想ひで面

2012年5月23日 (水)

意外と凶暴

数年前のある日。


家の庭がやたら騒がしいなと思って窓から覗いてみると、5~6羽の雀の一団が庭に降り立って何やら聞いたことのない尋常じゃない鳴き声を発していたのです。
切羽詰まった感じのその鳴き声には明らかに威嚇や警告の響きが含まれており、とても雀が発する鳴き声には聞こえませんでした。

何事が起こったかと雀を刺激しないようにそろそろと庭に出てみたら、そこには猫が居たのです。庭の外の茂みに。野良が。一匹。
なんとその雀の一団がタッグを組んで、その野良猫に立ち向かっておったのです。
どう見ても挑んでおったのですよ。果敢に。闘いを。スズメが。ネコに。んな無茶な。


雀のチームはまさに命懸けというオーラを発しており、人間の僕には見向きもしません。というか眼中にすらありません。
エライこともあるもんやな~…と暫く眺めているうちに、どうやら事態が飲み込めて来ました。
よくよく見ると、猫が潜んでいるその茂みにはどうやら彼らの雛鳥が居るようなのです。耳を澄ますと微かにチーチーというか細い鳴き声が聞こえてきます。


察するにその雛鳥は、何かの拍子に巣から落ちてしまい、まだ飛ぶことが出来ない上に、はぐれてしまった挙句茂みに迷い込み、悪いことにそこをたまたま通りかかった野良猫にロックオンされそして今まさに餌食となろうとしているようなのです。
でその迷える小雛の両親はもとよりその親戚縁者近所の友達一同が一致協力した多国籍軍を編成し、一団となって憎むべき敵であるその野良のお食事タイムを中止に追い込もうとしているその瞬間に僕は立ち会っているわけなのであります。


こ~れはイカン!と俄然正義感と闘志が湧き上がってきた僕は問答無用で茂みに飛び込み、野良猫を追っ払ってやりました。
野良にしてみれば楽しむべき昼餉のひと時を保護者に邪魔されるのはまあ想定の範囲内だったとはいえ、いきなり全く無関係の第三者である人間の僕が割り込んできたので渋々退散、という寸法になってしまったのでありました。


どや。


とドヤ顔満面で雀の一団を振り返ったその刹那。


雀のチームの次のターゲットは救世主であるはずのこの僕に移ったのでした。
なんで?と思う間もなく一瞬にして周りを雀に取り囲まれ、HEROであるはずの僕は彼らの罵倒の対象に成り下がってしまったのでありました。


要は、こういうことです。


野良猫は確かに退散させました。救世主であるこの僕が。
ところが問題は何一つ解決などしておらず、雛はそこに放置されたままなのであります。
HEROであるはずのこの僕が、いつ捕食者に豹変するかもしれぬという可能性が残されている限り、雛の近くに存在する他者は何びとだろうと攻撃の対象になるということなのであります。


さすがに雀が人間に直接危害を加えるという行為に彼らは及びはしませんでしたが、その殺気は尋常ならざるものがありました。
結構、凶暴なんです。雀とはいえ。野生ですから。
這々の体で今度は僕が退散しました。


その後その雛鳥がどうなったかは恩を仇で返されたような感じで逆に襲われた側になってみればもうどうでもよくなってしまい、今となっては知る由もありません。

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2012年3月31日 (土)

ルーツ of ルーツ

中学生の頃、この本が僕の全てでした。

Sadamasashi


正確には本ではありません。
ドレミ楽譜の「レコードコピー ギター弾き語り さだまさし全曲集」です。

暇さえあればこのスコアをめくり、寝る間も惜しんでギターと歌の練習に励んでいました。
僕にとってのバイブルと言っても過言ではありません。

このドレミ楽譜のスコア、手書きの歌詞とスコアが妙に温かかったです。とても綺麗な文字でした。
いったんこの手書きスコアにハマっちゃうと他のスコアがそっけなく感じたものです。
このシリーズ、もうとっくに絶滅しちゃってるんだろうなあ。
おかげで今やプレミアが付いてウン万円の価格が付いているようです。

いまだに実家の押入れに大事に眠っています。売ったりすることなど出来やしません。
大体がボロボロでイタズラ書きだらけのものが売れるはずありませんが(笑)

さだまさしの他にもその当時第一線のニューミュージックアーティストと呼ばれていた方々のスコアも持っていました。
松山千春、アリス、中島みゆき 等々。
勿論、すべて手書きスコアの『ドレミ楽譜』のものであります。


ルーツはいつまで経ってもルーツです。

まさにルーツofルーツ。
ルーツ中のルーツ。
キングオブルーツ。

ルーツルーツ。
嗚呼ルーツ。
ルーツでルーツなドレミ楽譜。

ドレミの手書きスコアよ永遠なれ。

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2012年2月17日 (金)

顔からファイアー

そういえば先日、楽器屋さんにふらっと立ち寄った僕は、店頭に並べてあったRolandの新しいキーボードの試奏をしたのです♪

具合の良いことにヘッドフォンがあったのでそれを装着して。
じっくり楽しんだのです。
誰にも邪魔されたり、聞かれやんように。
独りの世界です♪

で最近のキーボードは素晴らしいなあ~でもアナログ時代の音の方がやっぱり好きだなあ~でもやっぱりRolandだなあ~しかしよく出来てるなあ~いい音だなあ~などと感心しながら昔とった杵柄で、オフコースの「メインストリートを突っ走れ」やら「いくつもの星の下で」やら「流れゆく時の中で」やら(何故かヤスさんの曲ばかり笑)、ついでに調子に乗ってビートルズやらイーグルスのデスペラードやらをここぞとばかりに思い付くまま時の経つのも忘れ、己の気の済むまで弾きまくったのでした。

店頭で。


で一仕事終えたかの如く、僕はふ~…っと大きく息を吐き、そしてヘッドフォンを耳から外して鍵盤の上に置いたんです。

そしたら。

何故か音が。
鳴るんです。


何故か音が鳴っとるではないですか。
キーボードの横の備え付けのスピーカーから。

恐る恐る鍵盤を押すと。
音が鳴っとっとではないですか。


しかも結構なボリュームで。


瞬間的に顔から火が出た僕は、くるっと踵を返し、そしてかなりの速足でその場を立ち去ったことは言うまでもありません。

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2010年4月16日 (金)

青豆と天悟

同じ場所で、同じ空を見上げていた。
お互いが、お互いを知ることなく。


僕は、そのシーンが息苦しくなるくらい、切ない。

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2010年4月10日 (土)

火球

何の前触れもなく大きな火球を見たことがある。
中学生の頃。


陽が沈んで辺りが薄暗くなってきた時間帯。
僕たちの上空を、ゆっくり南から北に長い尾を引いてそれは流れて行った。
その大きさからはとても考えられない程、不思議なくらいそれは無音だった。


僕はどういうわけかその時の前後の記憶が欠落している。
だけどその瞬間の目に写ったあの光の記憶だけは今でも鮮明に覚えてる。


火球が無音だった様に、僕のなかに残るあの日あの時の記憶も、やはり無音である。

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2010年4月 8日 (木)

中学生の時。


横溝正史の悪霊島を読んだ。氏の生前最後の長編小説。
映画化もされた。キャッチコピーは「鵺の鳴く夜は恐ろしい」である。ご存知だろうか。
タイトルからしてあまりに怖すぎそうで劇場には観に行けなかったが(笑)
でも別にホラー映画ではないのでそういう意味では全然怖くはなかったのだけれど。

まあ僕の場合、テレビでこの映画のCMが流れ、そのBGMに釘付けになってしまい、そこから逆に興味が湧いて原作を読むという流れだっただけで特に横溝正史好きというわけではありませんでしたが。

さてその映画のBGM。これがビートルズだったのである。
「Let it be」と「Get Back」の2曲。
その当時ビートルズの楽曲を使用するには著作権の関係で現在とは比較にならないくらい莫大な費用がかかったそうで、あの角川春樹さんをもってしても2曲が限界だったとか。
そういえばたしか武田鉄矢さんの坂本龍馬のドラマでも随分思い切ってふんだんにビートルズの楽曲を使用していたような気が。


さて鵺(「空に鳥」とも書きます。たしか小説では「空に鳥」でした)。
いわゆるもののけである。
平家物語にも特別出演(笑)しているそうで。
悪霊島ではたしか鵺の鳴き声は逢瀬の合図であったと覚えている。
あ、もしかして映画のBGM、ビートルズの「Blackbird」夜の鳥?から来てたりして?違うか(笑)


ずいぶん前のことだけれど、テレビのクイズ番組でこの字が出題された。
前述の理由から僕は即答することができた。
たまたま一緒に見ていた親族全員が即答した僕を尊敬の眼差しで僕を見た。
後にも先にもその時だけのことである。尊敬の眼差しを浴びたのは(笑)


で鵺。
さあなんと読むのでしょう。
まあ別に読めたって大した自慢にはなりませんが(笑)

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2010年2月22日 (月)

ナニ盛り

今までの人生でこのようなことは二度目の経験になるのだが、よくよく考えてみると約25年ぶりのことになる。実に四半世紀ぶりだ。
それが今になって何故このような事態に陥ってしまったのか僕には見当も付かない。


出社する。
そして暫く経つとどうにもこうにも我慢出来なくなって駆け込むのである。
平日ならほぼ毎日。
ただ不思議なことに休日はそんなことにはならない。何故だか理由は解らない。


25年前は高校生だった。
思い起こせばばまさにこの感覚だ。かと言ってこんな感覚不快なだけで別に懐かしくもなんともありませんが。
記憶では確か二つ持って行っていた。学校に。いや待て三つだったかな?まいいや。
そして休み時間に僕は堂々とその行為に及んでおったのですワヨ。当時はそれほど我慢ならなかったのです。
僕のクラスにはそれが許される空気もあったし、いい時代だった。
次の授業が始まり先生が教室に入って来ると必ず、お?と鼻を鳴らしていたっけ(笑)
嗚呼若かりし頃の思ひ出よ。


そして今。


かつての高校生時代のように出来ることならば仕事の合間に自分の席でその行為に及びたいのは山々なんですが。


ちゃんと朝は摂っているのにも拘わらず僕はなんで毎日仕事を抜け出しコンビニに駆け込んでおにぎりをパクつかなければならないのか。


40越えた中年のオッサンが今更食べ盛りというわけでもあるまいし。

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2008年9月14日 (日)

ルーツ

昨夜はバンドの練習だった。
セルターブとしては来月に二つライブを抱えているので練習に余念がない、という程ではないが結構集中して取り組んでいるという寸法だ。練習については順調にいっているのでまあここで特筆すべきことはない。

 

普段、練習を行なっている場所はドラムのぱいんちゃんの自宅スタジオ、通称「ぱいスタ」である。
地下中二階に設置されたこのスタジオは抜群の音響性能を誇っており音がめちゃくちゃに、良い。
例えば、通常盤のCDをかけたりした時など歴然である。普段聴こえない音が聴こえたりするのだ。
セルターブでも時折練習を中断し、コピー元のビートルズのオリジナル音源をプレイバックさせたりすることがよくあるが、その時に初めて聴こえる音なんかがあったりして、結構感動したりすることがままある。
人間の聴覚などというものは結構いい加減なもので、思い込みや注意が一点に集中してたりすると途端にそれ以外の情報をシャットアウトしてしまったりすることがあるので、まっさらな気持ちになって謙虚に音を受け止めるにはもってこいの場所だ。

 

 

そういえば全然関係ないけど昨日は東海地震が起こる筈の日だったそうで。何でもどっかの外国のわけのわからんオッサンが予言したそうな。全くトンデモナイ輩だ。与太話にもほどがある。
練習前にまっちゃんが「そういや今日地震が起こる筈らしいんだけど」と言っており、それに乗ってたけスンも「ああ、らしいね」と。
初耳だった僕は「ほんだったらこんなとこで練習しとる場合じゃないがね。帰らな。家族とおらな」と。
で「だけど急に来年に延期になったらしいんだわ」とまっちゃん。
…なんじゃそれ。なーんじゃそれオッサンよ。

 

 

まいいや。
でぱいスタ。

 

一旦練習を始めるとあっという間に時間は過ぎてしまうもので、途中適宜休憩を挟むことになる。
大体夜の19時から始めて解散するのが23時。平均4時間。うーむ、アマチュアバンドとしては結構長い方だと思う。
でそんな適宜の休憩時。まあ一服点けるわけであるがその時は主に雑談に花が咲く。大体がドーデもよい話題である。

 

たけスンなどはこんな時ポロポロとよくアンプラグドでギターを弾いたりする。jazzの速いパッセージなんかを。昨日もそうだった。
で昨日は僕もアコギをポロポロと弾いた。

 

 

こんな時。

 

ふと出るフレーズは僕の場合どうしても「さだまさし」なのである。

 

どんどん、出る。
『雨やどり』『道化師のソネット』『関白宣言』『風の篝火』『生生流転』等々。

 

 

かつて。
十代の頃。

 

当時僕の唯一の相方であったたけスン。まあそれは今でも何ら変わりはないのだが。彼とは切っても切れない縁がある。
で相方たけスンとはよく二人で楽しい時を過ごしたもんだ。二人の共通言語「さだまさし」で(笑) そして「グレープ」で(笑)

 

そういえば仲良く二人で一緒にさださんのコンサートにも行ったこともあったぞ(爆)

 

 

だからこれをやるとたけスンは大抵、乗ってくる(笑)
あと、その流れで「陽水」とか。稀に「S&G」なんかにも行く(笑)
そういえば何故か「アリス」には行かないな(笑)

 

 

以上なんだけどなんじゃこの行き当たりバッタリな全く脈絡のない話。
まいいや、ブログなんだからたまには日記的なものもね。

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2007年12月 8日 (土)

A DAY IN THE LIFE

担当者として甚だ情けない話ではあるが、実は当時のその日、僕は全く意識もせず一日を過ごしてしまっていたのだ。
中学一年、13歳の時の話だ。


当時の僕を構成している大部分を思い起こしてみるとひとつはさだまさしでありひとつは手塚治虫でありひとつは恋愛であったような気がする。だからほかのものが入り込む余地が無かったのかも知れない。つまり僕の脳内は木根川橋・ブラックジャック・おんなのこでパンパン状態だったわけだ。
然るに僕にとってのそのスタートは、同い年の従兄弟から手ほどきを受けることになるもっともっと後になってからのことだったのだ。

そもそも当時の僕にはテレビやラジオのニュースなどを見たり聞いたりするなどという発想は根本的に無く、ましてや新聞などすら読む習慣などもあるはずも無く、ただ毎日を一生懸命に生きていただけだったのであろう。さださんと手塚先生と恋するあの娘に満たされて。意識してかどうかは別の問題で。
ただ従兄弟の言動からどうやら尋常でないことが起こったようであったことだけは察することは出来たが、正直なところ毛筋ほども全く気にもせず、従いその時点での記憶というものが全く残っていない。

今になって年齢を問わず色んな人とその時のことを話す機会があったりするわけであるが、皆が一様に(しかも僕より年齢が若い人すらも)その当時を遠い目で振り返るのを目の当たりにしたりすると僕は何とも情けない気持ちになってくる。俺って担当者としてどうなんだと。自問したりする。


今、その年齢に達してしまった自分がいる。


余りにも激しく、熱く、短く、強く、ある時は弱く、でも総じて生き急ぐように人生を駆け抜けた彼を、同年代になって初めて改めて偉大な存在だったのだと僕は今、知るのだ。


毎日いろんなことがあり過ぎて、気がつくと一日が終わってしまい、特別である筈のこの日をしんみりと追悼をするような余裕は毎年全く無いけれど、だけど、それでもいいと思う。


きっと彼は、それでいいんだと、言ってくれると思う。

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2007年9月 2日 (日)

ALL BY MYSELF

15年前。
あるテレビCMで流れていた歌に触れて以来、それがどんな歌なのか必死に探した経験がある。

スポンサーである製造メーカーに直接問い合わせようかと思い詰めたほどである。さもなくばレコード屋に行くかラジオ局に電話をかけて「フフーンフーンフン」などと口ずさんでその曲の正体を教えてもらおうかとも考えたりもした。マジで。
でもまあ別に無理せずともいずれ自然な形で知ることになるだろう、と思ってはいた。何らかの形で。


その頃はウィンドウズ95すら存在しておらずインターネットのイの字も知らなかった古き佳き時代。
手がかりは耳に残る「ホーバーマァイセルヘェ」というフレーズのみ。
辛うじてコードは聞き取れた。E→G#m7→D6/C#7→F#m/Am・B7onC…。D6が物凄く効いている。
でも曲名が分からないでは話にならない…。
知りたい。一体誰が歌っているんだ。


歌に対して一目惚れという言い方は変だが、揺さぶられたのである。
コードに、メロディーに、そして声に。また鳥の目線からの空撮の映像も素晴らしかった。


そのCM期間が終わってしまってからもその映像や音や声は僕の目と耳にいつまでも残り、色褪せるどころか輝きを増し続けた。
だがそれ以来どうしてもその歌に巡り合うことが出来なかった。手がかりのかけらも無いまま時間だけが流れた。


そして何年か経った後のこと。
車の運転中、ラジオから突然その歌が流れた。

心の準備も何も出来ていない全くの無防備な状態で、出し抜けに僕はその歌に晒されてしまったのだ。
運転中にも関わらず、僕は不覚にも流れ出る涙をどうしても止めることが出来なかった。


今という時代は、便利で恵まれている。
良いか悪いかは別として。


いとも簡単にこうして再びその映像と音に触れることが出来るのだから。

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