのようだ。
「ちょっと、行ってくるわ」とメンバーに声をかけてそそくさと約束の地に向かう。
しかし、約束の地はヤワじゃなかったのである。どこを探しても電灯のスイッチが無かったのだ。察するにまだ開店前で恐らく元から照明関係の電源が落ちていたのだと思われる。

仕方なく僕は携帯電話の待ち受け画面から発せられるか弱い明かりを頼りに一歩一歩、歩を進める。事態はかなりの切迫状況だ。一刻の猶予も許されない。衝動との闘争だ。
程なく何とか約束のドアに辿りつき、入室する。一番手前のその部屋は、あいにく和室(和式)であった。


もうあとは事を済ませるだけだから頼りの携帯を上着のポケットに仕舞う。ここまで来たら何とかなる筈だ。
手探りで四方の壁を触る。意外と広いぞ。ゆったり個室だ。さすが全国チェーンのショッピングモ-ルは一味違う。
上着を脱ぐ。邪魔になるからだ。こういうところはドアの上の方に引っ掛けるヤツがついている筈だ。で探す。あれ?ない。ないぞ。どこに上着引っ掛ければいいのよさ。で仕方なく床に置く(涙)

それにしても真っ暗だ。冗談抜きに何も見えない。
ズボンも脱ぐ。当然だ。事態は緊急を要している。限界がもう近い。
だがそこからが真の問題だったのだ。


全くの暗闇というものほど人間にとって不安なものは無い。
発作的なわけの分からない恐怖に見舞われた僕はさっきポケットに仕舞った携帯を探そうとする。上着を脱ぎ捨てた辺りに手を伸ばす。何故か空振る。真っ暗闇で距離感が全く鈍ってしまったようだ。そういえばここ意外と広かったんだ。
その上衝動は情け容赦なく僕を急襲する。携帯は諦める。だが失敗は断じて許されない。

でも何しろ何にも見えない真の闇の中にいるのだから目を開けてようが閉じてようが全く区別が無い。むしろ開けている方が何かが見えているような気がして混乱してくる。ならば目を閉じて感覚一本勝負だ。自分を信じるのだ。


僕の唯一の気がかりは、モノがちゃんと器に収まるかどうかであった。
真っ暗闇の中でその一連の作業を済ませたという経験は人生初のことであった。
飽くなき闘争心というか止むに止まれぬ衝動を抱えている時には人は思わぬ力を発揮するものなのだ。
いろんな意味で大きな仕事を終えた後、全ての時間的制約から解放された僕は携帯の明かりで最終確認をする。


結果は、若干のOBを除き良好だった。

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2006年12月20日 (水)

連続夢

ここのところ頻繁にというかほぼ毎夜みる夢がある。お漏らしをする夢だ。しかも小ではなく大である。

どうにもこうにも我慢できずというわけではなく、気がついたらモリッと出ていたという風である。生温かくもどこか妙に懐かしい感覚が目覚めてからしばらくの間続く。お尻の辺りに。まるで本当にお出ましになっているかのような気さえする。

先日の激しい水鉄砲状のものの原因が流行のノロにやられていたからなのかも知れないと思い始めてからのことである。

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2006年10月 7日 (土)

Imajine

この前のライブが終わってから立て続けに公私共に色んなことが連なり休む間もなく1週間が過ぎてしまった感がある。ライブからたった1週間しか経っていないのかと思うほど遠い昔の出来事のようだ。

それにしても一体何なんだろうこの速さは。以前にここで人生とはジェットコースターに後ろ向きに乗っているようなものだとさだまさしさんの言葉を引用した覚えがあるが今まさにそんな感じがする。猛烈な勢いで過去がどんどん過ぎ去っていく。今というこの瞬間を精一杯行き切っていかない限りいつまでも過去に囚われるだけの行き方に染まってしまう。

まあそれはさておき、どうにも体力というかなかんずく筋力の低下を感じてしまう今日この頃なのである。それというのもライブの翌々日から(翌日でないところがミソ)肩が張って張ってどうにもこうにも辛抱堪らなくなってしまったのであります。そうですなあ丁度ギターのストラップの掛かる左肩が特に。その部分がずーんと来る。
余談ですが意外とリッケンバッカーというギターは重いのです、ショートスケールというボディサイズの割に。肩というものは張りすぎると胸まで気持ち悪くなってきますし、こめかみの辺りもギリギリとやられているように感じてくるものです。

そうして問題の翌々日。仕事中に肩のずーんが突然ピンポイントでツキューンに切り替わり事態はもはや肩の張りを通り越えて首が回らなくなってしまうという段階まで進行、ついには業務に支障を来たし仕事を早引けして行き付けの整骨医に駆け込むという事態に至ったのであります。痛みとしては寝違えレベル。だからまあ大したものじゃないけど常に俯いて事務仕事をしているにはかなりきついものがあったわけです。胃のムカつきも更に倍化し集中力がズタズタになるわけです。


先生曰く「まあ一過性のものと思いますけどね」とのことだったが、そうではないと自覚はしてます。一言で言ってしまうと運動不足なんですな。流石に先生はあからさまにそんなことは患者に言いはしませんがでも暗に匂わせてはくれました。
以前工場勤務だった時は比較的身体を動かしていたからここまで筋力の衰えを感じることはありませんでしたが、今の部署に移ってからこの方約一年半、運動らしい運動を日常的にすっかりしなくなっているのは紛れもない事実なのであります。


「まあ想像してみて下さいよ。このままずっとこの調子で生きて行くとしてですよ。仕事も生活態度もそのまんま。で5年後どうなりますか?」と先生。
「んー、ちょっとヤバいかも知れませんね」と僕。
「ちょっと?じゃあ10年後は?」
「・・・かなりヤバいと思います」
「でしょ。何かしないと」

仕事で身体を壊すことほど悲しいことはない。何故なら職場というものは基本的に冷たいものだからだ。
一生懸命仕事して例えばそれで心身の病気になったりしても今の社会では最終的には自己責任を問われるだけだ。
元はと言えば健康に生きる為の手段としての仕事である筈なのに。まあその代償として賃金を頂戴しているわけだから業務中の勝手なことは許されないけれど健康管理はやっぱり自己責任。
事務系の部署に配置転換させられたから運動不足がたたって不健康になりましたといっても所詮負け犬の遠吠えでしかないからなあ。


ということで。
ライブの時2ステージどころか3ステージ演っても全然平気だったあの頃(といっても2年ほど前のことだが)の状態にまでは少なくとも戻る努力をしなければ。とりあえず。このまま行ったら今後は1ステージで早々と逝ってしまうのは目に見えていますので。
未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ ですもんで。

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2006年8月18日 (金)

イナバウアー

うちは毎週月曜と木曜にゴミを出す。
しかし毎回毎回これが結構な重量になる。桑名市指定の半透明の青いゴミ袋がパンパンになる。いったい我が家は何をそんなに捨てているのか。

それはオムツである。布ではなく紙である。育ち盛りのもうじき3歳になる双子の排出するオムツの量たるやそれはそれは凄いのである。


普通の家庭では奥さんが子供のオムツを替えることが多いと思う。
我が家の場合はぼくが家に居る限りできるだけその担当を買って出ている。つもりである。
なんせ奥さんは24時間子供と一緒に居るのだから家にいる間くらいはぼくが替えてあげないと。現実的に炊事や家事の合間のオムツ交換は大変なのであるからして。


でぼくは知らぬ間に上手くなる。オムツを替えることが。全国お父さんオムツ替え選手権に出場したら上位に食い込む自信がある。
その丁寧さ、拭き取りの速さ&正確さ、ギャザー部の状態そして仕上がりの美しさ等々。全てにおいてパーフェクトに近いと自負している。ここまで来るともはやプロ級である。
子供も子供でプロ級のぼくにオムツを交換して貰うのは結構嬉しいみたいである。片手にオムツを用意し「パパうんち出たよ」と申告してからごろんと仰向けになる。


紙オムツにコビリ付いたうんちはトイレに流さなければならない。そうでないと大変なことになるし、時期的にも今はヤバイ状態になる。
この時カチカチ&コロコロなら楽であるがそうでない場合は結構骨が折れる。手にも付着する。
愛情が無ければ決して出来ない行為である。冗談抜きにぼくはそれを汚いと思ったことが無い。ああ父親してるなと実感するひとときである。


最近は子供も要領をしっかり得ており、パンツ・タイプの紙オムツを腰まで引き上げる時などにはあらよっと腰を浮かせるようになった。
どこで覚えたか知らないが「イナバウアー」などと言いながら。

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2006年8月 3日 (木)

記憶

あることに気付いた。
特定の時点における僕の記憶が欠落しているのだ。


それは小学校高学年から中学校の間の数年間の修学旅行や遠足へ行った記憶だ。
いつ何処へ行ったのか、誰が周りに居たのか、どんな所へ泊まったのか、全く覚えていない。
その時に撮った集合写真は間違いなく存在しており、だからその場に僕が居たことは事実だ。
だがその部分だけの記憶がきれいさっぱり切り取られている。思い出そうとすればするほどどんどん深みに嵌っていくような感じがする。

どんな理由によるものなのだろう。ボケだろうか。
それとも何か集団旅行に対してトラウマになる事件的なものがあったのだろうか。そんな覚えは何もないが。


そんな楽しいはずの記憶がないのは非常に残念といわざるを得ない。
何とか思い出してみたい。

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2006年7月 1日 (土)

危機一髪

カラランッ と空回りする。
辛うじて、僕は間に合ったようだ。


次の人が困るといけないから用意しようとする。とそこに血相を変えて飛び込んでくる人がいる。僕が「あ」という間もなくその人は問題の場所へ姿を消していってしまった。

なす術もなく僕は硬直してしまう。
程なく軽快なサウンドが聴こえてくる。「PSPSPP」そして「BRBRBBR」。
その後彼のかすかな溜息が。「Fu...m」


どうにも居たたまれなくなった僕はその場をあとにしようかどうしようか激しく逡巡する。

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2006年4月23日 (日)

病は気から

医学書にも載っているらしい。


先日僕は脳のMRI検査を受けた。
で僕を襲った一連の身体の異変の診断結果は、予想を裏切り原因不明であった。
神経内科の先生(歳の頃は僕より少し下くらいの若くてキリッとしていて男の僕でも思わず抱いてと漏らしてしまいそうなナイスガイだった)は苦渋の表情を浮かべていた。

あえて考えられる原因としてはやはりストレスから来る自律神経の変調ではないでしょうか とのこと。
自分的にはこう見えて結構ストレスには強いと考えているのではあるが、こうして予期せぬ身体の異常として現れて来たとなると少々心配ではある。
「精神的なものが原因だとすると何が起こっても不思議は無いですからね。どんな事でも起こり得ます」とナイスガイ。ああそんな目で見つめないで。
ストレスの無い社会も仕事も今の世の中あり得ないと僕は思っているのでまあそれは仕方がない。要はそれとどう付き合っていくかによるわけだ。

「正直、原因不明なんですよね…」と繰り返すナイスガイ。ああ困らしちゃってる何とかしてあげなきゃ。
だから僕のほうから助け舟を出した。今のところ症状は治まっている、だから今後も継続して再発するようならまたお伺いさせていただきます、と。あかん。このままいくと惚れてしまいそうだ。
「ああそうですね!そうしていただけますか」と肩の荷が下りたような明るい感じに一変するナイスガイ。むーん抱いて。

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2006年4月17日 (月)

妻と同苦

「これをどうぞ」と重量感のあるヘッドホンを耳にあてがわれる。
決して大きくもなくさりとて小さくもない(要は程々の)ヴォリュームで遠くにショパン(だと思う)のピアノ曲が聴こえてくる。


しかしでも何故このショパンよく聴くとモノラルなのだろう。今どき普通ステレオでしょう。
しかもパンが若干右にずれている。モノラルならモノラルらしくど真ん中から聴こえて欲しい。気持ち悪いではないか。
若しくはそれとも僕の聴覚に何か問題があるのだろうか とも思う。なるほど確かに今の僕を取り巻くこのシチュエーションを客観的に見るとそれが聴覚に影響を与えていると取れなくもない。

「20分から25分くらいで済みます。ですから動かないで下さいね」と彼女は言う。僕は頷く。
「もし気分が悪くなったり耐えられなくなったらこれを」とコードの繋がった餃子大の物を渡し、とっとと彼女は部屋から出て行ってしまう。
今やもう残されたのは僕一人だ。お世辞にも居心地の良くない無機質なこの狭い部屋に。

暫くするとガクンと振動があり大掛かりな機械の中に僕は飲み込まれていく。
むむ何か嫌だぞこの空間は。
一瞬、閉所恐怖症に陥りそうな切迫感を覚える。全身に緊張が走り無意識に身体が強張ることがわかる。


かなり以前、妻が今の僕と同じ経験をしたことがある。
妻の場合、僕と違う部位がターゲットであった故なのかは分からないがその所要時間何と1時間半。しかもヘッドホン無し。その時妻が支給されたものは一つまみの綿のみ であったそうだ。

今回帰宅後「わりかしキツかった」と報告する僕に対し妻は「そんなん私に比べたら恵まれすぎだわ」と言ったのも頷ける。
以前その時に部屋に入る前の時点での妻は、まだ元気だった。というか普通だった。じゃね みたいな感じでスタスタと部屋に入っていったものだ。
しかし1時間半後にそれを終えてその部屋から出てくる時、妻は貞子のようにガックリと首をうな垂れて出てきたのだ。しかも車椅子に乗って。
暫くの間何を訊いてもただ首を振るだけであった。一体1時間半のうちに何がここまで妻を変えてしまったというのだ。
廊下で待っている間に、僕ですら壁越しに聞こえて来る得体の知れないその轟音に少なからず打ちのめされていたのではあるが、部屋の中でその機械にかけられている妻のダメージたるや想像を絶するものであったに違いない。

僕はその時の余りにもショッキングな光景が強烈な印象として脳裏に焼きついており、だから今回僕は怖ろしさ半分そして期待半分 であった。怖いもの見たさ のようなものである。


そしてそのシンフォニーは何のイントロもなく突然始まった。


ガビガビー。ブイブイブイー。

カッカッカッカッカッ。
ビッビッビッビッビッ。
カッカッカッ。
ビッビッビッ。
カッカッ。ビッビッ。

…。

ビビー。

ビッ。ビビッ。
ブビビー。ブー。ブブー。
ブブー。ブビビビー。

(以下繰り返し)


背中が痒い。
ヘッドホンがずれてくる。
しかし何なのだこのヘッドホン越しに聞こえて来るこの大音量の耳障りなノイズは。麗しいショパンの旋律などとうの昔に何も聴こえなくなっているぞ。こんなことなら中途半端なモノラル音楽など無い方がましなのではないか。
今の時点でもう何分経ったのだろう。あまりに凄い轟音を聞いていると時間の感覚が薄れてくる。何も考えることが出来なくなってくる。まあ今の場合努めて何も考えない方がもしくは適正な結果となるのかもしれないが。
でももしこのままヘッドホンが僕の耳から外れてしまったら僕は妻と同じように車椅子送りになるのだろうか。
ああ、頭も痒くなってきた。


気が付くと僕はその大音量にも関わらずウトウトしかかっていたようだ。その昔学生時代に寝ながらヘッドホンで超大音量のHR/HMを聴きまくっていた免疫か。
で再びガクンと振動があり僕は機械から吐き出される。
「お疲れ様でした。大丈夫ですか?」と彼女は訊く。
少しクラクラしたが「まあ…何とか」と僕は答える。


それにしても妻は、綿を詰めただけの耳栓で一時間半もよく耐えたものだ。
だが後で聞いた話ではその時途中妻は何度か餃子みたいなものを握り締めて助けを求めたらしい。もはやこれまでと。辛抱堪らぬと。
するとインターホン越しにこう答えられたそうなのである。
「ああ、ここまで来たらあともう少しですから頑張りましょうね」 と。
そりゃ確かにその通りかも知れない。
だが妻は比較的我慢強い性質なのだ。それは僕なんかよりずっと、ずっと。
そして何より妻は、常人とは違う繊細な耳を持っているのだ。

その妻がもう限界 と握った餃子なのである。
その時点で普通の人ならとうの昔に限界を超えているレベルだと担当者は判断すべきであった。
その結果車椅子 である。


妻よ、よく頑張ったね。
同じ経験をして、その時に受けたダメージを僕も幾ばくか、やっと理解することが出来たよ。


Magnetic Resonance Imaging
→強磁場が人体に与える影響についてはまだ未知の部分がある。

えーと……ん??

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2006年4月14日 (金)

末期状態か

一服のために定期的に外に出る。気分転換も兼ねている。
ポケットには携帯を入れていく。メールチェックとかオフィスでは出来ないプライベートな急用の電話をしたり。理由は色々ある。


今日、エレベーターを降りてすぐ携帯の待ち受け画面を覗いたら新着メールがひとつあった。
で内容を読もうとしたその刹那、着信が入った。妻からである。タイミングとしてはバッチリだ。仕事中はサイレントにしているので着信があっても気付かないことが多いからである。

話の内容は一昨日チビに落とされて壊れた炊飯器の代替品の仕様についての相談であった。我が家の切迫した家計との兼ね合いもある訳である。
電話口で僕は自分の意見や考えを述べ、そして最終的な判断は妻に一任した。それまでの通話時間、およそ5分弱。
ああもう事務所に戻らなきゃ。あいついっぺん煙草吸いにいくとなかなか戻って来ん などと上司に思われてはたまらない。そうでなくても煙草吸いの肩身がどんどん狭くなってきているというのに。
ああ早くメールチェックもしなきゃ と妻と話しながら考える。もう電話切り上げてもいいかな。俺、今仕事抜け出して煙草吸いに来てるだけなんだ。まあいいや。メールの内容だけ確認して戻ろう。
でズボンのポケットをまさぐる。あれ?携帯がない。さっきエレベーター出たときは間違いなく手に持っていたのに。
妻と話しながら片手で身体のあちこちのポケットを探して回る。ない、ないぞ。俺携帯落としたか?
エレベーターホールの方を覗いてみる。落ちてない。
まさか。エレベーターを降りる時にポロッとポケットから滑り出しその僅かな隙間から落としてしまったか。となるともう取り返しが付かないぞ。
そうこうするうちに携帯のことが気になって妻との会話も心ここにあらず状態になってくる。

・・・ない。
俺、携帯落とした。


その時気付く。
携帯で今俺喋っている。

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2006年3月24日 (金)

約束

「今度、必ず家族連れて来ますから」

僕はお店のお母さんに声をかけた。申し訳なさが手伝っていることも勿論あるが、しかし何より偶然出会ったこのお店の佇まいというか空気に僕は懐かしいものに出会ったような気持ちにすらなっていたのであった。
今のところ店内は閑散としているが何しろこれから昼時を迎える時間帯だ。こんな訳の分からない人間の相手をしているほど暇じゃないようだ。
「ああ、はいよ」と素っ気無く母さんは答える。
「ありがとうございました。今日は時間がないので申し訳ないですけど、必ず、来ます」僕の言葉にもう返事はなかった。


ほんの5分前。僕はバス停に立っていた。
風雨に晒されたポールに取り付けられている時刻表を見る。あと7〜8分でバスが来る。それを逃すと次は30分後になる。

実はバス停に向かい歩いている時から、前兆はあった。
だがまだその時は気にならない程の軽さであった。
しかし今は違う。

既に第3波、いや4波若しくは5波か。正確には分からない。
何れにせよ紛れもなく最早時既に遅し という段階に差し掛かっていることを僕は悟る。限界が、近いのである。

例えばもし仮に、このままバスに乗ったとする。
想像力を働かせるまでもなく、まさにそれは最悪の状況だ。
座席でもんどり打って「すいませんお願いです停めて下さい」と僕は泣きながら運転手さんに訴えるであろうことは想像に難くない。


どうする。

とにかくまずは出直した上で態勢を整え次のバスにするか。
だが時間的余裕はない。それでは約束の時間に大きく遅れてしまう。
ならば玉砕覚悟で乗り込むか。だがそれは経験上余りにも危険極まる行為だ。何故なら僕の乗るバスは高速バスであり、一度高速に入ったら目的地まではノンストップだからである。となると最悪の状況よりもっと最悪の事態になりかねない。


左右を見る。目の前には片側二車線の道路を挟んでガソリンスタンドがある。そこまでダッシュするか。車の間をかいくぐって。
しかし今の僕に走ることは余りにも危険だ。ここまで来ると一瞬の弛みも許されないからだ。気の緩みも、筋肉の弛みも。断じて許されないのだ。

草むら…?
一瞬誘惑に駆られる。しかしすぐに却下する。
夜ならまだしも今は真昼間だ。しかも現在スーツ着用だ。
まあ、深夜だろうが何だろうがそれは許されざる行為であることは違いないのであるが。

そして閃いたかのように僕は後ろを振り返る。
うどん屋が其処に厳として在った。

よく考えたらここにうどん屋があることを僕は知っていた。しかしいつもは朝早くにこのバス停に立つのでシャッターが閉まっている光景しか目にしていなかったのだ。
そのうどん屋が、開いていた。


晴れやかな気持ちで後ろ手に引き戸を閉めたところに丁度、バスが、来た。

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2006年3月 7日 (火)

開放感

日中は車内の冷房を点けようかと思うほどである。

こんな時は一瞬気を許しそうになってしまう。
だが朝晩は結構冷え込むのである。油断するとしっぺ返しを食らってしまうものだ。
去年の僕は、ゴールデンウィークまで継続した。今年も例年通りとするつもりである。


というよりもはや習慣化し、体の一部になってしまっている感がある。


夜、ちょっと家を出る時。
思い切ってそれ無しで出掛けてみる。
スースーするなあ。

ズボン下がないということはこんなに開放感があったのだなあ。

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2006年1月22日 (日)

原因は怪力

どうも視力が落ちたような気がするのである。


疲れが蓄積しているのだろうか。目に。
いわゆる眼精疲労である。

考えてみると昨年3月に部署が変わってからこの方一日中パソコンのモニターを見つめていなければならなくなった。
冗談抜きに仕事している間殆ど一日中睨めっこなのである。モニター君と。
だからなるべくモニターから目を離す様に気をつけてはいるが、なにぶん入力や確認に神経を使わざるを得ないのでどうしても目が疲れる。
そして約10ヶ月。1年前に替えた眼鏡では追い付かなくなって来ているほどの視力の低下を感じてしまう。
奥さんはそりゃ老眼だよと最近その辺に神経質になってきている僕に言ってはならぬ台詞を言う。んなバカな。まさか。


会社帰りにマイカル桑名のキクチに寄る。視力を測ってもらうためである。
僕はずっとここで継続してメガネを買っているから過去のデータの蓄積もある。
この際、徹底的に現状把握比較検証しなければ気が済まないのである。

事情を話す。
どうもピントが合わないんです。本が読みづらく感じるんです。
そうですか、じゃあ一通り測ってみましょう。
で測定して貰う。念入りに。たっぷり30分ほど時間をかけて。
で結果。

一年前と変化なし。
僕は左眼の乱視が結構きついのであるが、それも変わっていないとのこと。

・・・。
いや・・・そんな筈ないんです。おかしいですね?何かが。だって現に見えづらいんですもん。
うーん と思いながらも科学的測定結果をとりあえずは飲み込む。


すると閉店間際に30分もかけて正確に測定してくれた店員の女性に対して何だか途端に申し訳ない気持ちになってきた。
明らかに視力が低下しているならそれはお店側にとっても商売にもなるだろうからやった甲斐があるようなものだし、僕だって何らかの対策を立てる事も出来る。
それが変化無しという結果である。
双方共に何となく、気まずい雰囲気になる。これではまるで僕が変な言いがかりをつけているようだ。

結論として、それは視力低下ではなく疲れ目で見えにくくなっている様に感じるのでは?とのこと。
気のせいってことか。うーむ。
でもまあ結果は結果。仕方ない。

折角だから少しゆがんだフレームを直してもらおう。結構子供にいじられているからなあ。
こないだなんかこんなんになっちゃったんですよ、急いでたから自力で無理矢理直したんですけどね と店員さんに教える。
megane


子供は、意外と怪力なのである。
それは、普通ではありえないもはや眼鏡と呼べない物体を目の当たりにした朝であった。


「あははっ!それは大変」と店員さんは厭な顔ひとつせず直して下さった。
閉店間際なのに訳の分からない勘違いもはなはだしい客を相手にこんな儲からない仕事を押し付けてしまって申し訳ありません。本当にありがとうございます。

でゆがみを直して貰った眼鏡を受け取る。
そしてそれをかけた刹那、僕はあることに気付いたのである。


よく見えるのだ。
「あの・・・気のせいかもしれないですけど・・・よく見えるんですけど・・・?」


その瞬間二人の間で殆ど同時に僕の訴える症状の原因が炸裂した。

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2006年1月21日 (土)

解決

先日書いた記事の原因が判明する。
自分では思い当たる節がなかったのだが、よくよく思んみればあった。原因が。


まず、朝:
血糖値を無理矢理上げるためにコーヒーに3gのスティックシュガーを2本入れる。言い訳がましいが。何を隠そう僕は甘党なのである。
その後10時:
小腹が空く。でキットカットやハッピーターンの類のものをパクつく。
昼食の後:
二杯目のコーヒーを飲む。習慣的にまた2本。ドバッと入れる。
15時:
10時に同ず。調子が良いともう一杯コーヒー。すでに3杯目。懲りずにまた2本。
18時以降:
ちょっと残業するとバスに乗って帰宅するまであと二時間ほどかかる。小腹でなく大腹が空く。何か入れなきゃな。で再びハッピーターン。


と奥さんにこれを話したところ「そりゃダメだ」と斬られる。問答無用。バッサリと。成敗される。


どう考えても腹筋より先にここらへんを改善しなくちゃなるまい。

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2006年1月 6日 (金)

放置危険

「放っとくとこうなるか?」と僕は聞く。
「ああ、なるね。確実に」と妻は答える。

「何ヶ月目か?」と僕は聞く。
「4ヶ月だね」と妻は答える。

「どうしたらいいか?」と僕は聞く。
「腹筋だね」と妻は答える。


これだけは何としても避けなければならぬ。

tskr


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2006年1月 4日 (水)

80歳代

正月に遊びに行ったたけすん家で使用した任天堂DSの「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」により算出された僕の脳年齢。


何故に80歳代となったか。
理由は、ある。
それは機械の操作に慣れていないからだ。
回数を重ね、慣れればきっと、若くなるに違いない。
真剣に心から僕は、そう信じている。


しかし気になる点がある。

同じ日に初めてそれをやった奥さんは抜群の成績を叩き出したのだ。
この矛盾した事実を合理的に説明する術を僕は知らない。


ds

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2005年11月23日 (水)

祈りは叶う

猛スピードで車を走らせる。
もはやこれまでと何度も思う。限界が近いことを確信する。


僕は、祈る。
ただひたすら祈る。それしかすることは思いつかない。
今やこれは、全生命を懸けた戦いだ。
沸々と湧き上がる想像する限り最悪のマイナスイメージを全力で払拭する。
すると段々頭の中が真っ白になってくる。
何も見えない。何も聞こえない。桜木ビジョンのようだ。
一秒一秒を精一杯生きているという実感がある。
切羽詰っているにも関わらず、切ないほど、この一秒をいとおしくまたもどかしく思う自分がいる。


全てを放り出し血走った眼のまま僕は飛び込む。
限界ギリギリ間一髪で間に合う。


流し終えた後に、ようやくふと僕は気付く。
必死の祈りは、必ず叶うのだと。

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2005年11月 7日 (月)

前夜

ちょうど会社を出たところに妻から電話がかかってくる。

情報を聞く。答えは『12時間前』だった。
だがそれ以上に追加の重大な情報があるという。
「それはエライことか?」と僕は訊く。
「かなりエライことだよ」妻は答える。


僕の人生二度目の出来事が、明日ある。一大イベントだ。
一度目は、初めてその権利を得た3年前に行なった。
それに備えて今日は早く休むことにする。当然、仕事も休む。
まあそれは僕の都合だけだからどうでも良いけれど。


今日、仕事中に職場を抜け出し家にいる妻に電話した。
今のうちに確認しておかなければならないことがあったからだ。
忙しさにかまけてロクに資料を確認せずにイベントの前日を迎えてしまったのである。
子供が悪戯するといけないと思い冷蔵庫の上に僕はその袋をを置きっぱなしにしていたのだ。

僕の知りたい情報はただひとつであった。
「今夜は何時から断食をしなければならないのか」
それが『12時間前』だった。逆算すると時間的には21時以降断食である。
別に僕はイスラム系のラマダンを実践しているわけではない。
ただこのイベントに断食はつきものなのだ。

しかし追加の情報は僕に衝撃を与えた。確かにエライことだった。
まさか今朝の分まで採らなければならなかったとは。


注意事項にはこうあった。
『当日の朝の分と、前日(前々日でも可)の二日分のものを持参して来て下さい。前日採取したものは冷所に保存して下さい』 と。
「二日法」というものがあるとは想像だにしていなかった。迂闊であった。
てっきり、当日の朝の分で事足りると高を括っていたのだ。
これこそまさに後悔先に立たず である。

どうするのだ。
子供のもので誤魔化すか。アホな。
言い訳としては幾らでもある。出張に行っていて採取できなかったとすれば良い。
しかしちょっと待て。『前日』であれば良いとあるぞ。
ということは極端な話前日であれば23時59分のものでも良いわけだ。
いや待てそれよりこれはあくまで自己申告によるものだ。となると当日朝の分を二つに割り振っても何ら問題は無いのかも知れぬ。
いや待て待てそれではまるで本末転倒だ。数字合わせの問題回避に過ぎぬ。そんなんでまともな数値が出るはずが無い。
もはや今朝のものはもう今更取り戻せない。だとすれば今この瞬間からが勝負である。
やはり今からなるべく早い時間に頑張るしかないのだ。
前日分を、採るのだ。


僕は元来緩い方だ。
しかしその気配すらない時にどうやってそれに及ぶことが出来ようか。

お茶を飲む。効果なし。
叩いてみたりする。効果なし。
でハタと気づく。牛乳だ。通常これが僕には最も即効性のあるものなのだ。
早速、試す。しかし効果なし。
こればかりは直ぐにどうなるものではない。
当たり前である。
普通こんな変な時間に自主的に何をどうこうしようと思っても到底無理なものは無理な話である。


だが。やっとのことで。
出る気配のない時でも僕は結果を叩き出すことが出来た。
いや、搾り出したというべきか。
達成感は、まるでない。

後はまあ、明日を迎えるだけである。

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2005年10月28日 (金)

健康的生活

前の日の晩から何だかおかしかった。
寒気がしていたのだ。

風呂上りにどうしても出かけなければならない用事があり、文句を垂れたくなる自分を抑え(経験上こういう場合文句を垂れると物事は大にして良くない方向に流れていってしまう)、気を引き締め出かけた。
後悔先に立たずとはいえ、もう1枚着込んで行けば良かった。初秋の晩の寒気を嘗めていたのだ。

翌朝、いかんともしがたい怠さと身体の節々痛みと共に目覚める。
熱が出ている確信あり。
測ってみる。38.5度。こうなったらもう無条件である。休もう。


実は子供達も二日ほど前から風邪で熱を出している。
ここのところ忙しくて、一日に2時間程しか子供の相手が出来ていない。
まあ伝染るとしても僕よりは24時間一緒にいる奥さんのほうが先だろう と高を括っていたのだが、結果はこの通りである。
こういうところで免疫力というか生命力の差が出てくるのであろう。

ともあれ、仕事を一日休んだ。
こうなったら一日中寝ていてやろう と思う。
医者に行けば?という説もあるが、素人による自己診断した結果これはウィルス性のものではなく「単なる風邪」である為寝ていれば治るという確信のもとのこと(結果はその通りであった)。

子供達はパパより高熱を出しているにもかかわらず元気である。
若干普段より大人しいくらいなのである。
なんなんだ。この差は。やっぱり生命力か。


そうして一日が終わろうとしていた時に、ふと気づく。
僕の場合大体が熱が出ても食欲が無くなるということはまず無いからままよく食べた。
またよく寝た。
快食快眠である。あー出るのだけはちと滞っていたが。
それよりも、そういえば今日一日煙草の本数が異様に少なかったぞ。


考えてみれば不健康な時にこそ健康的な生活が出来るというのもおかしな話である。

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2005年10月24日 (月)

あるだけ幸せ

窓に映った自分の顔(というか頭)を見てしまってからというのも気になって気になって仕方なかった。
ピロッとなっているのである。

右側頭部から襟首にかけての部分である。
寝ぐせを直す時間が充分に取れなかったのである。
一応は、直したのである。
だが乾燥すると共に元通りに戻ってしまったようである。
経験上こうなってしまったらもう今日は駄目である。
気分ってホントに髪次第 である。
昨夜の因果律を思い出す。俺何やってんだ。夜更かしするからだ。


僕の席の隣は昨年定年を迎えた方である。嘱託で残って下さっておられるのである。
あまり大きな声ではいえないが、少々来ているのである。
別の支店におられる営業の方も今年定年を迎え、そして同じように嘱託で残って下さっている。
そしてまた同じように、この方も来ているのである。ただしこちらは少々ではなくモロである。

その営業の方から電話を受ける。そして隣の御大に取り次ぐ。
こういう場合開口一番「代わりました」とか言うのが普通である。
だが隣の方は「ハゲました」と言って受話器を取るのである。誰に言うでもなく。ごく自然に。
そしてそのまま会話に入っていく。受話器の向こうでウケている気配もない。
非常に枯れた、味わい深いシーンである。


ことあるごとに隣の御大は僕に教えてくれるのである。
寝ぐせが出来るほどの量があるというのは幸せな事なのだ と。

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2005年10月11日 (火)

タモリさんのお陰

あまり出口が強くない僕はしょっちゅう切れていた。
野太いのをしたあと拭くと大抵血がついている。

ある時テレビでタモリさんが「そもそも拭くって行為自体が自然に反してるっちゃー反してるんだよ。そのままにしておくか流すのが一番いいんだよ」と言っていた。
そのままにしておくってのは原始人じゃあるまいしどうかと思うが流すのはなるほどある意味その通りだと心から感服した僕は一度試してみようと決意した。ウォシュレットを。

それを初めて体験したのは結構遅く、35歳の夏だった。お尻が酸っぱい感じのするそれはひと夏の経験だった。
自宅には無いけれどそれはちゃんと奥さんの実家には設置されていた。でも使わなかった。
僕は結構、保守的なところもあるのだ。この場合に何を保守しているかはさておき。
まあ、使わなくても別段困らないし生きていけると思っていたから というのが大きな理由ではある。
もし万が一の時いざとなれば大黒堂とか松油があるし。対症療法でいこうと。


で初めて使った時はそれはそれは強烈なカルチャーショックでした。
図らずも「おっ おおおっ おおっ お」 と声が出ました。
嫁が入院していた病院の職員用のトイレでのことです。
だってそこは普段限られた人以外誰も使わないから滅多に人の出入りが無く気兼ねなく大きい方が出来るんですもの。
それまでそこを使う時に手元に温度やら水流やらのスイッチがあるのは知っていました。気にはなっていたんです。でも使う勇気が出なかったんですね。
でも微笑むタモリさんに背中を優しく押されたような気がして遂に僕は一線を越えることが出来たのです。


その日以来ウォシュレットの無い洋式便座に物足りなさを感じてしまう僕がいます。
ただ悲しいかな自宅には経済的な理由により設置するには至っていないことが残念極まりないです。
その反動か奥さんの実家に行った時はここぞとばかりに使いまくっています。必要以上に。


紙で拭く代わりに水で流すわけだから紙の節約になりそれはエコだと聞く。
しかし僕の場合そうでない場合に比しても紙は同等の量を使う。
まずウォシュレットの場合便器に引っ付かないように一枚、仮拭きに一枚、仕上げに一枚、便座に飛んだのを拭くのに一枚。占めて四枚。(単位補足:約30cmで一枚)
紙拭きの場合でも同じ枚数を僕は使う。それは物心ついたときから決まっていることなのだ。変えようが無いのだ。
そう考えると水代がオプションとして付加されているわけだから僕の場合決してエコではない。

何を書いているんだろう?


何を言いたいのだろう。
一つだけハッキリ言えることは今の健康な僕の出口があるのはタモリさんのお陰だということでしょうか。

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2005年10月 2日 (日)

正直、きてます

丸一日以上かかった。


これは無理にでもそうしないとダメなのだそうだ。
そうしなければどんどんどんどん失われていくのだと。


いつもなら早々にヒントを貰いそれで何でもなかったかのように済ませてしまいそんなことを気にもしないようにさっさと忘れるようにする。
でも今回は違っていた。理由は特に無い。
村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を読んでいることも特には関係しない。というか全然関係ない。
でもどうしても今回は譲れなかったのだ。最近連敗続きだったことも大きな理由ではある。
でも今回は。ノーヒントでいきたかった。


でも結局24時間以上も結果を出すことが出来ず遂に僕はヒントを少しだけ貰うに至ってしまった。
しょうがない と自分に言い聞かせる。これ以上はどれだけ絞り上げてももう何も出てこない確信があった。
でもすぐわかるようなのはやめてよね。僕にもプライドってものがあるんだ。

やれやれ といった感じで妻は「愛知県にその市があった筈だよ」とこれまた微妙なでもいい線行ってる手がかりをくれた。
それでえーと・・・?
何だって??愛知県・・・???

愛知県ってーと近い所で津島か?岩倉?んー犬山?高山?あれ高山って岐阜じゃなかったっけ。・・・そうか犬山か。そんな気もする。その線であたってみようかな。
えー?でもそうなんか??
でも違うな。うん、絶対違うと思う。
もしかしてもっと東の方かな。豊田、豊橋、豊川 ・・・豊川?

豊川。

そうだ豊川だ。間違いない。豊川・・・トヨカワ・・・何だったけ??


結果僕は答えに行き当たることが出来た。若干の助け舟を得てのことではあったが。
でもちょっと前の僕にしてみれば大いなる進歩だ。この調子で少しずつでも元の感じを取り戻していきたい。


妻とあるドラマを見ていてふとした会話を交わしたのだ。
「この人ってさあ・・・イメージ的に日本でいうあの人だよね?・・・ほら昔・・・青い鳥に出てた」
「あー、んー?そうかもね。で誰?」
「んー・・・。あの人。 あの・・・アレ?」
「また始まった。さあ思い出して」
「ちょっと待って絶対に思い出す。確か・・・そうだ丸の内なんとかじゃなかったっけ?」
「なにそれ」
そんな感じなのだ。いつも。


健康がテーマの何かの番組を妻が観ていて、番組中そこではこうあったそうだ。
『人が物忘れをする時は無理をしてでも思い出さないとどんどんその部分の脳細胞が失われてしまっていくのだ』と。
いわれてみると実に怖い話である。

僕は、実を言うと最近やたらとそういう傾向がある。勿論それは好ましい状況ではないことは解っている。
でも自分でもどうしようもないくらい思い出せないことが余りにも多くなって来ているような気がするのだ。
人の名前など特にそうだ。近しい友人でもない限りかなり僕の記憶はヤバくなってきているという実感がある。これは本当に怖いことだ。
顔は浮かんでいるのだ。鮮明に目の前に。細部まで。その表情は今にも動き出すかのようにリアルだ。

でも。
どうしても名前が浮かんでこないのだ。


どうしてなんだろう。本当に自分で納得が行かない。
少し前(それは本当に少し前のことなのだ)までは、そんな人(主にオジサン)の姿を見ると僕は内心ほくそ笑んでいた。
プフフッ何て情けないんだろう あ~あ歳だけはとりたくないな と。

そして今。
まさに僕がその向こう側の立場に立っていることを実感する時が本当に来ようとは。
正直、ヤバイ。


でその番組で言われていたこと。
冒頭に戻ります。

『これは無理にでもそうしないとダメなのだ。そうしなければその部分の脳細胞はどんどんどんどん失われていくのだ』

・・・。

だから僕は頑張ったさ。
24時間以上頑張ったさ。
でも思い出せなかった。だからヒントを貰った。でもそれからも実に30分以上考えたさ。
津島岩倉犬山高山豊田豊橋。
そして豊川さ。

「豊川悦司だ!!そうだトヨエツだ!!!」
実に気持ち良い音を立ててスポーンと頭の中で何かの栓が抜けたような気がした。

ようしまだまだ僕は大丈夫だ。
この調子でどんどん脳細胞を活性化していかなくては。


ということを考えている時点でもう既にかなりヤバい段階に入っているのかもしれないような気もするが(笑)

gs
・・・
te

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2005年9月19日 (月)

犬と弟

二つ違いの弟と僕は毎朝一緒に登校していた。
とは言え二人きりでそうしていたわけではなく、分団登校という形である。

僕と弟の所属する分団ではその前の年までは上級生が班長をしていたのだが、僕が進級すると同時に彼は卒業して行き、結果その次に最年長であった僕が自動的に次期の班長となった。いわゆる世襲制(?)である。
それは僕が班長になって間もない頃のある朝の話。小学五年の時。

確かうちの班員数は僕等兄弟を含め10人に満たない数だったと記憶している。
我が家の目の前の小さな公園が毎朝の集合場所であった。
公園の入り口には、何と言うか、鉄のパイプで出来た円形のゲートのようなものがあった。
普通はそこをグルッと回り込んで公園に入場する。しかし僕らの様な高学年になるとそんな回りくどい事はせずパイプに片手をかけてヒョイっと飛び越えていく。そしてまたそれこそが高学年の高学年たる証のようなものでもあった。上手く説明できないが。
もし仮にそれを低学年でも出来たとしても、それをしてしまったが最後余程上手く立ち回り切り抜けない限りそれはハバちょやイジメの対象になってしまうような行為である。


その朝僕達はいつものように公園で班が完成するのを待っていた。
その日弟は僕より少し家を出るのが遅れ、弟待ちの状況が出来上がっていた。
程なくランドセルを背負い込んだ弟が元気に家から飛び出してきた。走っている。笑顔だ。その勢いで公園のゲートに差し掛かった。
すると弟は「今日なら出来る」と考えたかどうかは知らないけれど、とにかくゲートを飛び越えにかかる体勢に入ったのが見えた。
(あいつやる気だな)と僕達は皆思った。そして皆が彼を注視した。

ひょいっ と弟は足取りも軽くゲートを飛び越えた。
そして着地の瞬間、彼は態勢を少し崩した。
まず片足が地面に付き、そしてもう片足でバランスをとってポーズを決め上手く行ったら10点10点9点8点9点10点…と評価が下るはずであった。
しかし彼は背負い込んだランドセルで一回バウンドし、脇腹から地面に叩きつけられた。
我が弟ながら思わず、プッと笑ってしまった。

暫くうずくまっていた弟ではあったがすぐに気を取り直し(屈託の無いのが彼の良いところだ)、脇を手で払い何でもないかのように立ち上がろうとしていた。
しかし脇に手を当てた姿勢のまま彼の動作が途端にギクシャクしたものに変わった。
顔を見るとなにか恐怖に慄いている表情だ。そして血相を変えて家に戻っていった。

僕達は10m程離れた距離から遠巻きに弟の不審な挙動の一部始終を眺め、そして呆気にとられるだけであった。
なぜ弟は何の説明も無く家に取って返したのだろう。
怪我をしたりしたのであれば、そのように申告すれば僕等にも打つ手はあったはずである。家に飛んで帰るという結果は同じであったにしても。
確かに公園のゲートに進入するまで満面の笑みを湛えていた彼が着地に失敗した途端血相を変えるに至った事実とは怪我以外に一体なんであるのか。
僕達は現場検証に向った。


弟が飛び越えようとして玉砕したゲート付近に班員一同が集まった。
そこには確かに何かの痕跡があった。
潰れて拡がった、何か。Priceless。
そして引き摺ったような跡もある。

その瞬間、事件のあったほんの直前のゲート付近の光景を皆が思い出していた。
居たのだ。野良犬が。確かに居た。ゲート付近に。紛れも無く。
そして、それを、彼は残していったのだ。

全員が頭の中で先程の一連のシーンを再現していた。
そして、全員が一致した結論を出すに至った。

弟は、決して着地に失敗したのではない。
そこにそれが無ければ、いや、それさえ無ければ弟は見事に成功し、100点満点を獲得していたに違いない。
しかし今まさに着地せんとする弟の爪先には悲しいかなそれがあった。
それの滑性により弟は着地に失敗し、あろう事かその上に脇腹から着地するに至ってしまったのであった。


その後弟はいつまで待っても家から出てこなかったので、僕は班長の権限を行使し弟は捨てて皆で和気あいあいと登校した。
そして勿論、学校に着くまでの間の話題は弟のことで持ちきりだった。

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2005年9月 4日 (日)

わけの分からない情熱 2

先日ウ○コネタについて少し触れた。


実は今、これをカテゴリ化しようかどうか真剣に悩んでいる。
ひとつ触発されてしまうと、過去の忌わしくも輝かしいウ○コネタが次から次へと湧いてくるのだ。


ああ、書きたい。ウ○コネタ。
ってわけの分からない情熱がまた・・・


(2005年9月19日追記:カテゴリ化した)

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2005年8月28日 (日)

楳図かずお的な

リンクさせて戴いているとももさんのサイトでちょっと前にウ○コネタ(笑)が席巻していた。
実は丁度その時僕も同じような記事を上げようとしていたのだが、出鼻を挫かれた様で^^まぁまた機会があったら書こうと。
で今日書きます。何で今日かは特に意味なし(笑)


バリウムを飲んだ。
生まれて初めてのバリウム。確かバニラ味だったような記憶。今からもう15年以上前の話。
親父が癌で臥せっていたからこれは僕も遺伝的に気をつけなきゃならぬと思ったのがきっかけ。

で飲んだ。バリウム。ぶっちゃけ、不味かった^^
初心者(?)だから何度かゲップが出てしまい、でその度何度か炭酸の粉を飲まされた。
吐き気を堪えながらもなんとかレントゲン撮影は終了した。

その後問診があり、幸いなことに特に異常は無かった。十二指腸が若干変形していることを除けば。
当時僕は親父のレントゲン写真をしょっちゅう見ていたから解る。内臓だけはそっくり同じ形状だ。やっぱり血の繋がった親子なんだ。僕と親父は。


でその後ナースが僕にこう告げた。
「二時間経ったらこの下剤を飲んで下さいね」
でもそれは僕の聞き間違いだったのかも知れない。

後に色んな人から聞いた話では、正しくは、こうだった筈なのだ。
「二時間以内にこの下剤を飲んで下さいね」
『経ったら』と『以内に』の違い。
その時僕は、その違いが「天と地ほど」の差があることを知る由など全く無かったのだ。
そしてそれは、決して聞き間違えなどしてはいけない言葉だったのだ。


前日から絶飲絶食だったこともあって、検査が終わった途端に安堵感も加味されて僕は猛烈な空腹感に襲われた。
だから僕は病院の食堂でお世辞にも美味しいとは言えないホットケーキと珈琲を朝食代わりに平らげた。ペロッと。
その後書店で立ち読みをし、気が付いたら検査を終えてから二時間を少し過ぎたところだった。
(あ、もう飲まなきゃ下剤)と思い、自販機でジュースを買ってそれで飲み下した。


一度でもバリウムを飲んだ経験のある方ならお解かりと思うが、その時僕は途轍もない過ちを犯してしまっていたのだ。
バリウムの副作用というかそのポテンシャルとパワーの凄まじさを僕はその30分後に心から思い知ることになる。


まず。下剤が効いてきます。ジワジワと。
病院で処方される下剤ですからそれはそれは便意を強烈に催します。
ここで大きな問題となるのが、そう・・・バリウムの硬化速度です。
時間が経つとこいつはまるで銅の彫刻の如く堅くなってしまうのです。

僕は抗い難い便意に導かれて最寄のトイレに駆け込みます。
そして・・・惨劇はその後に僕の身に降りかかってきたのです。


全身に鳥肌が立つほどの便意を催しているにも関わらず、得体の知れない何かが僕の出口に立ちはだかり、そしてそれは放出したいと切実に願う僕のささやかな希望を無残にも無視するのです。


それはまさに恐怖体験でした。
僕は今の状況に心底怯えきっていました。
早く出させてくれと訴えかけて来る下腹部。
そして出させてやるもんかと抵抗する出口付近のレジスタンス軍。
恐る恐る指先で確認するとそいつは頭を少しだけ覗かせている。触感でも充分感じられる程かなり強固な物体が間違いなくそこにある。


ヤバイなんてもんじゃない。脂汗というものを僕はその時生まれてはじめて垂らしたのです。
そして遂に僕は最早これまでという段階まで追い込まれました。

このままいくと間違いなく俺はこの場で気を失ってしまう。しかも下半身丸出しで。
もはや楽天的な考えなど到底発想できる状況などではない。


生まれてこの方、これ以上いきんだことが無いという程僕はいきみました。
お腹を痛めて我が子を出産するという母の痛みを知ったような気がしました(実際の生みの苦しみというものはこんなものじゃないとは思いますが)。
全身の意識を僕の身体のただ一点に集中させ、気が遠くなるほど僕はいきみました。目玉が半分くらい顔から飛び出していたような気がします。
そして僕の大事な部分に栓をしていたそれを、僕は遂に若干の出血と共に生み出しました。
血と汗と涙にまみれ、僕は大きな仕事を一つ終えました。


で今客観的に思い返してみると、その時僕はこのような顔をしていたに違いありません。
k_umezu01

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2005年6月 5日 (日)

どうしても伝えたいこと

4年前(だったかな?)の夏の暑い日。

少し寝坊してしまって、時計と睨めっこしながら慌てて朝ごパンを食べて、そそくさと仕事着に着替えようとした時。
ふと思い出した。

そういえば昨夜はバンドの練習で遅くまでスタジオに詰めて、そのあと下の喫茶店で遅くまでマスターと駄弁って。帰りが午前様になってしまったからお風呂は止めにして寝てしまったのだった。
・・・ということはパンツを替えずに寝てしまったわけだ^^;
前述の通りお風呂は入らなくても平気だが、いくらなんでも連続パンツはマズイっす。しかも夏だ。仕事中に漂っては業務に支障をきたすッス。

焦って一度履いたズボンを脱いで、履き替えようと箪笥から新しいものを引っ張り出す。マジで時間がヤバい。
そしてパンツを履いた刹那。シカッと。突き刺すような小さい痛みが。袋部分に。
(アレ・・・?何か挟まったか?アタタっ)と思うも束の間。小さな痛みが途端に激痛に。
「アタタっアチ~」と局部を強く押さえて飛び上がる。なんだこれ?!こんな痛いの初めてだわ。
押さえた局部をもう一度小さい痛みが襲う。そしてまたそれが激痛へと変わる。
正しくこれは異常な事態だ。何かが僕自身に刺さったようだ。

脱いだパンツをチェックしてみる。
するとそこには目を疑う光景が。
冗談抜きに、本当に目を疑った。

何とそこにはモゾモゾと動く小さなものが。
顔を近づけてよく見てみると・・・虫だ。
そしてそれは、ああ・・・何ということだろう。紛れも無いアシナガバチだったのだ。

一瞬にして全身から血の気が引いた。
その時は恐怖と怒りで痛みすら忘れて半狂乱になりながら^^;スリッパでパンツを叩きまくり、敵を完膚なきまで木っ端微塵にした。


我に帰ると再び痛みが襲ってきた。
痛みを堪えながらも何とか平静を取り戻し、腕組みをしながらたった今わが身に何が起こったのか整理してみた。
下半身丸出しで。


まず。
何でパンツの中に蜂が居たのか。
きっと洗濯物を干している時に一緒に取り込まれてしまったのだろう。
しかし件のパンツは奥さんの手により綺麗に畳んであった。
自慢じゃないが僕はパンツのストックは一週間分は確実に持っており、そして物流における在庫品を扱う基本中の基本「先入れ先出し」は忠実に遵守している。
昨日の時点で抜かれたものの位置から察するに、今日取り上げたパンツは恐らく最低でも4日前に洗濯されたものだ。
ということはこの蜂野郎は暗い箪笥の中で絶飲絶食で4日間生き延びてきたわけだ。オモムロにさっきの自分の半狂乱の所業に少々後悔の念がよぎった。
いや待て待て違うぞ、俺は被害者なのだ。

そしてクライマックス。
遂に件のパンツが日の目を見る時。
あろうことか彼はいきなり生温かい何かに押し潰されようとしたわけだ。で彼はとっさに攻撃を仕掛けてしまったのだろう。今まさに自分を押し潰さんとする生温かい何かに。
しかも相手(僕)は第一次攻撃で怯むどころか更に力任せに抑えつけてきた。よーしもういっちょ食らわしたれ!ってなもんか。


そんなことよりしかし・・・はあ(>_<)痛いなんてもんじゃなかったスよ。
こうなったら仕事どこじゃない。
場所が場所だけに医者行って診て貰わないと気が気じゃない。
内股になりながら会社へ電話。

「すみません病院行ってきます遅れます」
「どしたん?」
「あの、蜂に刺されまして」
「どこを?!目か?」
「イエ、あの…キ○タマです」
「・・・」しばし無言。
「ドコて??」
「キ○タマです」二度も言わせんな。
「・・・ガハハッ」笑い事じゃない。


思いのほかウケたので気を良くした僕は^^(アッ!これバンドのメンバーにも伝えなきゃ!)と思い早速メンバー一同に同報メール。
伏せ字無しで一言。
「キ○タマ蜂に刺されたッ レノ」

後から聞いた話だとサマーは出勤途中の近鉄の中でメールを受信したらしい。
満員電車の中で涙を抑えながら笑いをこらえるのに必死だったと。何ちゅうメールをよこしてくれるんだと。


しかし病院に行ったはいいが、受付で看護婦さん(しかも若くて可愛らしい)に「今日はどうされました?」と尋ねられた時の切なさよ。
「(消え入りそうな声で)蜂に刺されまして…」
「そうですか、でどちらを?」
「・・・・デス」
「…はい?」
仕方ないからハッキリ言ったわさ!そしたら「あ、そうですか。じゃあこちらでお待ち下さい」って。別に驚いた風でもなく。ま、当たり前か。

担当の医師がこれまた女医さん。今日の俺どこまでツイテないんだ。
「あー二つ刺されてますね。スズメバチじゃないんでしょ?この腫れ方は」
「はい。アシナガバチと思います」
「まあじきにひくと思いますけどお薬塗っておきましょうね」
でまあちょちょいのちょいでしたね。


それで後日談。
このネタ^^ライブのMCでトニーに取り上げられるし。
お陰でこの一件でもって僕の虚弱なイメージが一層強固になったし。
会社の人たちからは「最近笑いに飢えてたからこれで数日は笑えるわ」と言われるし。

サマー曰く「ところで何でそんなことみんなにメールで送ったの?」
僕答う「だって…どうしても誰かに伝えたかったんだもん(^^)」

なんじゃそれ(笑)

hyousatu_thumb
とももさんに画を頂戴いたしました^^;)

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2005年5月24日 (火)

昨日見た夢

ウン○を踏んだ夢を見た。たぶん犬のウン○。


そういえば最後にウン○を踏んだのはいつだろう。
たしか18か19の時だ。

クルマの免許を取って、初めて手にしたマイカー。
四速ミッションのカローラSE。とにかくハンドルがメチャ重かった。
前のオーナーが割とマニアックだったみたいで、タイヤは分厚いし、金ピカスポークのアルミを履いていた。
大事に乗ってたけど、最後は電柱にぶつかってシャーシまでいっちゃってオシャカになっちゃった。タイヤが逆ハの字状態。

で、ある時その愛するカローラに乗って、出かけようとアクセルを踏んだ時。ぶにっとした感触があった。
とりわけ気にもせず、運転を続けた。そのうちそこはかとなく何かの香りが車内に漂い始めた。
おかしいな。でも何か懐かしい香り。
まさか。
いつまで経っても車内の香りは消えようとしない。
あれ?俺ウン○踏んだか?
アクセルをグリグリやってみる。なんか変だ。
あれ?俺ウン○踏んだか?
徐々に疑惑が確信へ。
あれ?俺ウン○踏んだな?
いや、俺ウン○踏んだぞ!
俺・・・ウン○踏んだ!!


仕事中にそんな昔のことを思い出して、ちょっと救われた気分になった。
職場の机の上では、目の前に常時すぐやらないといけないことが山積している。
ビル内は全面禁煙だから、適当に時間を見つけて表の通りまで喫いにいく。
煙を吐きながらボケ~っと向かいのビルを眺めつつ、ふと靴の裏を見てみたり。
仕事で詰まった時、ウン○を踏んだと想像してみるのもいいかもしれない、とふと思った。
思い出し笑いしている姿は傍から見れば非常に滑稽ではあるが。
少なくとも、少しでも表情は和らぐだろう。

でもなんでウン○の夢なんか見たんだろう。
夢占い的にはどういう意味があるんだろう。

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2005年5月11日 (水)

口内炎

それは僕の体調のバロメーター(^^)

幼稚園のとき。
しょっちゅう口の中に口内炎が出来ていた^^;
その当時は口内炎という疾病名など当然知る由もない。
でも何か食べたり飲んだりするとやたらとしみるナニかが間違いなくお口の中に。
舌の先で触ってみると富士山の噴火口のようなものが^^
母に訴えてもまさかそんな子供に口内炎が発生しているとは露知らず。相手にされなかった^^;

疲れがたまってくるとよく口内炎出来る。体質的なもんだと思う。
最近はそれが出来ると無理をしないようにしている。
ここで無理すると大抵、寝込む^^;

口内炎で思い出した。
職場が四日市だった頃。独身のとき。
昼飯をよく外に食べにいった。といっても工場の周りは飲食店など何もない。見事に^^
だからお昼になると車に乗って^^あちこち行ったりしてた。
関係ないけどうちの会社は昼休みが45分しかないんだよな。
だからお目当ての店が定休日だったりした日にゃ…かなりヤバイ事に^^

そいで、よく通ってたのが近くのラーメン屋『桃仙』。
このお店はよくテレビでも取り上げられている。僕が通ってた頃はまだ無名の知る人ぞ知る隠れ家だったのに(^^)
ここには名物店長がいる。ツルっ禿げに中国人髭(^^)どう見ても日本人とは思えない^^
お昼だけでなく、独身時代ヒモジイ思いをいつもしていた僕は晩飯を食べにもよく行くようになった。
そのうち店長とも仲良くなった。

ある日、体調が悪かった僕。口内炎が出来ていた。
(ラーメンの汁、シミルやろな~…)とは思いつつ何故かこのお店のドアを開けてしまった。
さて注文するにも何を頼んだらいいものやら…忌まわしきこの口内炎め。

困った顔をしている僕を見て、店長が声をかけてくれた。「どしたん?今日は。何にするの?」
「う~ん、実はね、口内炎が…」
そしたら店長、「ほか。そりゃ痛いわな…。ん~そんなら特別に玉子とじにしたるわ!どうする?」と。
…嬉しかったですね(T_T)そんなちょっとした心遣い。いい店長。好きだな。


口内炎も痛いんだけど…そういえば肩もやたら凝ってるな。左腕が痺れてる。
肩凝りも、持病(?)だ。
これまた幼稚園のとき。ある時突然、「おかあさん、カタコッタ」と発言したらしい^^

はぁ、クチイタイ、カタコッタ(^^)

さて…仕事しよ^^

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2005年4月13日 (水)

GBK

ソビエト連邦秘密政治警察=カーゲーベー(国家保安委員会)…のことではありません。
耳鼻科。GBK(^^) 今日行ってきました。二年ぶりくらいかな。

前から蓄膿(ぅわ~漢字で書くと何か引くな^^)気味なんですというより蓄膿症なんです。重症じゃないけど。そういう体質みたい。
僕が体験した初期症状はこうです。医師の診断にピタリと当て嵌まってました。
朝。普通横になって寝ますよね、誰でも。
で、起きた時。喉に何か絡まるモノがあるのです。そう、痰。汚くてゴメン。
これは寝てる時だけにね、喉に流れ出てくるんです。弁が開くようなもんです。だから起きている時は出てこない。副鼻腔にたまる一方。蓄膿症とは「副鼻腔炎」の総称なのです。


「朝、痰が絡むでしょ?ん?」先生なんか嬉しそうだな。ちょっと大村昆に似てるな。
「ええ」ホントに痛いのです、ヂュ~って吸われると。大人でも確実に泣きます。
「今年はホラ、去年に比べて花粉が30倍近く多いから、ほらこのグラフ見てね」言葉で聞くのとビジュアルに訴えかけられるのとでは全然インパクトが違う。去年と今年を比較するその棒グラフを見ただけで卒倒しそうになった。

「先生やっぱりアレですか?僕は体質的に溜まり易いのですか」
「そうね、花粉症って言っても同じ花粉量吸っても5人に2人は全然症状出ないからね、体質だね」
なるほど…。
「去年ぼくサボって通わなかったから酷くなったんですか?」
「そんなことないよ、きっと来年は花粉が少ないから来なくていいと思うよ。何て言っても今年はだってホラこれ、去年の30倍だから。大体2年周期で来るんだよね」
「…」
「ん~前の薬は…結構ガツンと行ったけど症状改善してないみたいだからもう少し上げようか?変な副作用なかったな?ボロが出たり?まぁ多少は眠くなるけど堪えれるか?行けそう?もうちょっとガツンと行っとく?いいか?」
先生は早口で捲くし立てる様に喋るけど要点が非常に分りやすい。話の早い先生だ。信頼関係もある。昆さん顔でニコニコ話されると思わず賛同したくなる。何より患者と一緒に治そうという気概を感じる。言葉では上手くいえないがそう感じる。


耳鼻科はホントにピンキリだ。歯医者以上。ヤブが多いんじゃなく、これこそ本当に相性。
近所で結構評判いいのに自分とは全然合わないなんてことも大いにある。
一回行ってあ~ここは合わんなと思ったらさっさと他に変えたほうがいい。
今通っている東員町の「森下耳鼻科」は僕の耳鼻科歴(なんだソレ^^)の中でもダントツ。昆先生は名医です。


二年前。
ある地元の耳鼻科に通っていました。
実は二週間後にライブが迫っている。鼻はズルズルいいっ放し。風邪じゃない。間違いなく鼻の炎症。鼻声でどうしても上手く声が出せない。
そのセンセイに言いました。すがるような気持ちで。「二週間で治したいんです」
でも結局10日経っても改善の兆しなし。通院中も心なしか通り一遍の診察だけ。
ダメだここは、と思い、近所でウワサの森下さんに勝手に転院。で昆先生と出会う。
ライブは週末に迫ってきている。だからぶっちゃけ話しました。
「4日後に大事なライブで歌を歌うんです。声がまともに出ないと本当に困るんです」

…医者にそんな事言ったって治療に関係ないじゃん、俺ナニ言ってんだ…恥ずかしい。
でも昆先生は真正面から受け止めてくれた。
「そうかじゃあ3日で治そうな。(レントゲン見て)あ~こんなんじゃ歌えるわけがない。3日では完全には治らないぞ、でもやるだけやろうな。きつい薬でも耐えれるか?それ大事なライブなんだよな、出来るよな」
思わず涙が出そうになった。本当に心から思ったよ、この人は本物だって。


タラタラ書いたけど、要はテレビでたけしの本当は怖い家庭の医学の副鼻腔炎のコーナーを見ちゃったからなんですね~(^^)得も言われぬ切迫感に苛まれてきたのは。
で、今日行って正解でした。
レントゲン写真見てまた卒倒しそうに。
「ホラこれ、ここ真っ白でしょ?コレ全~部膿」しかし先生楽しそうだな。
「は」
「膿が溜まるとね、この副鼻腔にね、副鼻腔は何で空洞なのかって言うと冷却効果も狙ってるのね、ここで頭を冷却するの。脳味噌とか眼球をね。それが出来なくなっちゃうとどうなるの?ね。頭痛と目の疲れ。倦怠感」
…アカン、完全に読まれとる。ここんとこずっと冴えてないワケはこれだったんか!


で。
毎度お馴染みのムコダインやら何やら前回通ってた時からグレードアップした薬を処方されて帰ってきました。
暫くライブの予定はないけど、慢性化したら面倒なことになる。
今日から真面目に飲もっと^^

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