夢面

2007年9月 8日 (土)

既視感

それが実在するものなのか、僕が頭の中で創り上げたものなのか、ハッキリしないものがある。ある場所だ。

いつからそれを見ていたのか忘れてしまうほどの期間、繰り返し夢で見る。
ただ連続してみるのではなく、忘れた頃に訪れる。だから内容が全く同じ時も多い。見ている時にデジャビュを感じる。夢で感じるデジャビュというものも考えてみると不思議なものだが。
その夢を久しぶりに昨夜、見た。

誰かに話せるほどの内容でもなく、寧ろ至って平凡なものなので言葉にすることが困難である。
だけどひとつの記録としてここに残しておきたいと思う。何か意味があるような気がするから。


その場所の手がかりという程のものでもないが、小学生の頃の通学路に似ているような気もする。毎日歩いていた筈の場所だ。
だが先日ある機会にその付近を車で通ったことがあるのだが、僕の夢のイメージと合致するものではなかった。残念ながら。
車を運転するという行為がそもそも違うのかもしれない。自分の足で歩くと普段は見えないものが見えたり感じたりするということはよくあるからだ。


そのシーンはある時は俯瞰の映像であり、またある時は地面を這う程の低い位置からの映像であったりする。地図の上を辿るような極めて平面的な場合もある。歩いている時もあれば、車を走らせている時もある。
全体はハッキリしないが、細部は異様に鮮明に描かれていたりする。細部の無いところに全体は無い筈であるからそれはそれで矛盾はしていない。
ただそのシーンの時系列は明らかに矛盾している(幼少の頃に目にした場所のような感じであるにも関わらず車の運転席からフロントガラス越しに見ている場合がある)から、きっと僕の空想の産物なのだろうとは思う。

だが余りにもリアルなので、その瞬間を僕は何らかの形で経験しているに違いないという確信めいたものもあるのだ。
言ってみればまるで村上春樹氏の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のような感じだ。
しかし僕にはその世界をあれほどまでに見事な文章で綴ることが出来ないのが残念でならない。


ただ僕にはある時期の記憶が抜け落ちている部分があったりするので、もしかしたらその辺に鍵があるのかもしれないような気がする。

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2006年12月20日 (水)

連続夢

ここのところ頻繁にというかほぼ毎夜みる夢がある。お漏らしをする夢だ。しかも小ではなく大である。

どうにもこうにも我慢できずというわけではなく、気がついたらモリッと出ていたという風である。生温かくもどこか妙に懐かしい感覚が目覚めてからしばらくの間続く。お尻の辺りに。まるで本当にお出ましになっているかのような気さえする。

先日の激しい水鉄砲状のものの原因が流行のノロにやられていたからなのかも知れないと思い始めてからのことである。

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2006年9月 5日 (火)

夢の記録

ひと月ほど前に寝汗をびっしょりかいて起きたことがあった。

今の生活に全く関わりの無いと思われる夢を見たのだ。どちらかというと、怖い夢だった。
起きた時、心臓は激しく鼓動し、目には涙が一杯たまっていた。
そこで五感で感じていた音から色から何もかも、その夢の全てを僕は現実に僕の身の上に起こったのものと暫くの間信じて疑えなかった。

正確な内容は(いや、夢自体が正確とはいえないのだがそれを見たままという意味で)時間の経過と共に記憶は段々と薄れていってしまう。その内キーワードだけが残る。
だがそのあまりのリアルさから何か意味があるような気がするので(また同時にその逆も大いに感じるが)書き残しておきたくなった時のメモがこれである。
今これを推敲している段階でその記憶や情動は全く残っていない。綺麗さっぱり消え去ってしまっている。
だから今の時点では全く意味をなさないのではあるが、後日何かの手掛かりになるかもしれないので記録に残しておく。


「真夏」
 …蝉が激しく鳴いている。
「義父」
 …見たことも会ったこともない義父。だが間違いなく義父。どういった原因かは解らないがぼくとの信頼関係はイマイチ築かれていないような感じ。ぼくが一方的にそう感じているような雰囲気である。
「義妹」
 …義父と同様見たことも会ったこともない義妹。だが登場人物としてはれっきとした義妹。
「小学校の校庭」
 …それは住宅街の割と高い位置から遠巻きに見えいている。ひと気がないことから夏休み期間中と思われる。木の陰からぼくはその風景をボーっと眺めている。
「銃殺刑」
 …何故か銃殺刑がその校庭で行なわれることになっている。背の高い木の柱が4~5本校庭の隅に立てられており、どうやらそこで行なわれるようだ。一週間後がその予定日だという。隣の家から廻ってきた回覧板でその事実を知る。
「喫茶店」
 …その後子供二人と義妹と姪っ子と近所の喫茶店へランチを食べにいく。その喫茶店は見たことも聞いたこともない。店内はかなり和風である。
「知性的な中年の女性」
 …その喫茶店で主人として働いているセレブな感じの女性がいる。彼女は厨房に立ち、仕事をしながらチラチラとこちらを見る。だがそれは決して厭らしいものではなく、むしろ好意的な視線にぼくは感じる。


このような断片的な記憶が入り混じり、しかも完全に脈絡を欠いている。
残念ながらこのようなキーワードの羅列を見ても具体的な内容は全く思い出すことが出来ない。しかし夢を見ている間はものの見事に全てが符合し、現実としか思えないリアルさがあったことだけは確かだ。
それにしても1週間後に銃殺刑が日常的に白昼堂々行なわれるというショッキングな事実だけは強く印象に残っている。
ぼくの激しい胸の動悸と慟哭はその受刑者(おそらくは冤罪と思われる)に対する念かそれとも自身がその受刑者そのものであったのかはわからない。


こういう具体的なキーセンテンスを持つ夢をここ数年僕は観た事がない。夢診断的にはどういう意味を持つのだろう。たぶん、何の意味もないだろうけれど。

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2006年3月 8日 (水)

一時停止

随分会っていない友達の夢を見る。


濃紅色の車で迎えに来てくれる。
見覚えのあるような無いような場所である。
運転席から僕を覗く笑顔がとても素敵だ。
腕を伸ばして助手席のドアを開け、僕を招いてくれている。
僕は乗り込む。

何処に行こうか と僕は尋ねる。
答えは返ってこない。友達の口だけが動いているのが見える。
ふと気付いたら周囲は全くの無音である。自分の声すら聞こえてこない。さっき尋ねた僕の声も実は聞こえていなかったことに気付く。

交差点に差し掛かり、これから何処に行こうかと考えているうちに僕を除く全てが一瞬にして停止する。
動いているのは僕一人である。
景色も動かない。車のウィンカーも点灯したままで友達もマネキンの様になってしまう。


翌朝。
何だか気になってその友達に連絡してみようとする。
何かあったような気がするからだ。


でも、やめた。

そんなことをしても何も意味が無いことがわかっているからだ。
この夢にもきっと何の意味も無いのと同じように。

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2006年1月 4日 (水)

最近変な夢が多い。ものすごくリアルなのだ。
昨夜など僕はライトセイバーで悪者数人をなぎ倒した。
そのうちの悪者の一人はかなりの年配だったのだが聞いてみると実は僕と同郷だった。
僕はその人の身体をX字に斬った後でその人と昔話に花を咲かせた。え?!あそこはもう水没してしまったんですか!…とか。斬るには惜しいとても物知りな人だった。でも斬られた後も平気でぴんぴんしていた。

初夢もリアルだったがここでは書けない。
というかすっかり忘れた。リアルだったという印象しか残っていない。


昨年末にこれまたリアルな夢を見た。
セルターブの演奏を観客として僕は観たのだ。
新曲をやっていた。中期のバットマン的なジョージ曲だった。
このバンド、すげえと思った。特にジョン役の人(僕)がかっこよかった。
ただ残念なのはドラムをやっているのが誰なのかわからなかったことだ。

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